こんにちは。非日常クリエイターの堀元です。
僕は最近、千葉県金谷のコミュニティスペース「まるも」に、やたらお世話になっております。
先日も、このまるもに一泊で遊びに行き、素敵な体験を積ませてもらいました。
主には、以下の二つです。
- 「鶏解体ワークショップ」への参加
- 「田舎フリーランス養成講座」講師
この二つの経験を通して、人生を考える上で必要なことが見えてきました。
ズバリ、人生を考えるために必要なものは「体験」と「場所」です。
今日はそれについて書いてみます。
鶏解体ワークショップ
まるもで行われている「田舎フリーランス養成講座」の受講生数名と一緒に、鶏を解体しました。
鶏の捕獲
鳥小屋で元気に動き回る鶏たちを…
必死で捕獲する参加者たち。
ちなみに僕はまあまあ運動音痴なので、この手の作業は苦手です。
10分くらい必死で空振りを繰り返した後に、無事捕まえられました。
この日、千葉は大変な寒さだったのですが、捕まえた鶏は温かったです。
鶏は意外にも、羽を抑えると暴れない。おとなしい鶏の体温が手袋越しに伝わってきて、生きてるんだなって、アタリマエのことを思いました。
屠殺
頸動脈を切って、鶏を屠殺しました。
皆初めての経験だったので、一発でキレイに決めるのは無理でした。
僕も、鶏の首に何度も何度も包丁を突き立てました。細い首は思った以上に頑丈で、かなり強い力を込めて包丁を突き立てる必要がありました。
僕が殺した鶏は失血死した直後、筋肉の収縮で激しく羽根を震わせました。
はっきりした形で命が失われた感覚がありました。
余談ですが、頸動脈の場所がよく分からず主催者の滝田さんに確認したところ、「ココらへん!」と自分の首を指差していました。
僕は、
と思いました。
羽根をむしる
鶏の羽をむしっていくと、あっという間に鶏肉になっていきました。
頭が付いた鶏肉は中々ショッキングで、鶏肉って元々生物だったんだなと、やっぱりアタリマエのことを感じます。
解体する
鶏に包丁を入れていき、各部位に分けていきます。
特に面白かったのは、手羽を切り離すところ。
根本の関節を切ってから、全力で手羽を引っ張ります。
すると、手羽と胸肉が一緒に剥がれて、ササミだけが残ります。
僕は今まで、肉の部位なんて、
と、適当に決めていると思っていました。生き物の体なんだから、明確な境界線なんて無いと思っていました。
でも、胸肉を剥がしたらその下に残るのがササミなんです。疑いようが無いほどはっきり分かれているんです。
解剖学の面白さって、こういうことなのかな、と思いました。
食べる
解体した鶏は、もちろんその場で頂きました。
鶏のつみれ汁。鶏がらだしだけ、昆布も鰹節も使わない味噌汁は本当に美味しかったです。
という、バカみたいなアタリマエの感想を大きな声で言いました。
鶏とカブの煮物。信じられないくらい美味い。
ちなみに、全ての料理をまるもにいるプロの料理人が作っているので、良い素材×良い料理人で、とんでもなく美味しいです。
中でも圧巻だったのが刺し身。
ハツも砂肝もとんでもなく美味しい。レバーなんて地球上で一番美味いんじゃないかと思うくらい美味しかったです。
屠殺ワークショップで感じたこと
定番の感想は、僕の中に無かった
こういう解体ワークショップに行くと、定番の感想は
みたいな感じですよね?
ところが、僕はあんまりこういう実感はなかったです。
という感じです。
僕は昔から感情がどこか覚めていて、卒業式で涙ぐむことができないタイプでした。今回もそれと同じで、定番の感想は無かったです。
僕にとっての今回の解体は、どうなるか分かっている科学実験みたいなもので、「ああやっぱり生き物なんだな」という確認に過ぎませんでした。
一撃で殺したい
それ以上に、僕の頭にあったのは、屠殺の時の
という気づきでした。
僕は割とドライなタイプで、「命を犠牲にしてるのだから残さず食べなさい」みたいな説教がとにかく苦手です。
と思ってしまいます。
そんな僕ですが、鶏は一撃で殺したかったです。外してムダに苦しみを増やしたくなかった。
だから、最初に刃を入れたのに血が噴き出なかった時は
と、大きな声で言っていました。
そして、必死で切り直しました。何だろうあの罪悪感は。
分析してみると、理由は「功利主義」なんだろうと思います。
功利主義っていうのは、幸福の総和を大きくするのが正義だ、みたいな考え方です。
思い返してみれば、高校生の頃に倫理で習って以来ずっと、ベンサムの功利主義が好きでした。
正義という形の無いものを、こんなに短く定義できるなんて最高にスマートだな、と思いました。そして今でも、幸せの総和が大きくなるのが正義に決まってる、と思っています。
あまり意識していませんでしたが、僕はものを考える時の土台が功利主義なんです。
だからこそ、「命を犠牲にしてるのだから全部食べなさい」の論法は納得行かないんです。僕が食べようが食べまいが殺した生き物の数は変わらない。無理して食べるから幸福の量はむしろ小さくなる。
一方、今回の鶏のケースは非常に分かりやすいです。食べられるものの量(そして食べる者の幸福の量)は同じだから、なるべく苦しみが少なく殺してあげた方が、幸せの総和が大きくなる。
だから僕は、どうしても一撃で殺したかったんだ。
自分の中の功利主義にも気づけるワークショップになりました。
僕は心から自給自足を求めていない
今回のワークショップを通して、僕は少なくとも本気で自給自足の暮らしを求めている訳ではないのだと、強く実感しました。
今回は非常に楽しくやれて、面白いワークショップでした。鶏解体の経験を積めたことも非常に大きかったです。
ただし、
と思いました。
それは、前述したような「かわいそうだから」みたいな理由ではありません。僕は「かわいそう」みたいな殊勝な感情はほとんどありませんでした。
しばらくやりたくない理由を考えてみると、単純に「作業が大変すぎるから」だと思います。
「鶏を自分の手で解体して、食べる」という経験はそりゃもう素晴らしいものでしたが、僕はこれを生活の中に組み込みたくはありません。
「自給自足の暮らし」って、最近やたらめったら持ち上げられてるのですが、やっぱり良いことばかりではないと強く思います。
鶏肉をちょっと食べたい時に、今回の作業をしなければならないのは苦痛でしょう。
もちろん、そういう自給自足の暮らしを本気で求めている人もいると思いますが、少なくとも僕は違うんだなと思いました。
こういうこと言うと、
と怒られそうですね。僕は「あの村プロジェクト」というプロジェクトで、ゼロからの村作りをやっています。
でも違うんです。今回のワークショップがそうだったように、自給自足の暮らしは未知の「非日常体験」としての面白さに溢れているのです。
僕は非日常クリエイターとして、この非日常体験を皆様にお届けする場所が欲しいのです。僕自身の理想の暮らしは自給自足ではないんだろうな、と感じました。
来年、僕は半ば千葉へ移住します。あの村プロジェクトを軌道に乗せるために、お客様と一緒に村作りをしていきたいと思っています。
しかし、そこでの僕のベースも、「自分が自給自足の暮らしをする」というよりは「お客様に村作りの体験を積んでもらう」ことに置くべきだな、と思いました。
そんなことを感じたワークショップでした。
思い切り新しいことをやると、新しい所見が生まれます。
ちなみにこちらのワークショップは、ベジタブルサークルを運営してらっしゃる滝田さんのワークショップでした。
素晴らしい体験をありがとうございました!!
田舎フリーランス養成講座の講師
話は前後しますが、この鶏解体ワークショップの前日、僕はまるもでの田舎フリーランス養成講座の講師をしました。
フリーランス志望の方々の前で、偉そうに喋ってきました。
こちらも非常に面白かった。
「好きなことをする」と「お金を稼ぐ」の関係
今回は、パネルディスカッションみたいな形で進めました。
上の写真は一緒に話したブロガーの藤沢(@fujisawaatsushi)さん。
メインテーマは「やりたいことをやる」と「お金を稼ぐ」ことの関係でした。
僕も藤沢さんも、所得は決して多くありません。
しかし、僕も藤沢さんも、やりたいことを好きなようにやりながら生きています。
表情にも何となくオチャラケ感があります。
一方、「しっかりお金を稼いでナンボでしょ」というまるもオーナーの山口(@ikechan0201)さん
今回はほとんどの時間、「藤沢・堀元連合軍」VS山口さん という構図でした。
山口さんは至るところで、僕らに不安な話をしました。
しかし、僕と藤沢さんの反応は終始同じで…
ビックリするほど話が頭に入ってきませんでした。
多分、山口さんと僕たちとでは、優先順位が全然違うんだと思います。
「稼ぎたい」の山口さんは、毎日きちんと安定して暮らしていけることを優先しているけど、「やりたい」の僕たちは、今日が一番面白いことを優先しているんです。
山口さんは言いました。
この山口さんの考え方は、きっと大人として正しいのでしょう。彼は安心感があるのが素晴らしいことだとしている。
でも、僕と藤沢さんにはさっぱり響きません。僕らは今やりたいことをやれるのが一番大事だから。
みたいなシーンが何回もありました。
講義の結論
この講義の結論は、皆が必ずこの線分のどこかにいるんだろうということ。
自分の優先順位によって、左寄りなのか右寄りなのかが分かれると思います。
僕と藤沢さんはかなり右寄りだし、山口さんはかなり左寄りなのでしょう。
もっと中間的な人もいると思います。
どこに自分の優先順位を置くのか、考えておく必要がある。
「お金を稼ぐよりも、自分のやりたいことをやる」タイプなのに、ひたすら「お金になるから」という理由で何かをやり続けたら、その人はきっとストレスを感じるでしょう。
「やりたいことをやるよりも、お金を稼いで安心しておきたい」タイプなのに、ひたすら「やりたいのはこれだと思うから」という理由でお金を稼げなくなったら、その人はきっとストレスを感じるでしょう。
それぞれのタイプに、良いことも悪いこともあるんでしょう。素直に自分がどのあたりなのかを考えて、それに応じた戦略を立てる必要があるな、と言う話をしました。
後半は受講生の皆も巻き込んで会話をしたので、結構盛り上がりました。
そしてこの講義が終わった後も、皆の議論は終わりませんでした。
価値観をぶつけ合う議論
など、大変興味深いフレーズが飛び交って、非常に面白い場所でした。
僕たちは夕食を食べながら、この議論を続けました。夜が更けるまで。
でもどちらをどのくらい優先するかっていう話で、僕は自分のイベントの純度が下がるよりは、スポンサーが付かないことを選択したいんだよね
こんな調子の議論が、本当に楽しかったです。
ゆっくり議論できる場所、考えられる場所で、自分の価値観を見つめることができるって素敵ですよね。
必要なのは「体験」と「場所」
今回の金谷滞在では、「体験」と「場所」に恵まれました。
鶏解体ワークショップという体験と、フリーランス養成講座後のまるもという議論の場所。
きっと、人生について考えるために必要なのは「価値観をむき出しにする経験」と「じっくり考えられる場所」なんだろうと思います。
鶏解体ワークショップで、自分の中の功利主義があぶり出されました。自給自足生活への憧れの無さがあぶり出されました。
新しいショッキングな体験は、自分の価値観をむき出しにしてしまいます。
フリーランス養成講座後の議論では、価値観についてひたすら考えました。持論をぶつけ合いました。
金谷は海に近いスポットなので、夕日を見ながら一人でじっくり考えることもできました。
議論の場所や考えに耽る場所があることは幸せだな、と思いました。
人生を考えるために必要な「体験」と「場所」。
今回のまるも滞在で、その必要性を強く感じました。
体験と場所を、これからも大事にしていこう。
そう感じた二日間でした。
そして、まるもの田舎フリーランス養成講座には、そんな体験と場所が溢れています。
今の暮らしに必死すぎて人生を考えられていない方は、受講をご検討してみてはいかがでしょうか?
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