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ぼくは村作りビジネスをやめる。そう決断するにいたった全経緯と教訓について

仕事論

「事業をやめる」ということに関して書かれた文章は非常に少ない。

 

一番多いのは「事業を成功させる」に関しての文章で、次に多いのは「事業をはじめる」に関する文章だ。

「はじめ方」や「成功のさせかた」についてはたくさんの文章があるのに、「おわらせ方」については分からない。

事業に限らず、世の中のあらゆる側面で、この現象は観測される。恋のはじめ方を教える文章は多くても、おわらせ方を教えてくれる文章はほとんどない。

 

だからこそ、「おわらせ方」を書いた文章を大事にしたい。

 

おわらせ方の文章を、世の中に増やしていきたい。はじめ方と同じくらい、おわらせ方も大事だと思うから。

だから今日、ぼくがやっていた事業と、その事業をおわらせるにいたる経緯について、じっくり書いてみようと思う。

 

世界初の月額会員制村作りサービス「あの村」

僕がやっていたのは、あの村という事業だ。

「DASH村みたいなことを、自由に主体的にやれる場所」というウリのサービスだった。

 

コンセプトは悪くなかったと思うし、今でも悪くないと思っている。

時代を捉えていたと思う。あそびは「消費→生産」の遷移を明らかにたどっていて、そんな時代における大いにチャレンジングな事業だった。

 

あの村は「運営側が何かを用意するのではなく、会員たちが自らのアイデアで村を作る」という丸投げサービスであり、これは大いに新しい娯楽を生み出す可能性を秘めている

そのあたりについて、あの村開始1ヶ月で書いた文章がこれだ。興味がある人は参照されたい。

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とにかく、事業のアイデアは悪くなかったと今でも思っている。

 

おわらせることになった理由

おわらせることになった理由はとても一言では語り尽くせないが、それでもあえて一言にするなら「飽きたから」だ。

飽きたから、事業を終える。飽きたから、多くの関係者に迷惑をかけながら事業を終える。飽きたから、僕のエゴで、事業を終える。言い訳は特にない。

お金を出してくれた出資者にも、クラウドファンディングで支援してくれた支援者にも、サービスを愛好してくれた人たちにも、申し訳ない気持ちはある。

申し訳ない気持ちはあるものの、僕が飽きている以上、事業を続ける選択肢はなかった。

 

いや、この言い方は厳密には正しくない。他の諸条件が整えば、続ける選択肢もあった。

 

これからもう少し詳しく、やめるに至った理由について語ろう。

そのためには、あの村というビジネスの、これまでの動きを語らねばならない。

 

「あの村」のこれまで

2016年6月 – 立ち上げで、脳内麻薬の味を知る

あの村という企画が動き出したのは2016年6月、僕が大学を出て2ヶ月の駆け出しフリーランスだった頃だ。

「山奥の巨大な土地を使って村作り」というキャッチーさと、大きな企画を動かせる興奮で、大風呂敷を広げた文章を書いた。

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2年前の僕はとにかく無知で無謀であったが、情熱だけはあった。

当時のパートナーと、川崎のマクドナルドで異常な興奮とともに8時間くらいぶっ通しで打ち合わせをしていたのをおぼえている。

あのとき、新規事業を立ち上げるときの異常な脳内麻薬の味を知った。あの経験が、未だに僕を動かしている。きっと一生、脳内麻薬を求めてぼくは事業を作り続けるだろう。

 

2017年7月 – 手ごたえを感じた日

7月に、「二泊三日で家を建てるワークショップ」というワークショップを実施した。

その時の様子について、ぼくが仔細に書いたものが、これだ。

二泊三日で家を建てるワークショップ

レポートはとにかく長いのであなたは読む必要はないが、読むと当時の、あの村に対するテンションの高さがうかがえる。

 

この二泊三日の企画は多分、本当に面白かった。

多分、というのは、このときの体験については何度も語りすぎて、当時の心情を正確に思い出せなくなっているからだ。自分が今までに発してきた言葉に、記憶が引っ張られている可能性がある。

営業トークやあの村の説明会や、「なぜあの村を始めたんですか?」のインタビューに対して、このときの経験を引き合いにだしながらいつも回答していたから、記憶が上書きされているかもしれない。

ただそれでも、当時は二泊三日の合宿を終えて「最高だったな!」と酒を飲みに行った記憶があるし、来てくれた客もみんなべた褒めしてくれた記憶もある。

立ち上げ時に副村長をやってくれたナナシロさん(@nanashiro1988 )も、この時に客として来てくれた。そして、べた褒めしてくれた。この翌月、彼もプロジェクトにスタッフとして参加してくれることになる。

 

顧客満足度が高かったなあ、という感覚に大満足し、「やはり時代は生産する娯楽を求めてるんだ!」ということと、「生産する娯楽を体現できるのは”あの村”だ!」ということを感じた。

 

2016年8月~11月 ほころびはあるが、熱量はもっとあった

フロントエンドエンジニアであり、デザインの類もマルチにこなせるナナシロさんに加わってもらって、あの村のロゴやWebサイトが完成した。

あの村のロゴ

 

「あの村」について考えるのが一番楽しく、期待に胸を膨らませまくっていたのがこの時期だ。

この時期に書いた文章がこれだ。いかにもワクワクしてるのが文章から伝わってくる。

そして、村作りは最高のエンターテイメントになると考えています。

村作りは、体験としてめっちゃ面白いのです。

バンジージャンプにもディズニーランドにも負けない面白さがあると思っています。

村作りの楽しみを3つ書いてみます!

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今後の展望を考えるのが、事業のポイントについて考えるのが、本当に楽しかった。

必死で競合分析なんかもした。上の記事でも触れているが、熊本の「サイハテ」や、キングコング西野さんの「おとぎ町」とどう差別化するのかなど、よく考えた。

探したら、当時作った差別化についての図が出てきた。ビジネスマンがよく作っているような図。僕は形から入るのがつくづく好きだなあ、と笑ってしまう。

 

こういった分析を元に、何がウリで何がウリでないのかを整理した。

現状のWebサイトの骨格が完成するまで、何度も何度も議論を重ねた。

 

当時のチャット上でのやりとり

 

競合を分析したり、展望を考えたり、議論と改善を重ねたりと、気分は立派なスタートアップ経営者だった。

毎日ワクワクしていて、眠らなくても大丈夫な気がした。色んな人に会いに行って、サービスについてのディスカッションをした。

 

一方で、ほころびもあった。

一緒にプロジェクトを始めた男、白井宏樹が離脱していった。

離脱というよりも、自然消滅に近い。ある日連絡が取れなくなって、彼はそのまま消えていった。

結局、再会は半年以上経ってからになる。

 

共同で始めた男がいなくなる、というほころびはありつつも、動き出したものは止まらない。

ちょっとしたほころびは、事業立ち上げの熱量が吹き飛ばした。

 

2016年12月〜2017年1月 人と金をかき集める

年末年始は、落ち着かない日々になった。

慣れない予算案作りや事業計画書作りを必死でこなしながら、出資者や、顧客候補をかき集めた。

 

東京のレンタル会議室で、事業説明会も行った。

 

説明会で使ったスライドはこんな感じ。あの村のコンセプトを世間に伝えるのは難しいなと苦戦しつつ、「自由・仲間・気楽」という3つの柱を中心に、ユルく伝えることにした。

 

そんな風に、人と金を集めることを強く意識しながら、年末年始は慌ただしく過ぎていった。

 

あと、そんな日々にも関わらず、なぜか巨大かまくらは作っていた。

ぼくは北海道に帰るとつい雪遊びイベントを主催してしまう。これは、抱えているビジネスがどんなに忙しかろうと同じらしい。

 

2017年2月 クラウドファンディングと、順調な滑り出し

2月、とうとうクラウドファンディングを始めた。今までにやってきた準備を爆発させる時だ。

 

不安と期待でいっぱいのままに始めたクラウドファンディングだ。

ぼくたちのやってきた準備は正しかったのか、ぼくたちの作ったコンセプトは正しいのか。ぼくたちは「あの村」を、本当に事業として成功させられるのか。

その答えが問われると思った。クラウドファンディングのリリース前日は寝られなかったのを覚えている。

 

2017年4月 – 大成功の滑り出しで、天狗に

終わってみれば、クラウドファンディングは大成功だった。無事に、これまでの準備でまいておいた種は発芽した。

目標額100万円に対して、150万以上の支援が集まった。

クラウドファンディング中はずっと、支援額が次々に跳ね上がっていく様子に興奮を抑えきれなかった。

これまでにやってきた準備は正しかったのだ。ちぎれるほど頭を使い、声が枯れるほど議論をしてきた成果が、たしかに出ているのだ。

そんな喜びと高揚感に浸っていた。

 

また、金集めに奔走していた年末年始の成果も出て、80万円の出資と、70万円、50万円の大口案件も決まり、会社の口座には一気に合計350万が入ってくることになった。

その他にも細々とした売上もあり、正式オープン前にも関わらず口座にドンドンお金が入ってくるのは、これまた強烈な脳内麻薬体験だった。

 

今だからこそ、振り返って言おう。このときの僕は天狗だった。

クラウドファンディングも、事前の売上も、何もかも予想を越えてうまくいっていたから、この後もうまくいくだろうと思っていた。

だから、元々の事業計画を大きく修正した。当初の予想よりも多くの売上が立つことを想定して計画を書き換えた。

極限まで絞り込む予定だった人件費をドカっと増やし、頑張ってくれたスタッフの皆に還元しようとした。そればかりか、スタッフを正社員として雇用した。

これは本当に愚行だった。

この愚行に至った背景を考えてみると、僕の学生団体を崩壊させた経験が大きかったように思う。お金に余分ができたら、少しでも人が離れにくいような形式を整えたかったんだと思う。

愚かな考えだ。人が離れていく理由は、雇用形態がどうのこうのではない。もっと根本的な部分にある。僕はそんなことも理解していなかった。

 

あなたがもし、これからはじめての創業なら、ぜひ覚えておいて欲しい。

創業期の爆発的な売上と注目度は、長くは続かない。最初にちょっとうまくいったからといって、事業計画を上方修正するのはオススメしない。

 

当時のミーティングのホワイトボード。みんなで夢を広げていた。

 

2017年7月〜9月 オープンと、ままならぬ日々

梅雨が明けてすぐ、あの村は正式オープンした。

オープンパーティは大いに盛り上がったと記憶している。

先ほどもリンクを張ったが、オープン一ヶ月の段階でこんな文章を書く程度には手ごたえを感じていた。

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だが一方で、新規村民の獲得はできていなかった。

村民は、最初のクラウドファンディング時に獲得した30名がほとんどだった。(この30名は、月額ではなく一年ないし半年という単位で一括でクラウドファンディング時に料金を納めている)

開始一ヶ月で増えた村民は、6名。月額を支払っていたのはこの6名だけだ。

一人あたりの月額料金は6200円だから、合計の月額は6200円×6で、3万7000円ほど。初月、事業のメイン収入源である「月額料金」は、経費の前ではゴミみたいな金額だった。

 

もちろん、全く新しいサービスであり価値が世間に理解されていないサービスだから、短期間でドカっと村民を獲得できるとは思っていなかった。

だが、獲得のペースが予想よりも鈍かったのは事実だ。獲得に苦しんでいた理由は「莫大な労力を予想外な労働に取られたこと」だ。

初めての村作り、次から次へと予想外のトラブルが発生した。

軽トラが道に落ちた際は本当に大変だった。

最初は自力で引き上げようと頑張ったものの、その過程で副村長は大いなるケガを負った(そのせいで「通院」というタスクが増えた)

JAF的なところに相談しても、「これはとても無理ですね」と吐き捨てるように言われるだけだった。

泣きながら30箇所くらいの業者に電話して、最終的に相談に乗ってくれた業者の尽力でどうにか解決にいたった。脱出にかかった費用として13万円ほどの請求書が出てきたときの悲しみは、今でも忘れられない。

 

その他、数えきれないくらい色んなトラブルがあった。そのあたりの詳細については省略する。興味のある方は以下の記事を参照してほしい。

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また、こちらの記事にも書いたが、この時期に副村長が離脱した。「一緒にやろうよ!」と言っていた人がいなくなると、精神的にも実務的にもダメージは大きい。

 

この時期は、度重なるトラブルや人の離脱などに振り回されて、「新しい村民を獲得するための広報の努力」に労力を割けなくなってしまったのが本当に誤算だった。

あの村に限らず、一般に「新しいサービス」というのは、その価値を人に伝えるために、最初の段階で大きな努力を必要とする。

「全く新しいサービス」の成長モデル

 

 

この、最初期の関門を越えるために、本来の予定であれば、あの村に住み始めてからしばらくは、この努力に集中する予定だった。

毎日のあの村の様子をひたすら発信したり、興味を持ってくれる企業やメディアにひたすら連絡を取ったり、注目を浴びるようなキャンペーンを打ち出したり……準備していた「サービス開始したらやること」リストには、たくさんの施策が書かれていた。

結局、その「やることリスト」の中身には、ほとんど手を付けることがなかった

やっていたことと言えば、「今起こるトラブルに対処すること」や「従業員との衝突」や「週末のイベントの準備」である。

 

事業としての「あの村」の失敗の要因を考えると、やはりこの時期の労力投入不足が大きい。

この時期に予定通り、広報活動に十分な労力を注ぎ込めていたとしたら、1年後の今、状況は変わっていたかもしれない。

この時期の労力投入不足の原因は前述の通り、予想外のトラブルが続出したことだったが、これもひとえに僕の見積もりの甘さが招いたことだった。

 

2017年10月 コンテンツ収率の低さがツラかった

あの村での暮らしを始めて3ヶ月、一番ツラかったのは、暮らしの中のコンテンツ収率が低かったことだ。

「コンテンツ収率」という言葉は僕の造語なので少し解説しよう。

コンテンツ収率は、以下の式で定義される。

すなわち、一定の活動時間に対してどの程度コンテンツが生まれるか?という概念である。

あの村での暮らしは、大いにコンテンツ収率が低かったし、僕はそれがツラかった。

 

というのも、あの村での暮らしは

  • 雨でぬかるんだ道に砂利を敷いて直す
  • 村民が遊びに来ている間の対応(機材がある場所の指示など)
  • 車の運転(人の送迎)
  • 邪魔な竹を燃やして処理
  • ご近所づきあい

といった、時間を取られる割にコンテンツに全くつながらない作業が多かったからだ。

どうにかコンテンツにならないかと思ってタイムラプスにしてみたりもしたが、やはりどうにもなる気がしなかった。

 

最初の一回ならばまだいい。「砂利は1トン600円で買える」という知見を得たり、「1トンの砂利は1時間で撒きおわる」という知見を得たり、コンテンツにつながる部分も多い。

だが、これが繰り返しになると本当に厳しい。同じことを何度もやっても新しい発見はまったくない。新しい知見なしの雑務は、コンテンツにならない

山のようにやってくるこの手の雑務が、僕を疲弊させていった。

 

また、あの村の環境はネット回線が不安定であったり、作業環境としてイマイチであったりすることによって、「文章を書く」や「思考を整理する」といった作業における生産性も低かった。

こちらもコンテンツ収率を低下させることになった原因である。

 

いずれにせよ、僕の人生において「コンテンツ収率の最大化」は、かなり優先順位の高い事項である。

この時の僕にあったフラストレーションの大きな原因は、コンテンツ収率が低くなっていることだった。

それでも、始めたビジネスをテキトウに放り出すワケにもいかず、前に進むしかなかった。ましてや状況はそれほど悪いワケじゃない。事業のビジョンはやっぱりいけてると思うし、口座にお金もまだまだある。顧客もついている。前に進もう。そう思った。

 

2017年11月 面白そうなことに飛びついたり、ピボットを考えたり

この時期、僕は既に「あの村」に少し飽きてきていた。これは僕の抑えがたい性分なのだと思うが、何でも3〜4ヶ月で少し飽きてしまう。色々な企画を常に新しく動かし続けていたいのだろう。

前述の「コンテンツ収率」の低さに関するストレスも手伝って、生活やビジネスに新しい要素を取り入れたくなってしまった。

 

そんな中、舞い込んできた「物件使いませんか?」という話に食いついたのは、ある意味では必然だっただろう。

この時期は茨城県の某田舎町に住む老人から来た「物件使いませんか?」話をビジネスに昇華しようと、大きな労力と時間を使った。「あの村」ともシナジーが生めそうだと思った。

結果として、この試みは完全な徒労に終わる。詳しい顛末は以下の記事に書いた。こちらも、興味のある方は参照されたい。

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前述の通り、この労力の使い方は正しくない。最初の3ヶ月を終えて未だ「あの村」というサービスの価値が世間に広がっていない段階であったこの時、「あの村」の広報に全力を使うべきだっただろう。

やるべきことは多分、当時から頭では分かっていた。

それでも、「あの村への飽き」と「コンテンツ収率が低いストレス」という2つの要素が、ある種の現実逃避的に、僕を茨城県での新規事業に向かわせた。

 

また、世には出していないが、この時期は他にも色々とピボット(事業の方向転換)の可能性を探ったりもした。

月額会員の獲得につまづいていたので、単発のイベントの収益化についてかなり色々な工夫を凝らした。これは一定の成果を見せたが、結局のところ「大きな労力をつぎ込めばお金にはなる」という当たり前の結論を導いただけだった。

 

それにしても、僕は、色々なものに3ヶ月で飽きる。新しいことを始めるのが好きだ。この性質は多分一生変わらない。

だからこそ、最初の3ヶ月で圧倒的に労力を注ぎ込み、最初の谷をある程度越える必要があった(のに、できなかった)。今回の大きな反省はそこに尽きる。

 

2018年1月 顕在化する不仲と離別

ナナシロさんがいなくなったあとの10月あたりから、代わりにゴリくんというスタッフがあの村に入ってくれていた。

ゴリくんと僕とは元来、概ね仲のいい友人であり仕事仲間であったが、ゴリくんがあの村に来てからはたびたび対立した。

対立の原因も多岐にわたるが、強引にまとめるのであれば

  • 現場視点と経営者視点の対立
  • 「無言の文化」と「言語化の文化」の対立

という2点に収束する。

 

1点目「現場視点と経営者視点の対立」について

現場視点と経営者視点はしばしば対立する。

もっとも卑近な例を見てみよう。

 

あなたは、飲食店のホールで働くことになった。

あなたは「お客様には可能な限り丁寧に接客しよう」と考えるだろう。それが世間的にも良いことだとされている。

お客様の話をよく聞き、いつもニコヤカに対応し、世間話にもこころよく対応する。お客様もあなたのことを気に入って仲良くしている。

これは、現場視点であればすごくいいことだろう。あなたは自分のことを店員として優秀だと思うだろう。

 

だが、経営者視点だと必ずしもそうではない。

常連の数名のお客様があなたのことを大いに気に入り、皆が世間話をしたがったとしよう。

あなたはあちこちで世間話につかまり、離れたテーブル席にいる一見さんのオーダーを取りにいけない。

結果、時間のロスが生まれ、店の回転率は悪くなる。

経営者は考える。「あいつのせいで店の売上が減っている!世間話なんてテキトウに受け流せばいいのに!あいつは何を話し込んでいるんだ!」

経営者はあなたを呼び出して言う。「世間話をテキトウに聞き流して欲しい。業務が滞っちゃってるから」

あなたは反論する。「でも、◯◯さんだって××さんだって悪気があって話しかけてるワケじゃないですよ。それに、私と話してとっても楽しかったっていつも言ってくれます!これも大事な業務じゃないですか!?ホールスタッフ一人増やせばいいじゃないですか!」

経営者「そんな人件費出せねえよ……」

 

以上、非常にありふれた事例を紹介した。「客の満足度をあげること」は経営者視点では必ずしも最適ではない。

従業員は顧客中心に動き、経営者は経済合理性を中心に動く。これは頻繁に発生する対立であり、僕とゴリくんの間でも例外ではなかった。

なお、この現象について、たいへん優れた分析をしている文章が、ライターの借金玉さんが書いた 共感性と独善性 ー 「現場」と「経営陣」の終わりなき対立 だ。この現象について興味がある方はぜひ一読して欲しい。

 

あの村における具体的な対立シーンとしては、このようになる。

遊びに来ていた村民数名とゴリくんと皆で一丸となって、村作りを進めていた。

僕は、皆がチームワークを発揮している(輪に入れない人がいない)のを確認して、作業小屋に戻りPCで事務作業をしていた。

ゴリくんが輪に入っているから管理責任は問題なく満たされているので、僕という労働力は同じところに投入する必要がない。別の仕事をしていた方が経済合理性がある、という判断だった。

しかし、ゴリくんは怒った。

「せっかく皆で同じ挑戦をして盛り上がっていたのに、お前が参加しないで足並みを乱すのはおかしい。参加した方がもっと皆楽しくなったはずだろ」

 

繰り返しになるが、この対立はきわめて頻繁に発生するものであり、特に誰が悪いという話でもない。前述の借金玉さんの文章でも指摘されている通り、会社の利益を考えられる従業員など通常はいない。

しかし、渦中の僕は「最も効率よく動けるようにしてるのになんでこいつ怒ってるんだよ……」というフラストレーションをたっぷりためていた。

そしてゴリくんもおそらく同様で、「なんでこいつみんなが盛り上がってる輪に入らねえんだよ……」というフラストレーションをためていたことだろう。

 

2点目「無言の文化」と「言語化の文化」の対立

1点目だけの対立であれば事態を建て直すのはもう少し簡単だったかもしれない。

より深刻だったのは、2点目だ。

 

この世の人間は、二種類に分けられる。「無言の文化」の住人と、「言語化の文化」の住人である。

僕は、圧倒的に「言語化の文化」の住人である。全てを言語化し整理したい。

コミュニケーションにおいて最も重要なものは言語化であると確信している。

だから、僕のコミュニケーションは常にこうだ。

  • 誰かに何かをして欲しいときは必ず「◯◯をして欲しい」と伝える
  • 相手が承諾してくれたら◯◯はされるものと認識する。
  • その場合に◯◯されなかった場合は、相手を問い詰めたり責めることもある
  • 伝えそこねていた要望△△については、実行されなくても絶対に怒らない(「普通△△するでしょ!?」とは絶対に言わない)
  • 不確かな相手の要望については確認する(「□□した方がいい?」)

僕のコミュニケーションは、「人間の意思疎通は非常に困難だ」という前提に立っている。誰かの考えや感覚を類推することは生産的ではない、と思っている。また、不機嫌になることや怒りを持つことを最小にしようとしている。

 

一方、ゴリくんは「無言の文化」の住人だった。彼のコミュニケーションはこうだ。

  • 「相手は当然◯◯してしかるべきだ」と考える(言わない)
  • ◯◯されなかった場合に「なぜ◯◯しないのか?普通そうするのではないか?」と怒る
  • 「相手はきっと望んでいるから、自分は□□しなければならないのだろう」と考える(尋ねない)
  • 自分は必死で□□しているのだから、お前も□□する人間であれ、と無言のうちに要求する

僕はこの「無言の文化」が本当に嫌いだ。

また、嫌いであるだけでなく、不正義であると思う。いたずらにお互いを不幸にし合うコミュニケーションだ。

このコミュニケーションを発端とした衝突は度々発生した。

その度にゴリくんは「なんで◯◯しないの!?普通そうするでしょ?」と怒り、僕は「その合意を事前に取っておくべきだろう。感覚はすり合わせられないが、ルールはすり合わせられるんだから、ルールで解決しよう」と返した。彼はいつも納得いかない顔をしながら、曖昧に「うん…」と言っていた。

 

僕はこの対立をする以前から「無言の文化」のコミュニケーションが嫌いだったし、駆逐したいなあということは常に考えていたので、この時期にはこんな記事も書いた。

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要約すると、「要望を口に出さずにいて、要望が叶えられないときに不機嫌になるのは最低のコミュニケーションだ。相手を支配しようとするな」という話であり、ゴリくんに度々話したのと同じ内容の話だ。

 

結果から言えば、この記事が大いに彼を怒らせて、決定的な離別を生むことになった。

この記事を読んだ後の彼からの反応は、こうだった。(原文ママ)

僕は、相手の要求を察して動いたり、思いやって何かを提供していくのが好きだし、人間らしさの一つだと思っている。僕はその技術を極めていきたいとも思っている。寒そうに凍えている人がいたら、毛布とスープをすぐに用意するべきで、特に求められなかったから何もしない、のは人としてどうかとも思う。

相手を思いやり合うという生き方は合理的でないからやめよう、という主旨は、僕の人格を根幹から否定しているから、こんなに悲しい気持ちになっているのだなと気づきました。今まで僕が村長に注いできた僅かばかりの思いやりも、無駄なものだと思われていたのかと。

それからホスト、キャバ嬢、お笑い芸人など、そういう相手を察して対応することを職としている人たちは、あの記事を読んでどう思うんだろうと思いました。

村長は寛容であるべきだとおっしゃっていて、それは必要なことだと僕も思ってはいます。ただ、僕の生き方を否定されてまで平気な顔をしていたら、いったい僕には何が残るんでしょうか。

今回の村長が書いた記事を読んで、非常に気持ちの悪いモヤモヤができて、それが今週のスノボ会の時に僕の中で言語化できて、一気に爆発したという感じです。

 

僕からの反論はこれ(原文ママ)

>>特に求められなかったから何もしない、のは人としてどうかとも思う。

これは完全に曲解。本文趣旨としては「言語化して要求していないのに何かをしてくれることを期待して、その“何か“が実行されなかったから不機嫌になる・怒るのはやめよう」という話。

だから、

>>僕は、相手の要求を察して動いたり、思いやって何かを提供していくのが好きだし、人間らしさの一つだと思っている。

これは僕も分かるよ。そのことを否定したりしない。僕だって誰かに「こうして欲しいんだろうな」と思って行動することだってある。むしろ世の中の人間関係ってそうやって回ってるだろう。
ただ、それはあくまで供給側の奇跡的な【思いやり】であり、感謝するべきものだ。受け手が「なんでそうしてくれないのか」と怒るとギスギスするから絶対にやめるべきだと思っている。

>>相手を思いやり合うという生き方は合理的でないからやめよう、という主旨は、僕の人格を根幹から否定しているから、こんなに悲しい気持ちになっているのだなと気づきました。今まで僕が村長に注いできた僅かばかりの思いやりも、無駄なものだと思われていたのかと。

これだけは絶対に否定したい。というか、僕はゴリに信頼と感謝を寄せていたからこそ、うるさく指示したりしなかったし、ゴリが可能な限りストレスなく働けるように色々調整しながら頑張ってきたつもりだった。
「要求したこと以外はやるな。ありがたくない」という主張は一切していない。もちろん感謝はいっぱいしてるよ。

 

 

で、最後に返ってきたゴリくんからのメッセージがこれだ(原文ママ)

じゃあごめん言い方が悪かった
思いやりのマッチが奇跡的だと思ってる時点で、村長の人間性の向上心の無さを疑っている。サービス業である以上、お客さんにより良いものを届ける気概が感じられない。僕はあなたが気持ち悪い。

 

この手の「振られる」メッセージをもらうと、本当にツラいし悲しい。

同時に、めちゃくちゃ腹も立った。いつもいつも身勝手なこと言いやがって。責任を取るのはいつも僕で、お前はさんざん不安定になれていいよな。好き勝手文句を言って、こうしてバックれることもできて、いいよな。

そんな怒りは飲み込んだ。これ以上やっても何の意味もない。お互いを傷つけるだけだ。意味のない反論はしない、いつもの僕のスタンスでいようと強く心に決めて、キーボードを叩いた。

「OK了解。今までありがとう」

こうして、僕たちは別れた。

 

この記事の件は単なるきっかけに過ぎなかっただろう。

ゴリくんの精神は消耗気味だったし、お互いのイライラもつのりがちだったから、遅かれ早かれ離別は見えていた。この記事は彼の中で言い訳として機能しただけだと思う。

それでも、この2点目の対立が大きな原因として働いていたことはたしかだろう。

 

ところで、僕はこの2点目の対立については、やはり今でも彼が間違っていて、僕が正しいと思っている。

1点目の「経営者と従業員の対立」はありふれた現象であり、どちらが悪いという話ではなかった。

だが、2点目については、違うと思う。無言の文化の住人のコミュニケーションは縛るコミュニケーションであり、人を幸せにしない。

この部分については、僕の考えは揺らいでいない。無言の文化の住人は少しでも減っていくべきだと思うし、減らしていくべく発信をし続けようと思う。

 

補足-ゴリくんに関するフォロー

以上、2点目についてゴリくんを責めるのに近い内容になってしまった。だが、僕は特に彼を貶めるためにこの文章を書いているワケではない。

僕は未だ彼に対して、どちらかといえば「ムカつく」という感情を持っているが、同時に、彼が色々と働いてくれたことや、彼の能力に敬意も払っている。もっと幸せな結論に導けなかった申し訳なさも感じている。

だから、彼の名誉のために、もう少しフォローを書いておく。この記事を、彼を知るものが読んだときのためにも。

 

まず、彼自身は決して悪い人間ではなく、むしろ良いヤツだと思う。

良いヤツであるがゆえに、「□□しなければならないのだろう」と思い、タスクを背負い込んでしまう。

このようなコミュニケーションになるのも、彼が「良いヤツ」であることから生じている。

そもそも、彼があの村に住み始めたのも「ナナシロさんがいなくなって、僕が困っていたから」だ。これを良いヤツと言わずしてなんだろうか。

 

また、彼は大いに繊細であり、あの村での暮らしは彼の精神に負荷をかけてしまっていたことは否めない。

ひっきりなしに来る客の対応や、不定期に発生するトラブル対応、定期的に舞い込んでくるイベントの準備、仕事と完全に切り離されたスペースが持てない環境……彼がイライラする時間が増えていったことの要因は、その暮らしも大きく影響していただろう。この冬、彼はよく体調を崩していた。

そして、そこを思いやる余裕が僕にはなかった。僕は、彼が体調不良になった時の対応を行い、彼のイライラを受け止めていたために、僕自身の精神もどちらかといえば「ムカつく」の方に針が触れることが多く、思いやることができなかった。

彼はその繊細さゆえ、自分を追い込んだり精神が不安定になったりしがちだった。僕もいっぱいいっぱいだったけど、もう少しだけ頑張って、彼の繊細さに敬意を払い、より優しい対応ができれば状況は違ったのかもしれないと思う。

 

この記事は僕の主観を交えて書いているため、どうしても僕が「ムカついた」対象は悪い印象になりがちだ。

だけど、彼は悪いヤツではない。きっと、僕と彼とはビジネスパートナーや同居人としては相性が極めて悪かった、という、ただそれだけのことだと思う。

 

思い出してムカつく部分は未だに色々あるけど、何年か経って笑い話にできるようになった頃、飲みに行けたら素敵だなと思う。

 

2018年3月 巻き直すための努力

ゴリくんとの対立、すなわち人間関係の摩擦によって大いに体力を削られていた僕は、3月になってそこから解放された。

この時の僕は、「ホッとした」という感覚と「巻き直さねば」という感覚が半々にミックスされていた。

無益な摩擦によって体力を削られることもない。本質的な仕事に体力を使える喜びを感じていた(ホッとしていた)

それと同時に、あの村という事業をどうにか健全化しなければならないと思った。改めて労力を投入するべき時期だ、と思った。

 

力を入れたものの1つに、「野蛮人制度」の実験がある。食費ゼロ・滞在費ゼロ・義務なしという求人だ。

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これは大いに面白かったし、様々な知見を得られた。社会実験的な喜びもあった。

 

また、友人でありライターであるジャンプ力に定評のある前田(@jumpmaeda )に、あの村の記事広告を書いてもらう依頼を出したりもした。

 

あるいは、村民に対して「体制を大きく変更します」という文書を出したりもした。

あいまいだったルールを明確にしたり、コミュニティ盛り上げのための新しい施策を打ち出したりした。

 

だが、今になって振り返って思えば、これらの努力も「使命感から出たもの」であったように思う。

出資者から出資を受けた以上、サービスの説明をして顧客を集めた以上、大風呂敷を広げてビジョンを語った以上、事業を完遂しなければならない、という使命感が僕にはあった。

僕は使命感から、立て直そうと頑張ってみた。

だが、結局それは的外れな努力だった。圧倒的な労力を投入して結果を出すためには、僕自身が面白がっていなければならない。使命感からの努力であってはならない。

結局のところ、僕は「あの村」というサービスにすでに飽きていて「サービスを盛り上げよう」という強い気持ちはなかった。

また、強い気持ちがなくなった理由として、飽きだけではなく、疲弊もある。あの村に関して起きた大量のトラブルやいざこざに疲弊していた、という要素もあるだろう。

使命感ではなく、昨年のオープン直後の、強い気持ちがあった段階でこの労力を投入できていればと思うと、後悔してやまない。

 

いずれにせよ、使命感から投入してみた労力はあまり長続きせず、4月の終わりには「新しいことをしたいな」という気持ちが大いに湧き出していた。

それでも、つい最近まで明確な意思決定をせず引っ張ってきたのは、たくさんのイベント企画や体験入村の予定が入っていたからだ。

これらの約束を身勝手に全バラシできるほど、僕の神経は図太くなかった。

だから、今まで通り、来客対応やイベント運営は実行した。その間、あの村の未来をどうしようかずっと考えていた。

 

 

「村長やめる」と決めた夜

5月から6月にかけて、ラッシュだった来客やイベントをさばききった。そんなある夜、僕は事業売却する方向性を決定した。

「そうだ、あの村を事業売却しよう」と決めたことに、何か明確なきっかけがあったワケではない。

今までに散々書いてきた要因が複合的に絡み合っての決定だ。飽きや疲弊、ビジネスとしての軌道に乗ってなさ、コンテンツ収率の高い暮らしへの渇望、そんなたくさんの要素が関係している。

また、入っている来客予定をほぼすべて消化し、常連となっていた村民が脱会したことも関係する。迷惑をかける人が最小になったこのタイミングこそがベストだと思った。

 

さて、この村作りが単なるマインクラフトであれば、スイッチを切って簡単に終了できる。しかしリアルビジネスの撤収は簡単ではない。

事業売却をしよう、村長をやめよう、と決めた後の僕には、撤収のための数々の気が滅入る仕事が待っていた。

馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。

しかし最後の一歩は、自分一人で歩かなければならないのだ

これは、ゲーテの言葉だ。

やめると決めたとき、あるいは決めてからの撤収作業をする時の僕の心境は、このゲーテの言葉がピッタリだった。

あの村をやってきた一年間、色んな人がやってきたり出ていったりした。

今、この最後の時、一緒に戦ってくれる仲間はいない。僕が全ての責任を負い、全ての決着をつけなければならなかった。

 

土地を貸してくれたオーナーに連絡を取った。出資者に連絡を取った。大口の支援をくれた人に連絡を取った。

「申し訳ございません」と、繰り返し言った。自分の愚かさが憎い、と思った。

しかし、全員問題なく了承してくれた。失敗だらけだったこの事業の良かったところをあえて挙げるとするなら、素晴らしいステークホルダーに恵まれたことだろう。いつか、恩を返したい。

 

そしてもちろん、村民にも告知をした。以下、村民の皆様への告知だ。

 

【村民の皆様へ、重要なお知らせ-「あの村」の今後について】
皆様、ご無沙汰しております。村長の堀元です。
さて、本日は、「あの村」の今後についてのお知らせをさせて頂きます。

結論から言えば、事業「あの村」に関して、事業売却を行って他事業者への事業譲渡を行おうと考えております。

その主な理由としては、
・最初の一年間で思ったような運用ができず、事業として軌道に乗せられなかった
・僕が飽きた

という2点が挙げられます。(これはかなりざっくりとした理由で、実際にはもっと様々な背景が密接に絡み合っておりますが、細かい話については文書化したものを近々公に出そうと思っております。今回は取り急ぎ大まかな点のご報告をさせて頂きます)

まず一点目について。
一般に、新しいサービスが世に受け入れられるためにはかなりの労力投入が必要です。
一年目には予想外のトラブル対応に迫られ、思ったよりもこの労力投入ができなかったことで、当初目標としていた村民数の獲得には全く届かないという結果になりました。(こちらはもちろん僕の能力不足や準備不足によるものなのですが…)
現状、継続的にやっていくビジネスとしてはとても回らない収益性しかありません。健全なビジネスにしていくためには、まだ大いなる労力投入が必要という、一年目と大差ない状況になっています。

続いて二点目について。
上記の労力投入については、これからやっていくという選択肢も存在するのですが、こちらもやるべきではないと判断しました。
僕自身、もうこのサービスを運営していくと何が起こるのか概ねわかってしまい、飽きているというのがその背景です。
ご存知の通り、あの村は昨年から運用体制が色々と変化し、責任を持って事業を行うのはもはや僕だけとなりました。
その僕が飽きている現状で、これから熱量を持ってサービスの普及に務めるのは難しいですし、そんな中途半端な姿勢でやっていってもうまくいくとは思えず、かえって失敗を広げるだけのように思えました。
※実際、今年の3月頃には新体制で事業を巻き直すべくある程度の労力を投入してみたのですが、やはりこれは使命感から出る労力投入に過ぎず、長続きもせず、結果は芳しくありませんでした。
※こちらの二点目の理由についてはあまりにも個人的で身勝手に思えたので書くのははばかられたのですが、まごうことない真実ですので、この部分をぼかして書くのは不誠実に思え、このような報告をさせていただきました。

以上二点の理由から、事業売却をしようという結論に思い至りました。(前述の通り、事業の仕組みとしては売却できるほどの収益構造があるワケではありませんので、車や建てた家などの有形資産、Webサイトやロゴなどの無形資産を中心に売却しようと思います)

売却の時期に関しては、現在村民権を一括買い切りしてくださっている皆様の村民権利はほとんどが今年の7月19日をもって切れる形になりますので、そこまでは現在の運用を続けていく見込みでございます。
また、売却先については、これから順次探して参ります。売却後の運用やサービス運営体制については売却先との交渉によって決定して参ります。売却先の意向によっては、サービスの趣旨自体が変更になる可能性もございます。その場合の、7月20日以降の権利を買い切りで購入している方への対応はまた別途相談させていただければと思っております。

以上、大変身勝手なお知らせで皆様にご迷惑をおかけすること、心よりお詫び致します。大変申し訳ございません。
売却先についての続報や、運用体制について新しい情報についてはこちらのスレッドで順次報告して参ります。
また、こちらの件に関するご不明点などございましたら堀元までメッセージをいただければ回答致します。どうぞよろしくお願い致します。

あの村 村長 堀元 見

 

これに対して、村民からは「面白い取り組みでしたね!お疲れ様でした!」という声も、「金払って損したわ」という声もあった。

本当に申し訳ないと思う。投稿する時、頂いたメッセージを見る時、手が震えた。無計画に広げた風呂敷をたたむのは、思った以上の痛みを伴った。

 

……これが、昨日の話だ。

以上、話が現在に追いついたところで、あの村の歴史を振り返るのを終える。続いて、商業的な評価にうつろう。

 

あの村の商業的な振り返り

一年間で、あの村の総売上は400万円ほど、使った経費は490万円ほどだった。全体としては90万円ほどの赤字が発生しており、これは僕の持ち出しで埋め合わせた。

一年目の単純な赤字の額としてはそれほど悪くない。事業というのは創業期はしばしば赤字になるもので、設備投資が必要になるあの村のようなモデルでは、これはむしろ少ないと言えるレベルだろう。

問題は、「これから順調に回収していくぞ!」という仕組みが全く作れていないことだ。

先月(5月)の売上は16万円ほどで、経費は6万円ほどだった。スタッフが僕一人になってからはかなりミニマムな運用になっていたので、一応黒字化はできていた。だが、これはほとんどがあの村で実施したイベントによる収益であり、僕が労力をつぎ込んで初めて発生する収益であるといえた。

一年目で仕組みを作れていないので、僕が労力をつぎ込むのをやめると売上は途端に落ち込んで赤字化するだろう。これでは、お世辞にも事業の一年目をうまく終えられたとは言えない。

 

つまるところ、今までにも何度も書いてきたように、村民(月額会員)をきちんと捕まえて盛り上げられなかった時点で、商業的には失敗している。

 

あの村から得たもの-僕は後悔していない

では、ぼくのキャリアの中でこの「あの村」というビジネスはムダだったのだろうか。

そうは思わない。得たものも色々あった。

第一に、今までに散々書いてきた「学び」だ。大きめかつ斬新なプロジェクトを自分で作ってみないと経験できないことがたくさん経験できた。1年間で、膨大な知見を得た。

第二に、「人間関係」だ。あの村があったからぼくに興味をもってくれた人との出会いは、非常に大きかった。

 

象徴的な人物は、愛知県新城市で古民家民泊を経営しているタカさん(@viatortaka )だろう。

タカさんと。シラフの男二人。

 

彼と出会ったのは、夏の白川郷だった。

あの村をきっかけに、白川郷での講演会に登壇依頼を頂いた。そこで一緒に登壇したのがタカさんである。彼もかつて「村作りビジネス」をしようとして失敗した過去があり、ブロガーでもあった

彼は途方もなくインテリで独自の視点を持っていながら、誰にでもあけすけに明るく対応する。僕の友人にはいないタイプで、あっという間に尊敬してしまった。

彼とは今でも懇意にしている。いつか一緒に仕事をしたいと思っている人の一人だ。

 

タカさんは、最も代表的な例にすぎない。あの村があったから発生した人間関係は驚くほどたくさんある。

「出会いが一番の成果物でした」なんてありふれたことを言うヤツは嫌いだけど、結局のところ、あの村を通して得られた一番のものは(「学び」という抽象的なものをのぞけば)人との関係だろう。

 

結局のところ、僕はあの村をやったことを後悔していない。

各論を言えば、後悔しているポイントはたくさんある。「あそこはもっとこうしていけばよかった」や「あの人には申し訳ないことをした」という後悔はたくさんある。

だが、「あの村」自体をやってみたことは後悔していない。ツラいこともたくさんあったが、全体としては楽しい時間だった。得たものもあった。

 

教訓らしきもの

それにしても、今回は本当に学ぶものが大きかった。

学生団体を崩壊させたり、訴訟を起こされたり、色んな失敗をするたびにたくさんの教訓を得るけれど、この一年で得た教訓は本当に本当に大きかった。

 

皆様にシェアするべく、今回の話から読み取れる教訓らしきものを書いてみよう。

 

①責任を負っていない人はたやすくいなくなる。

責任を負っていない人は、「ケンカした」とか「ストレスがたまった」とか「他社からいい条件で誘われた」とかそういう理由でいなくなる。

この辺の話もね……僕が大好きな借金玉さんが度々書いていることなのだけれど……自分でやってみて本当に骨身にしみたという感じだ。

何度も何度も読み返してきたこの名文を、僕はもっともっと胸に刻みこむべきだった。

起業失敗の話。起業を志す皆さんに敗残者からお伝えしたいこと より引用)

 

逃げることが可能な人間は、長期的には必ず逃げます。人間同士の無根拠な信頼関係なんて、一切信じるに足りません。

(中略)

信頼できるのは、リスクを背負った人間だけです。

僕はこれを「ザイルを結ぶ」と表現しています。

誰かが落ちたら皆で引き上げる、どうしてもだめなら皆で落ちて死ぬ。その覚悟が決まっていない人間を経営の中核に入れては、絶対にいけません。

 

提案なのだけど、これから起業する人は全員、借金玉さんがニューアキンドセンターで連載されている文章を写経することにしたらどうだろう。

読んだだけじゃ身にならない。写経くらいした方がいいんじゃないか。彼の文章を読んでいた僕も、自分の身に降りかかってきて初めて、ちゃんと事態を認識したからね。

 

②「人の未来への投資」はするな。「今の価値」にだけお金を払おう。

①から当然のように導かれることなのだけれど、「こいつがこれからたくさん働いてくれるなら、今は損でもお金を出しておこう!」みたいなお金の出し方は最悪だ。

人はいなくなり、未来のために出したお金はまるごと捨て金になる。人はいなくなる想定で、今生み出してくれる価値にだけお金を払おう。

人材教育なんて大手企業に任せておこう。

 

③自分一人で完結するビジネスこそが正義だ。

僕はこう思う。自分一人で全てが完結するビジネスが正義だ。川上から川下まで、全ての業務を自分一人で遂行できるものこそが正義だ。

もちろん、「手足」は雇ってもいい。人手が足りないときに単純労働をしてくれるスタッフは雇っていい。

だが、「こいつがいないと回らない」みたいな人間を持つのは良くない。そのことによってあまりにも不確定性が増えすぎてしまう。

理想的な起業の流れは、「自分一人で十分回せるものをはじめてみる」→「軌道に乗って儲かる」→「人手が足りないから人員を増やそう」だ。

書いていて、あまりにも当たり前だし、色んなところに書いてあるセオリーだなと思う。

それでも、当時の僕はそんなことを理解していなかった。頭では認識していたのかもしれないけど、ちゃんと理解してはいなかった

 

④創業期の売上で調子に乗るな。長くは続かない。

人件費に対する、いや、あらゆる経費に対する僕の財布のヒモが緩んだのは、創業期に天狗になったからだった。

 

創業期においては、皆からの応援が大量に集まってきて、売上も大きくなる。

だが、これはある種のボーナスであり、ビギナーズラックである。これが続くと思ってはいけない。

ここで調子に乗って人件費やその他の経費を色々と出した僕がどうなったかは、ここまでの振り返りで分かるだろう。

 

⑤責任を分散させるな。独断で、全てを進めろ。

振り返ってみれば、あの村の体制、というより僕の態度は非常に中途半端だった。

「決めるのは僕だ」と周囲に宣言しており、決定権は僕が一人で握っていたにも関わらず、僕は独断で何かを決めるのが怖かったのだと思う。

「相談しましたよ」「合意を取りましたよ」というポーズをよく取った。

 

愚かだった。限られた時間という資源を、そんなポーズのために使うべきではなかった。

僕が一人で責任を取る体制だったのだから、ポーズなど全く必要なかった。「こうする!」と宣言すればよかったのに。

それでもポーズを取ってしまったのは、僕が弱かったからだ。失敗したときに「皆で決めたことじゃないか」と言いたかったからだ。

この責任逃れは、中途半端でよくない。皆で決めた納得感があろうとなかろうと、どうせうまく行かなければ人は離れていく。ならば独断で決めたほうがいい。

 

⑥飽きないうちが華。熱量がマックスの時期に狂った労力をぶち込もう

グラフでもお見せしたが、新サービスは最初の谷を越えるのがとにかく大変だ。

だから、立ち上げ時期のアドレナリンがドバドバ出ている間に、狂った量の労力を注ぎ込むべきだった。

もちろん、このことは元々分かっていた。そして「想定外のトラブルが多かったから」労力を思ったよりかけられなかった。

仕方ない部分もある。だが、今になって思えば、想定外のトラブルによって時間が圧迫されたなら、その分睡眠を削ってでも、無理をしてでも労力を注ぎ込めばよかったのかもしれない。

 

⑦あなたにとっての「コンテンツ収率」を大事にしよう

僕が生活の中で重視している「コンテンツ収率」だが、結果としてあの村の暮らしはこの「コンテンツ収率」を下げるものであり、それが大きなストレスになった。

起業とは一大イベントであり、たいていの場合は「暮らし」をも飲み込んでしまう。

あなたが暮らしの中で重視しているものはなんだろうか?それはその起業によって失われないだろうか?考えてみるといいだろう。

 

現在の僕の心境-賭博破戒録カイジの冒頭

数日前、学生時代の恩師と久しぶりに会食をした。

あの村の事業売却を決めたとき、この恩師には真っ先に連絡をした。

というのも、彼こそが「あの村」事業に対して出資をしてくれた出資者だからだ。

 

彼が取っていてくれた予約は、僕が絶対に自分のお金では行かないであろう、ホテルの最上階のフルコースだった。

近況報告もそこそこに、彼は「これからのビジョンを教えてくれ」と言った。

僕は、次にやっていく事業の話、これからの僕が作っていくものの構想について、大まかに説明した。

 

彼は、「ああ。それならよかった。まだまだ燃えているようじゃないか」と笑っていた。

2016年の年末、彼に「お金を出してください」とお願いしに行ったときのことを思い出す。あの時の僕は彼に「失敗したら就職するかもしれないですね」と伝えていた。

今回の事業売却の連絡をした時、彼の脳裏には、僕のあの時の弱気な発言が現実になるのではないかという考えがよぎったらしい。

「堀元が、就職しますなんて言い出したらヤダなと思ったよ。でも、そんな心境じゃないんだね」

上品な焼き目がつけられた白身魚のグリルを口に運びながら、彼はそう言った。

僕はそれを受けて、答える。

「そうですね。反省点は多いですが、全然ヘコたれてはないです。賭博破戒録カイジのド頭の心境ですね」

何だそれ、と、彼は笑っていたが、僕は非常に上手な表現だと自分で思っていた。

 

賭博破戒録カイジ(シリーズ2作目)の冒頭では、「あわれなギャンブル中毒者」としてのカイジの姿が描かれる。

1000万近い借金を負うばかりか、耳を切り落とし、指4本を切断されるというボロ負けを体験したばかりだというのに、カイジは「ギャンブルがしたい。次は勝てる」としか考えない。

彼はあわれで愚かだ。客観視すれば自分があわれで愚かなことは明らかなのに、それでも「次は勝てる」と信じてやまない。

僕の心境はこのときの彼に似ている。

僕が次にやっていく事業のプランは、大体固まった。今僕は、「次は勝てる」と信じてやまない。愚かだと笑って欲しい。それでも僕はどんなに笑われようとも、「次は勝てる」と思っている。

 

2016年の年末の僕が言ったことは取り消す。就職する気など、サラサラない。次は勝てる。

 

「次」のこと-原点に戻る。「あそび作り」をやる

さて、全体的に暗い話になってしまったこの記事の締めくくりには、これからのことを、「次」のことを書こうと思う。

当然ながら、同じ失敗はしない。次の事業では、今回の教訓を全面的に活かす。

 

僕が次にやることは、一言でいえば「新しいあそびかたの整理と布教」だ。

 

先日、「あそびカタン。」というWebサービスを譲渡されたと書いた。

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これは、「あなたのオリジナルの遊びカタを投稿できますよ」というサービスだ。僕の大好きなサービスで、ずっと欲しかったものだ。

このサービスは、本当に優れている。世間に対して唯一無二の価値を提供しているのだ。

 

Googleで「あそびかた」などと調べてみると、ゲームの説明書や幼児との遊び方ばかり出てくる。

「大人 あそび」などと調べてみると、お出かけスポットやアウトドアスポーツの情報ばかり出てくる。

どんな検索ワードで調べても、非リア充の大人が地味に遊ぶ方法がまとまったページに行くことはできない

あそびカタンは、そこをケアしている唯一のサービスだ。だから、広げていきたいと思った。

 

僕は最近でこそ「仕事は村作りです」と説明することが多かったが、大学を卒業してから一年半はずっと「あそび作りのプロです」といい、あそび作りを仕事にしてきた。

そして、たくさんのあそびを作ってきた

今回、僕は原点に戻る。「あそび作り」をやることにする。

また、自分が作るだけではなく、皆に作ってもらう。作ってもらったものを「あそびカタン。」にまとめて、整理する。

そして、それらのあそびを実際に体験してレポートし、評価し、布教していく。

 

世の中に新しいあそびかたが生まれるサポートをしたい。

新しいあそびかたに、皆がもっと簡単にアプローチできるようになってほしい。

 

そんなモチベーションで、「次」をやっていく。

「新しいあそびかたの整理と布教」をする人になる。肩書きは多分、「あそびかた開発者」みたいな感じだろう。そこはまだ考え中だけど。

「次」については、一週間以内にまた詳しくまとめたものを記事にしようと思う。この記事はもうあまりにも長すぎるから。

ただし、この「次」の構想については、今回の反省と教訓を十分活かしたものになっていることをお約束する。

 

「次」に向けて、あなたにお願いしたいこと

長い長い記事を、ここまで読んでくれた皆さんには、心からの敬意を表明したい。ありふれた僕の失敗と教訓、それから、愚かにもまた進もうとしている次のプランを楽しんでくれたなら幸いだ。

読んでくれたついでに、もしよかったら、僕のこれからに向けて協力して欲しい。

以下の①〜④に、協力して欲しい内容を挙げる。どれでも構わないから、無理のない範囲で協力してくれたら、心から感謝する。

  1. 「あの村」事業を買って欲しい。買いそうな人を紹介して欲しい。
  2. 投げ銭をして欲しい
  3. 僕のことをフォローして欲しい
  4. この記事を拡散して欲しい

 

以下、一つずつ詳述する。

①あの村事業を買って欲しい。買いそうな人を紹介して欲しい

そのままだ。「あの村」事業を購入するか、購入しそうな人がいたら紹介して欲しい。

ちなみに、希望売却価格は120万円だ。早めに決めたいのでかなり割安にした。

皆さんは疑問に思うかもしれない。何に120万円もの価値があるのか?と。

事業「あの村」は、散々語ってきたように、儲けの構造を作れてはいない。事業としての価値はゼロに近いだろう。

だが、あの村は多くの資産を抱えている。

あの村事業には累計400万以上の投資をしてきており、物理的なモノだけで170万円以上(原価)の資産が残っている。

以下に、主な有形資産を示す。

  • 自動車税支払い済の軽トラ(15万)
  • 自動車税支払い済のボロボロのエスティマ(10万)
  • ソーラーパネル3枚(4万)
  • バッテリー(5万+1万)
  • PC類(総額20万くらい)
  • 家×2(原価で60万くらい)
  • ヤマハ発動機(5万円)
  • ツリーハウス(原価で10万くらい)
  • チェーンソー、丸ノコ、インパクトドライバーなど電気工具系(10万くらい)
  • のこぎりなど細かな工具類(5万くらい)
  • ティピーテント(5万くらい)
  • あの村オリジナルつなぎ(10万)
  • その他、食器やサバイバル用品など(5万)
  • ニワトリ*4(1万)
  • 物置小屋(原価で10万くらい)

以上、合計で175万円になる。

ここには計上していないが、多額の工事費と膨大な手間をかけて引いたネット回線のようなインフラ系の資産も存在する。

 

また、無形資産として、このようなものが挙げられる。

  • Webサイト(https://anomura.jp )
  • 野蛮人求人サイト(https://anomura.jp/yabanjin )
  • あの村のロゴなどの著作権
  • これまでの歴史&実績写真
  • ノウハウの提供
  • 1700ファンがつき、イベント集客に大きな力を持つあの村のFacebookアカウント
  • 1400坪の土地を月2万5000円で借りられる、2026年までの借地権(土地は山奥で、何を作ってもいいし、どんなに騒音を出しても問題ない。都市計画区域外)
  • 敷地近くの駐車場使用権利

 

以上、上記の有形資産(170万以上)と無形資産をセットにして、120万円で売りたいと思っている。

事業を引き継ぎたい方にも、あの村の残した資産を活用して別事業をやりたい方にも、山奥に別荘が欲しい方にも、山奥で最低コストで生活したい方にも、大いにオススメできる内容だと思う。

もう少し詳しい情報を知りたい方は、興味を持ってくれた法人1社に対して先日説明した資料があるのでこちらを参照されたい。

また、この資料は口頭で説明するのを前提に作ったので、不明な点があるかもしれない。その場合や、購入検討のための下見をご希望の場合には堀元見のSNSなどにお気軽に問い合わせて欲しい。

ただし、購入する気持ちがないのに問い合わせるのはやめて欲しい

 

また、もしあなたの身の回りでこのような買い物がしたいと思われる人がいたら、「こんな募集があったけど申し込んだらどう?」という形で紹介してもらえると大いに助かる。

追記:この記事を書いた一週間後に、購入者が確定した。

CAMPFIRE社の家入一真氏が購入に手を挙げてくださり、正式に彼に譲渡することになった。今後のあの村の動きについては彼の発信を参照されたい

 

②投げ銭をして欲しい

前述の通り、僕はまた新しい事業を始める。

開発やプロモーションのためにも、資金はあればあるほど良い。

だから、この記事を楽しんだなと思ったら、あるいは、僕の今後のビジョンが面白そうだなと思ったら、投げ銭をして欲しい。今後に向けて、有意義に使わせていただく。

投げ銭用のポルカはこちら→今後に向けて投げ銭下さい

投げ銭の振込先はこちら↓

楽天銀行 第二営業支店(店番 252)
口座番号 7635147
株式会社 つくってあそぶ

 

③僕のことをフォローして欲しい

ここまで読んでくれたあなたは、きっと僕の書く文章や僕のビジョンに共感してくれる人だと思う。

だから、僕のことをフォローして欲しい。「次」に向けて、僕は全力で動き出す。僕の発信を時々読んで欲しい。時々一緒に遊んで欲しい。時々協力して欲しい。

その第一歩として、僕のことをフォローして欲しい。

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④この記事を拡散して欲しい

①〜③の目的を達成するために、少しでも多くの人にこの記事が届けばいいと思う。

だから、あなたのよく使っているSNSで、あるいは口コミで、この記事を拡散して欲しい。

この記事を書くにあたって、多くの葛藤があった。思い出すのが嫌な部分もあったし、人を傷つけてしまうのではないかと思いもあった。誰かに叩かれるのではないかという思いもあった。

それでも、この記録を克明に残しておくために、そして僕の「次」のために、2万文字にもおよぶ文章を書き上げた。

この記事が一人でも多くの人に届いて欲しい。そうでないと、身を削りながらこの文章を書いた意味がなくなる。

拡散に協力してくれたら、あなたの助力に対して心から感謝する。

 

まとめ 

以上、あまりにも長く暗い文章に目を通してくれて本当に嬉しく思う。

僕は、これからも度々失敗しながら生きると思う。その度にこうして体験をコンテンツにする。

皆さんに笑っていただけたら、それだけで救いになる。どうかこれからも、笑って欲しい。

 

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author
Ken Horimoto
堀元 見

仕事は「新しいあそびを作ること」。異常なイベントを企画したり異常なWEBサービスを作ったりしながら生計を立てています。

好きなものはトンカツとインターネット。あと人の悪口。(性格が)悪そうなヤツはだいたい友達。

承認欲求の塊なので、フォローはお気軽に。