突然ですが僕は、Twitter上の評判がすこぶる悪いです。
ケンちゃんはツイッターだと怖いよね
— ほなみん♡愛され図々力 (@honamin_____) June 6, 2018
実はこの怖いキャラクターは、意図的にやってます。
何なら「優しくなっちゃう」のを自分から抑制してるんだよ、という話を今日はします。
ネット上で印象が悪い理由
僕はわりとコミュニケーション能力が高いので、直接誰かと会ったときの第一印象は、多分悪くありません。
一方、インターネット上のキャラクターは印象がすこぶる悪いらしいです。色んなものに対して文句言ってるからでしょうね。
「人の夢を否定しない」っていうのはすごく良い心がけだしそうするべきだと思うんだけど、「それホントにお前の夢?」ってツッコミたくなる話についてはつっこんじゃうな。
「場所に縛られない生活がしたいですね。旅しながら自由なスタイルで働きたいです」って、借り物の言葉で語ってる感がすごい。
— 堀元 見@あそびカタのプロ (@kenhori2) June 7, 2018
「広げ人」と「畳み人」の話について。
「俺、広げ人だから」という人のほとんどは【これ面白くない!?】と対して面白くもないアイデアをぶちまけるだけぶちまけて何もしない人で、「俺、畳み人だから」という人のほとんどは、カリスマの周りをチョロチョロしていきがってる人という印象です。— 堀元 見@あそびカタのプロ (@kenhori2) June 6, 2018
「えっ!?◯◯さんと堀元さん知り合いなんですか!?うわ〜ww狭いわ〜wwwこの界隈狭いわ〜www」みたいなこと言われると「何なんその盛り上がり…全然おもしろくねえ…」ってなる。
そりゃ共通の知人くらいいるだろ…。— 堀元 見@あそびカタのプロ (@kenhori2) May 31, 2018
もうやめてくれ。「こいつマジで面白いんすよwwwぜひ堀元さん会ってみてくださいwww」って勧めてくるお前が全く面白くないのマジでやめてくれ。
経験上、面白くないヤツが「こいつ面白いんすよww」って褒めるヤツ、例外なく面白くないんだ……。
— 堀元 見@あそびカタのプロ (@kenhori2) May 24, 2018
と、こんな調子で文句ばかり言っております。
実は、ツイートがこういう感じになるのにも理由があります。
僕は面白くないものが嫌いで、面白くないものへの反感を創作の原動力にしているのです。
例えば、昔、【他人限定!】面識ある人参加禁止誕生日会みたいな企画をやったのですが、これは普通の誕生日会への反感から始まったものです。
という発想をスタート地点として、始めました。僕の企画は大体全部そんな感じです。
ということで、「あれ面白くない」「これ面白くない」と噛み付くのはある種の職業病であり、企画の源泉になるので意図的にやっている感覚すらあります。
また、「何かに噛みついている、怒っている」というそれ自体がかなりエンタメであり面白いとも思うのです。僕は人志松本のゆるせない話が大好きなのですが、アレは怒りを上手にエンタメにしている好例です。
怒りは代表例ですが、負の感情の方が「強い」し、「面白い」んですよ。
もちろん、【ただの文句】とか【愚痴】は面白くないんですけど、一段抽象化された負の感情は面白い。
「これめっちゃ腹立つ!!」話の方が「温泉つかって美味しいもの食べて最高だった〜」話より面白いでしょ?— 堀元 見@あそびカタのプロ (@kenhori2) May 13, 2018
ということで、
- 「面白くない」が自分の企画になるので、ブランディング兼備忘録として噛みついている
- 「噛みつく」自体がエンタメになるので、面白いなと思って噛みついている
この2点の理由で「何かに噛みついてる自分」のことは割と好きなのです。
また、僕が好んで見ている人たちも「何かに噛みついている」人が非常に多いです。
代表的なのは借金玉さんとかですかね。彼は常に何かに噛みついていてホントに面白い。
パターナリストがフェミニストとして扱われ、男女同権主義者がミソジニーとして扱われる。まぁ、これが社会のクソなところだし、これを切り抜ける技術を茶番というわけです。生きるため、稼ぐためにそれをやるのは仕方ない。しかし、僕の本質を言えばクソでも食らいやがれクソが、以外に無いですね。
— 借金玉 (@syakkin_dama) June 7, 2018
ミソジニーという語を「気に入らない奴」って意味で使うなよ。どんどん正当性が消えていくから。
— 借金玉 (@syakkin_dama) June 7, 2018
以上、「噛みついている人は面白いし、僕も面白くあるために噛みつく芸風で行きます」という話で終われればいいのですが……、今日はそうではありません。
そんな僕でも、揺らいでしまうことがあるよという話です。
優しく面白い文章の「しんざき」さん
僕がひそかに3年以上ファンを続けている「しんざき」さんという書き手がいます。
彼の文章は、どれもこれも優しい。そして、本当に中立的で客観的で、大人な文章を書いてらっしゃいます。
めちゃくちゃ知的でめちゃくちゃ優しい方なんだろうな、というのが文章から伝わってきまして、心から尊敬せずにはいられません。
しんざきさんの「優しさ」
例えばこれ。
僕も「漢文なんか絶対要らない論者」だったのですが、これを読むと優しく説得されてしまいました。
「漢文なんて要らなくね?」って思ってる人はぜひ読んだらいい。説得力のある論で見事に説得されちゃうし、でも優しくて気持ちいい文章だから。
しんざきさんの素晴らしいところは、相対する論を唱える人の心境も丁寧に丁寧にくみとって、フォローを入れてくれるところです。
ただですね、冒頭増田も不幸な誤解をしてると思うんですけど、世の中、漢文のことを「暗記科目」って思ってる人って何故かすごい多いんですよね。これ、不幸なことだなーと。
(中略)
レ点がどうとか一二点がどうとか、本来些末なことっていうか、漢文それ自体に必要なルールじゃないんですけどね。本来は、例えば簡単な白文から見ていって、「なんとなくこういう意味」「なんとなくこういう繋がり」みたいなところから、漢文っていう言語体系、漢文を読む楽しさを徐々に学んでいく、みたいなやり方の方がいいと思うんです。
(中略)
おそらく、冒頭の増田も、「ひたすら暗記する漢文勉強」しかさせてもらえなかったんじゃないかなー、と勝手に想像します。そういう教育自体には、改善の余地なしとは言いません。
どうですか?この優しい文章。
「漢文なんて要らねえよ」という主張に対して、丁寧に根拠のある説明をした上で、「でもこういう主張になっちゃうのも分かるよね。教育もこうした方が良いよね」という、本当に優しいフォローが入ります。
しんざきさんとお会いしたことはありませんが、きっと良いパパで、良い上司で、優しい人なのでしょう。彼の人柄や人生が、文章ににじみ出ているような気がする。
「優しい」だけではなく、中身がある
しんざきさんの文章の何がいいって、ちゃんと中身があって面白いのです。
ただの美辞麗句を並べた「優しい」だけの文章ではない。例えばこれ。
「面倒くさいって感じられるヤツは数学の素質がある」と言ってくれた先生の話
もしかすると、教えられたことが本当に身になるって、こういうことなのかもなーって思ったんです。
勿論、一言で何もかも解決するような魔法の言葉はありませんし、長男はこれからも散々色んな勉強に苦労するでしょうし、それに対して私も頭を悩ませることになるんだと思うんですが。
それでも、かつて自分自身も長男と同じ、面倒くさがりで、難しい問題は嫌いで、宿題にはなるべく手をつけたくなくて。それでも、色んな大人や、色んな友人に助けてもらって、なんとかかんとか学生生活をクリアしていって。
そういう記憶を、自分の子どもたちにも受け継いでいってあげることが、もしかするとなにがしかの恩返しになるんじゃないかと。
そんな風に考えたわけです。
しんざきさんは父親であり教育者でもあります。僕がしんざきさんの文章に初めて触れたのも、教育論からでした。
優しいだけではなく、ご本人の教育者としての経験や深い洞察から、読むものに「教育者の役割とは何なのか」と言った問を考えさせます。
教育論みたいなものだけではなく、ご自身の人生をつづるコンテンツも見事。
「人生の息抜きにゲーム」ではなく、「ゲームの息抜きに人生」を送っていた時期の話。
筋金入りのゲーマーでもあるしんざきさんにしか書けない、彼の人生に肉薄したコンテンツです。
思うに、良い文章って、触れたときに「彼の人生に触れたなあ」と思えるようなものなんですよね。彼の文章はそれを見事に体現している。
あと、普通に技術があって、切り口設定が絶妙っていうのもしんざきさんのすごいところ。これとか。
ドラえもんはコンサルである。
コンサルタントは、顧客が抱えている問題に対して解決法(ソリューション)を提示し、問題を解決しようとする。
ドラえもんは、のび太が抱えている問題に対して解決法(ひみつ道具)を提示し、問題を解決しようとする。
コンサル(特にITコンサル)は往々にして顧客のインタビュー不足や調査不足などによって問題の本質を把握し損ね、オーバースペック・予算超過・仕様のアンマッチなどの事態を招く。
ドラえもん(特にコミック版)は往々にしてのび太とのコミュニケーション不足や状況の把握失敗によって問題の本質を把握し損ね、ひみつ道具のオーバースペック・のび太の大泣き・ジャイアン大暴れなどの事態を招く。
……はい、ということで僕はしんざきさんの大ファンなのです、ということはよくご理解いただけたでしょうか。ここから本題。
僕はしんざきさんの文章を読みすぎないようにしている
そんなしんざきさんの数々の名文があるのですが、あんまり読みすぎないようにしています。
いや、なんだかんだ言って結構読んでるんですけど、少なくとも繰り返し繰り返し読んだりはしないようにしています
僕は大いに影響を受けやすいタイプなので、「この人いいなあ」と思いながら繰り返し何かを読んでしまうと、マネしたくなってしまいます。
最悪の場合、
とかなんとか言い出すかもしれません。それはよくない。芸風と合ってない。
前述の通り僕は「これつまんねえ!」と悪態をついているのがアイデンティですので、それはなんとしても避けたいわけです。
悪態つく文章を書けなくなる、というのが、僕が危惧する状態です。
悪態つく文章の例を1つ挙げましょう。最近こういうのを書きました。
「言語化できない」はサボり。直感タイプってそういうことじゃねえぞ。
一部抜粋。
あとね、「言語化が苦手なんです。直感タイプです!」みたいなこと言うやつも100万人いるじゃないですか。アレもホントにアホですね。
僕も、何かを決める時はいつも直感で決めますよ。直感タイプです。でも言語化も得意です。
「直感タイプです!」って言ってるアホは多分、それ言っておけば論理を考えなくて済むと思ってるんでしょうけど、違いますからね。
と、人のことをめっちゃアホ呼ばわりしています。攻撃的。
これがもし、しんざきさんだとしたら、こんな感じの文章になると思います。
「言語化が苦手なんです。直感タイプです!」ということを言う人も結構お見かけするんですが、ちょっと違うんじゃないかな、と思うんですよね。
おそらく、「直感」と「論理」という言葉が正反対のものっぽいから、片方を取ったら片方は犠牲になる、みたいな二律背反の発想を生みやすいんだと思います。
しかし、実際に二律背反なのかというと、そうではない。私もどちらかというと直感タイプですが、論理(言語化)も大事にしています。
優しい。同じ内容を言うのでもこんなに優しくなるんですね。
でもね、この優しいバージョンの文章と、元の文章を読みくらべると、やっぱり僕は元の文章の方が好きだし、面白いと思うんですよ。
これはもう僕という人間の性質なんでしょうし好みなのでしょう。しんざきさんの文章は大好きだけど、それでも、自分が足を置くフィールドは負の感情が出る鋭い文章だな、と思います。彼のマネをして生きていくことはできない。
だから僕はこれからも、借金玉さんの文章や花房孟胤さんの文章を繰り返し読んで、「すごくいい。こういうの書くぞ!」と思いながら発信活動を続けていこうと思います。
しんざきさんの文章はこれからも大好きなままで、時々癒やされようとは思うのですが、自分が軸足を置くフィールドにはしない。そんな感じ。
以上、長い文章になりましたが、ここらで筆を置きます。
僕が悪態をついているのは単に性格が悪いワケではなく、それなりに選択した結果なんだよということをうったえる長い長い言い訳でした。
悪態つくヤツは悪態つくヤツなりに色々考えております。これからも悪態つく堀元をよろしくお願いします。実際会うと人当たりはとても良いです。