取材を受けていると「大学生の頃の自分に何かアドバイスするとしたら?」と、よく聞かれる。
僕はその都度
と答える。僕は今やっているイベント業みたいなことを大学生の頃からやっていたのだけれど、当時の収益はせいぜいトントンか、やや赤字と言ったところだった。
そう、アレはホントウにダメだった。大学生のときの僕は子どもで、「良いものを作るのが一番大事。金になるかなんて全く気にしない」という状態だった。
この発想、気持ちは大いに分かるんだけど、落とし穴にハマりがちな発想である。よくない、と今なら断言できる。
今日は、そんな話について。
売れないバンドマンよりも、ミスチル。
その辺にいる売れないバンドマンが、こんな言葉を口にするのを想像してほしい。
「俺らは、良い音楽をやってるから。売るために音楽やってるワケじゃないからさ。だからお金を稼げてないんだよね。でも、それでいいんだ。良いものを作れれば満足だから」
ありありと想像できるのではないだろうか。実際、こういうことを口にするバンドマンは多いし、売れない役者も、売れない画家も、よく似たようなことを言っている。
言葉自体は、正しいと思う。「良いもの」を作ることこそがクリエイターの第一の使命だ。
大学生の頃の僕もそう思っていた。世間を気にするのなんてダサい。売れるものを作るより、良いものを作る方がいい。
だが、残念なことに、「良いものを作るのが大事だから、儲けはどうでもいい」と考えている人のほとんどが良いものを作れていないのだ。
その言葉を免罪符にして、独りよがりなゴミみたいなものを作っていることが多い。
そして、皮肉なことに、ちゃんと売れている人の方が、良いものを作っている。
僕はこの現象を、「弱小バンドマンよりミスチルの方がいい歌を歌う」と形容することが多い。
なぜ、こんな現象が生じるのだろうか?
それは、資本主義が持つ、以下の特性に起因する。
「金」は「定規」である
お金には、色々なものに交換できるという機能がある。
そしてもうひとつ、作ったものの価値をはかるための定規という機能もある。
これが非常に重要だ。以下、詳述しよう。
すごく基本的なことを言うが、無価値なものは、売れない。
誰も良いと思ってないもの(つまり、良くないもの)は、当然ながら買い手がつかない。
逆に言えば、買い手がついているということは、何らかの価値がそこに存在していると言える。
これは、作り手の指針としてすごくありがたい。
「こないだのあの曲は売れなかったけど、この曲は売れた!」という体験は、「今回の曲は少なくとも無価値でない」ということの証明になる。
そう、「お金を稼ぐ」は価値を生んでいることの証明になる。「今作っているものに、価値はあるのか?」を教えてくれるのだ。便利な定規だ。
そして、この定規を放棄してしまった人は、無価値なゴミを作り続ける傾向にある。
一つ、例を挙げよう。
ゴミみたいな漫画を描き続けるAさんの話
僕の友人に、自称漫画家がいる。仮にAさんとしよう。
彼は、全く売れていない。食っていくどころか、同人活動をほそぼそとしているだけで、いつも赤字を出している。
詳しく聞いたことはないけど、親が資産家らしく、親の庇護のもとで生活しているらしい。
彼もやはり、よく言っている。「良いものを作る方が大事だから。売れることは大事じゃないから。オレはワンピースを描きたいワケじゃないから」と。
だが、彼が描いているマンガは、売れていないのはもちろん、良くもない。
僕は大のマンガ好きであり、マンガリテラシーは低くない自信がある。何千・何万というタイトルを今まで読んできている。
そんな僕であるから、「ワンピースなんて大したことねえだろ」と言いたくなる彼の気持ちはよく分かる。僕だってワンピースをそれほど高く評価しているワケではない。まあ国民的マンガになる理由は分かるよね、という感じで読んでいる。
だが、彼のマンガに比べるとワンピースの方がずっと「良い」ものであると思う。
ここでも、冒頭の「弱小バンドマンよりミスチルの方が良い歌を歌う」が発生している。
Aさんに足りないのは、「売れるものを作ろう」という意識だ。ワンピースのようなメガヒットじゃなくてもいいから、少なくとも赤字にならないくらい、いつかは自分の人件費くらいはペイできる、それくらいのものを作ろうと思わないといけない。
Aさんは金を稼ぐ(市場からの評価を得る)ことを諦めた結果、独りよがりに無価値なものを作り続ける人になってしまった。
クリエイターは、「売れるより良いものを作る方が大事」を言い訳に、独りよがりな無価値なものを作ってしまいがちである。
だからこそ、「売る」という価値の定規を、制作活動のコンパスを、放棄すべきではない。
「売れることよりも良いものを作る方が大事」は結構だが、「全く売れなくてもいい」と考えてしまってはいけない。
定規を放棄してめちゃくちゃな寸法でつくったネジは、どのネジ穴にもハマらない。ただのゴミだ。
大学生の頃の僕は、定規を放棄していた
大学生の頃、僕は定規を放棄していた。
運営していた学生団体で色々なイベントをやっていた時期の僕は度々「良いものを作るのが大事だから!儲けはどうでもいいから!」と言っていたのだ。
この頃作っていたイベントのクオリティは、おそまつなものだった。
「利益をちゃんと出そう!」と思いながら作った方が、結果として「良いもの」ができただろう。
僕もAさんのことを何らバカにできない、定規を放棄してゴミを作ってしまっていた一人だ。
だからこそ、大学生くらいの若い人には、僕らと同じ過ちをおかして欲しくない。
「金を稼ぐ」という定規を、放棄しないでくれ。
ゴミを作る人にならないために、その定規は持ち続けていないといけない。
最低限、自分たちの人件費や諸経費はちゃんと捻出できる、そのくらいは売れるものを作ろう。
まとめ
「金を稼ぐよりも、良いものを作る方が大事」は、悪魔の言葉だ。
言葉自体は正しいのに、いつのまにか定規を放棄する言い訳になって襲ってくるのだから。
良いものを作る方が大事なのは間違いない。だが、この悪魔の言葉にそそのかされて、定規を放棄してはいけない。
ゴミを作るな。価値あるものを作ろう。
以下、補足
伝わりにくい部分、誤解があると嫌な部分について、以下で補足していく。
補足①-「大衆ウケ」は狙わなくてもよい
本記事で主張したかった内容は「利益を最大化するものを作るべきだ」という話ではない。
「全く売れないものはダメだ。最低限、自分たちの人件費や経費をまかなえる必要がある。そうでなければ独りよがりに陥っている可能性が高い」という内容である。
したがって、「およげたい焼きくん」(日本で一番売れたCD)が最高の邦楽なのかと言われれば僕はそうは思わないし、そのことと今回の記事は矛盾しない。
本記事は、「大衆ウケを狙え」という主張ではない。
僕の親友にジャンプ力に定評のある前田という男がいる。
彼は、ものすごくシュールな記事を書くライターで、世間の99.99%に理解されないコンテンツを作りまくっている。しかし、ごく少数の人に大いに気に入られてごく少数から大きなお金をもらって生活している。
彼はAさんとは違う。ごく一部にしか受けいられてないが、確かに評価されているし最低限「売れ」ている。
ジャンプ力に定評のある前田は、「売れることよりも、良いものを作る方が大事」を正しい意味で実践している男だろうと思う。
この言葉は、「大衆ウケを狙うよりも、少数の対象がすごく気に入るものを作ろう」と言い換えるならば悪魔の言葉ではなくなる。
補足②-ゴッホは良いものを作っていたが全く売れなかった
今回の話をややこしくするのは、ゴッホのような「全く売れない」界のスーパースターが存在することである。
確かに、「良いものを作っていれば必ず売れる」という主張は偽であろう。ゴッホのような先人が証明している。
だが、だからといって「売ることを放棄してよい」という話にはならない。
良いものを作っても売れない時はある、だが、最低限売るための努力はし続けるべきであろうと思う。
補足③-ゴミを作って儲ける「資本主義のバグ」も存在する。
「無価値なものは、売れない」という主張を前半でした。
これは必ずしも正確ではない。「詐欺」を始めとする、無価値なものを売りつけるスキームもごく少数ながら存在する。
僕はこれを「資本主義のバグ」と呼んでいる。以下の記事に詳しく書いた。
だが、このような例外は、今回の論旨に大きな影響を与える話ではない。
あくまで補足情報として、ここに述べておく。