君、時というものは、 それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものなのだよ。
(ウィリアム・シェイクスピア『お気に召すまま』より)
いつ頃からだっただろうか。「速さ」が異常にもてはやされるようになったのは。
最近の動画配信サイトにはデフォルトで「1.4倍速」「1.7倍速」のように、「高速で観る」ための機能が実装されていることが多い。U-NEXTにもAbemaTVにもHuluにも当たり前のように高速にするボタンがある。それだけ高速で観たいという需要が高まっているのだろう。
シェイクスピアはかつて、戯曲『お気に召すまま』の中で「時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだよ」というセリフを書いた。それから、400年以上の時が経った。
この400年で、シェイクスピアの指摘した「それぞれの速さ」は更に極端になっているに違いない。
なにしろ、西暦1600年にシェイクスピアが書いた『お気に召すまま』は、劇場で上演されるだけだった。劇場での上演は誰もが同じ速さで観るしかない。当時は、貴族も庶民も皆同じ劇場で、同じ速さの芝居を観ていた。
『お気に召すまま』はそれから何度も映画化されており、今日、我々はいつでも動画配信サイトで観ることができる。どんな速度で観るのも、思いのままだ。
現代では、「それぞれの速さで走るものなのだよ」というセリフ自体がそれぞれの速さで聴かれるようになった。皮肉にも、シェイクスピアが400年前に書いた当時よりもこのセリフは説得力を増しているといえよう。
徐々に加速するという実験
テクノロジーの力で、我々は「それぞれの速さ」を選べるようになったのだけれど、果たして本当に適切な速さを選べているだろうか。
きっと、選べていない。「映画を高速で観るなんて邪道!」と頑なに高速を拒んでいる映画好きも多いだろうし、「時間は貴重な資源!なんでも倍速で観る!」と決めていて名作を楽しめなくなっているビジネスマンも多いだろう。
そんな人たちは何をすべきか。ずばり、実験と探求である。
毎日0.1倍速ずつ再生速度を変化させながら複数の作品を観て、得た印象を細かく記録していけばいい。
こんな風に。
毎日スプレッドシートに「速度・観た動画・その印象」をつぶさに記録していくのだ。
このように記録すれば、「ジャンルごとにどんな速度で観れば最適なのか」とか「どんな速度なら内容が把握できるのか」と言った知見が得られる。
最適な「それぞれの速さ」を知るためには、こういう実験をやればいいのだ。
ただ、こんな実験をできるのはヒマを持て余した人だけという噂もある。
我々は「それぞれの速さ」で生活しているとはいえ、まっとうに社会生活を送っている人は誰もがそれなりの速さで生活している。多分、「毎日ちょっとずつ再生速度を変えてたくさん動画を観て、その印象を記録するぞ!」などという時間は捻出できないだろう。
こんなヒマな実験は、0.1倍速の社会生活を送ってるヤツにしか許されないことだ。
そこで僕の出番である。僕はいい歳して定職にもつかず、ビジネス書を100冊読んでその教えを全部スプレッドシートに抽出して実行するみたいなことばかりやっている。0.1倍速の社会人生活。間違った意味のスローライフ実践者だ。
そういうことで、今回は時間を持て余した僕が、皆さんに変わって「加速動画生活」を行った。動画を加速させているヒマがあるなら社会人生活を加速させろというツッコミは控えて欲しい。それができないからせめて動画だけでも加速させて社会人生活のスローさを相殺させようという魂胆なのだ。分かって欲しい。
準備-ルール設定を事前に固める
さて、この手の実験をする時に気をつけたいのは「ちゃんと事前にルールを決めておくこと」である。そうしないと、心が折れた時点で放り出しかねない。
ということで、今回は事前に観るもの・期間・速度・どのように観るかについて定めておくことにした。
観るもの
まず観るものについてだが、
- 洋画・海外ドラマなど(外国語音声、日本語字幕)
- 邦画・日本ドラマなど(日本語音声、字幕なし)
- その他気まぐれに観る(YouTuberの動画やニュースなど、ノンジャンル)
という3ジャンルを設定し、毎日それぞれのジャンルごとに1作品ずつ、合計3作品を観ていくことにした。
また、「原則として初見の作品を観る」ことにする。内容を知り尽くしているものを観てもしょうがないと思ったからだ。
期間と速度
続いて期間と速度についてだが、このように設定する。
- 1日目~10日目(1.1倍速~2.0倍速まで、毎日0.1倍速ずつ加速)
- 11日目~15日目(2.2倍速~3.0倍速まで、毎日0.2倍速ずつ加速)
- 16日目~17日目(3.3倍速~3.6倍速まで、毎日0.3倍速ずつ加速)
- 18日目~20日目(4.0倍速~4.8倍速まで、毎日0.4倍速ずつ加速)
要するに、全部で20日間の実験であり、加速する量は段々増えていくということだ。
どのように観るか
どのように観るかについては、「必ず集中して観る」ものとする。いくらつまらなくても途中でスマホをイジってはいけない。
そして、観終わったらすぐにスプレッドシートに記録をつける。印象が薄まらない内にすぐ記録、というルールだ。
※ちなみに、完成したスプレッドシートはこちらなので、興味のある方は参照されたい。→倍速動画生活スプレッドシート
また、高速にする方法は、Google Chromeの拡張機能「Video Speed Controller」を用いた。
これ一つでYouTubeだろうがNetflixだろうがU-NEXTだろうが何でも任意の速度(0.1倍速刻み)で再生できる優れものである。
便利な時代になったものだ。シェイクスピアが『お気に召すまま』を書いてから400年で、我々が映画を観る「それぞれの速さ」はブラウザ拡張機能一つで、”お気に召すまま”に調整できるようになったのだ。
以上、ルールを設定した僕は「便利な時代だな~」と軽い気持ちで実験を始めたが、この後どんな運命が訪れるかは知る由もなかった。『戦場のメリークリスマス』はハリー・ポッターになり、セックスが銃撃戦になり、最終的に5G時代の到来を待つことになるとは、この時の僕は気づいていなかった……。
初日-変化に気づけぬ1.1倍
初日に観たものはこちら。
- スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望
- スマホを落としただけなのに
- お笑い芸人「ジャルジャル」のネタ『国名分けっこ』
初日は「1.1倍なんて普通に観るのと変わらないだろう」と思い、適当に「この機会に、今更観る気にならない映画でも消化しておこう」と考えてチョイスした。
そう、初代スター・ウォーズである。
(映画『スター・ウォーズ エピソード4』より引用)
僕はスター・ウォーズシリーズをほとんどマトモに観たことがなかったのだが、「今更スター・ウォーズを観たところで何を語ればいいのだ」というひねくれた気持ちが発動してしまい、観ようとしてこなかった。
僕は昔から、皆が観た映画を後から観ると負けた気になるという厄介な体質を抱えている。一体誰と戦っているのか、自分でも分からない。
ヨーダは作中で「怒り、恐怖、敵意。それがダークサイドだ」と言っている。謎の敵意を抱えていた僕はどうやら映画鑑賞ダークサイドに堕ちていたらしい。しかしそんな謎の敵意もこの企画で払拭できてよかった。ジェダイに一歩近づく良い機会になった。それだけでもこの企画の収穫だったと言えよう。
さて、肝心の映画鑑賞体験はどうだったかというと、普通に観ているのと区別できなかった。これは想像以上である。「普通に楽しく観れる」とかそういうレベルではなく、「1.1倍であることが知覚できない」のだ。
「本当に1.1倍速になっているのか?」と何度も確認した。しかし、拡張機能はどうやら正常に動いているらしかった。
そのまま2時間全部観たが、最後まで速度変化を認識できないままエンドロールが流れた。
どうやら、「人は、1.1倍だと変化に全く気づけない」らしい。
いや、ちょっと待って欲しい。そう決めつけるのは早計だ。スター・ウォーズという「異世界っぽい話」だからだと考えることもできる。
だってそうだろ?僕の周りにはこんな全身金ピカで慇懃な喋り方をする人はいない。だから1.1倍になったところで変化に気づかないのかもしれない。
(画像引用元:https://arielhudnall.com/2015/09/06/archetypes-jester/c3p0 )
そう思い、次は邦画『スマホを落としただけなのに』を観た。こちらも話題作だったが観るタイミングを逃した映画である。
(映画『スマホを落としただけなのに』より引用)
現代日本を舞台にした映画だからスター・ウォーズよりも変化に気づきやすいかと思ったが、結局こちらも2時間観て全く違和感がなかった。シチュエーションが何であれ、1.1倍速の変化には気づけないものらしい。
というか、1.1倍速の違和感がない代わりに、脚本の違和感がすごかった。劇中の誘拐犯はなぜか人質を放り出してわざわざ映像ばえするメリーゴーランド前まで移動して決闘してくれるサービス精神を発揮するし、クライマックスで刑事が道を選択するシーンの根拠は”ただの勘”だし、全部めちゃくちゃで笑ってしまった。
その後、「見慣れたものなら違和感に気づけるかも」と考えて、何度も観たことがあるお笑いのネタ、ジャルジャル『国名分けっこ』を観たが、結局気づけなかった。1.1倍を知覚することは不可能らしい。クイズ形式で「これは通常速度でしょうか?1.1倍速でしょうか?」と聞かれても、僕は答えられる自信がない。
初日の結論
- 1.1倍速だと通常速度との違いが全く分からない。
- でも、110分の映画が100分で観終わるので、ちょっとうれしい。
- 得した感☆5
2日目-外国人のジェスチャー量に驚く1.2倍速
初日は正直「普通に映画を観ただけ」だったので、今日こそ盛り上がりが欲しいと切実に思いながら2日目に入る。
チョイスはこちら。
- スターウォーズ エピソード5 帝国の逆襲
- 恋は雨上がりのように
- お笑い芸人「東京03」のネタ『謝ろうとした日』
洋画は、昨日に引き続きスター・ウォーズ。エピソード5である。
(スター・ウォーズ エピソード5 より引用)
「今日も普通だったらどうしようかな…記事に書くことないな…」と思いながら観たのだが、違和感が爆発していた。
皆さんにはぜひ憶えておいて欲しいのだが、1.1倍速と1.2倍速では世界が全く変化する。
特に気になったのは、ジェスチャーだ。西洋人は喋る時にめちゃくちゃ身体を動かす。そしてその身体の動きが全部速くて笑ってしまう。
映画の内容を理解する分には全く問題なかったが、ジェスチャーの速さがず~~っと気になってしまい、気が散ってしまった。1.2倍速だとちょっとだけ気が散る。
あと、シリアスなシーンでハン・ソロが高速でねじ回ししてたのが面白くて笑ってしまった。イケメンのハン・ソロがサルのオモチャみたいな高速の動きをすると滑稽で吹く。
逆に、戦闘シーンなどはそれほど違和感なく観られた。「ライトセーバーを振る」みたいな珍しい動きは見慣れてないので、違和感センサーが発動しにくいのだと思う。僕らはジェダイではないからだ。
ライトセーバーよりも、「会話中のジェスチャー」とか「ねじ回し」みたいなありふれた動きの方がずっと違和感がある。
では邦画はというと、ほとんど気になるシーンがなかった。
(映画『恋は雨上がりのように』)
青春ものにしてみようと思い『恋は雨上がりのように』をチョイスしたが、こちらはほとんど違和感がない。
しいて言えば、「ちょっと歩くのが速いな」とか「ちょっと間が短いな」とか感じるぐらいで、99%の時間は違和感なしで観れた。
そこで感じたのは、邦画は洋画よりも圧倒的に動きが少ないということだ。もちろん、ジャンルにもよるけれど。
「2人が黙って見つめ合う」とか、「相手の質問に対して口ごもる」とか、そういう「誰も動いてない時間」が長い。”間”を見せているといってもいい。
一方、スター・ウォーズは基本的に登場人物全員がずっと動いている。ただ会話をしてるだけのシーンでもジェスチャーが途絶えることはない。
そのため、違和感が爆発するのだ。
映画のチョイスのせいではなく、恐らくこの傾向は多くの洋画・邦画に共通しているような気がする。西洋人はジェスチャーが多いのだと改めて認識した。
普段洋画を観る時はもう慣れきってしまっているので「身振り手振りが多いな~」などと考えないが、1.2倍速で観るとジェスチャー量の差を痛感する。期せずして比較文化論みたいなものに思いを馳せることになった。
ジェスチャー量の違いを痛感したい方は邦画と洋画を交互に1.2倍速で観るといいかもしれない。
2日目の結論
- 洋画はジェスチャーのせいで違和感が爆発する。
- 邦画はほとんど違和感がないから、ジェスチャー量の違いが痛感できる。
- 比較文化論をやりたい人は1.2倍がオススメ。
3日目-オッサンが飯食う速度には興味ありません
3日目、速度は1.3倍速。
今日は連続ドラマの1話でも観てみるか、と思いドラマを中心にチョイス。
- ドラマ『glee』シーズン1の1話
- ドラマ『孤独のグルメ』シーズン7の1話
- ニュース『コロナウイルスの影響』
海外ドラマは『glee』。めちゃくちゃ有名なドラマだが、初めて観た。
(『glee』シーズン1 より引用)
昨日までは「違和感がある」程度だったが、この速度になってくると本格的に「速いな~」と感じ始めた。ず~~っと速い。喋るのも歩くのもセリフも、あらゆるものが速い。
また、倍速動画生活とは全然関係ない感想で申し訳ないが、このドラマめちゃくちゃ面白い。
とてもテンポが良くて内容が濃いドラマである。第1話に普通のドラマ2話分くらいの内容が詰まっている。
そして、ただでさえテンポが良いドラマを1.3倍速で観ると「まあ面白いんだけどできれば普通の速度で観たいな~」ってなる。ちょっとテンポがよすぎるのだ。
1.3倍速になると、シナリオの展開速度にも違和感を覚えっぱなしである。
あと、「一流のダンスチームが激しく速いダンスを踊る」シーンがあるのだけど、完全に人体の出せる限界速度を越えていた。感謝の正拳突き1万回を何年もやり続けた後のネテロばりの速度だった。
(『HUNTER×HUNTER』25巻より引用)
ネテロが齢50を越えてようやくたどり着いた領域に、高校生のダンスチームがやすやすとたどり着いてしまうのが倍速動画生活のすごいところだ。
「できればネテロじゃない普通にすごいダンスを観たかったな…」と思いつつ、それでも十分に面白いドラマだった。有名作品には有名になるだけの理由があるものだ。
『孤独のグルメ』という黒船
(『孤独のグルメ』シーズン7 より引用)
圧巻だったのが、次に観た『孤独のグルメ』である。
最初こそナレーションの速さに面食らったものの、本編は1.3倍速でも全く違和感がなかった。
観たことがある人は知っているだろうが、このドラマはほとんどの時間オッサンが飯食ってるだけである。オッサンが飯食う時間は13分だろうが10分だろうが何も気にならないし、なんなら10倍速ぐらいになっても大丈夫な気がする。
驚くほど何の違和感もなく観れた。というか、3日目にして最強の黒船が来航してしまった、と思った。
先ほど、「ライトセーバーを振るのは身近ではないから、高速でも違和感を覚えにくい」と書いたが、オッサンが飯食ってるところはそれ以上に違和感を覚えにくい。不思議だ。ライトセーバーは身近ではないが、オッサンは身近なはずだ。なぜそうなるのだろうか?
答えは、我々の人生において最もどうでもいいことが「オッサンが飯を食う速度」だからだ。
(『孤独のグルメ』シーズン7 より引用)
オッサンが飯を食っている時、我々の心にあるのは「虚無」である。
文化人類学者のベネディクトはその著書『菊と刀』で、戦時中の日本人について「日本人は食事を重要行為とみなしていない」と指摘した。
だが、戦後に西洋化し、会食文化が花開いた現代日本においてはこれは正しくない。現代においてはこう書き直す必要があるだろう。「日本人はオッサンの食事を重要行為とみなしていない」と。
フラッと入る牛丼屋、通過する立ち食いそば屋、居酒屋の隣のテーブル……我々は至るところでオッサンが飯を食っているところを目撃するはずだが、その姿は何ら印象を残すことはない。我々の脳は、オッサンが飯を食っているところを知覚できない。
ホモサピエンスの脳は毎日膨大な量の情報を処理しているので、入ってくるほとんどの情報はゴミとして自動的に捨てられる。「カクテルパーティー効果」という言葉はあまりに有名だろう。我々の脳はパーティにおいて「聞くべき言葉」を選択し、それ以外の「聞かなくていい言葉」を廃棄してくれる。完全に無意識に、自動的にだ。
これを心理学用語で選択的注意と呼ぶが、この選択的注意のフィルターは進化の過程や成長の過程によって形成されるものであり、我々は形成の過程で例外なく「オッサンが飯を食っているところには注意を払わなくてよい」というフィルターを獲得する。
いわば、「オッサンが飯を食っているところ」は脳における盲点なのだ。
『孤独のグルメ』は、まさにその盲点をついてくる。「オッサンが飯を食っているところをじっくり見る」のは、脳にとってはライトセーバー以上に珍しい処理なのである。
だから、違和感センサーが全くはたらかない。脳科学のトリックを利用した、まさに倍速で観るのにうってつけの作品と言えよう。
3日目の結論
- 『glee』はめちゃくちゃ面白い(ダンスがネテロじゃなければ多分もっと面白い)
- 『孤独のグルメ』は、脳の盲点をついてくる。速くても気にならない。
4日目~5日目 神を殺された立川談志。サイレント・ヴォイスが聞こえる。
続いて、4日目と5日目を見ていこう。速度は1.4倍速と1.5倍速。
4日目のチョイスはこれ。
- ドラマ『glee』シーズン1の2話
- ドラマ『サイレント・ヴォイス』シーズン1の1話
- 落語 立川談志の『野ざらし』
5日目はこれ。
- サバイバルドキュメンタリー『まさかの時のサバイバル #1』
- アニメ『啄木鳥探偵處』の1話
- DIY動画『砂壁の壊し方』
この2日間で特筆すべきはなんと言っても「立川談志の落語」である。
(『立川談志独演会』より引用)
言わずと知れた伝説の落語家「立川談志」の落語を1.4倍速で観てみたのだが、これが絶望的だった。
立川談志の落語はヤバい。落語全般ヤバいと思うが、立川談志は特にヤバい。この企画に一番向いてない。
立川談志の落語は喋り方のクセがすごいので、普通の速度で聴いても結構聞き取れない部分がある。そんなものを1.4倍速にしてはいけなかった。
聞き取れた部分がそもそも5~6割しかないし、落語は情報がほぼ音声しかない(映像による補完が働かない)ので、聞き取れてない部分は全然分からない。
しかも、落語は非常にデリケートな芸事である。ちょっとした仕草、ちょっとした言い回し、ちょっとしたテンポのおかしさが笑いに繋がる。「神は細部に宿る」と表現してもいいだろう。
そして、聞き取れた部分が5~6割ではその”細部”が全く分からない。せっかく名人が細部に神を宿してくれたのに、1.4倍速にすることで神が完璧に殺されて取り除かれてしまう。そんなもったいないことある???
直観に反する「長セリフほど聞きやすい現象」。脳内補完のすごさ
立川談志の落語は全然聞き取れなかったが、日本語音声のドラマやアニメは問題なくほとんど聞き取れた。
比較的把握が大変そうなミステリー系を選んでみても、ほとんど問題ない。
(『サイレント・ヴォイス』より引用)
物語の筋は十分把握できたし、問題なく楽しめたが、何箇所かセリフを聞き逃すことはあった。
このドラマは熟練の捜査官が容疑者のサイレント・ヴォイス(身体の動き)を見逃さずにウソを見抜いていくというものだったが、僕はサイレントじゃない普通のヴォイスを聞き逃しており、捜査官とのレベルの違いに愕然とした。
そして非常に興味深かったのは、「聞き逃すのは決まって短いセリフだけ」だったことだ。
そう。長いセリフは確実に聞き取ることができる。ヒアリング難易度が高いのは短いセリフの方なのだ。
これは直観に反していて面白い現象だ。「服装は?」などの短いセリフをよく聞き逃した。
これ、何が起こっているのかというと、長いセリフでは単語を聞き逃しても、脳が周囲の単語から自動で補完してくれているのだと思う。
例えば、「あなたが頑として共犯者の存在を認めないのは、その共犯者を守りたいから。それしかないわよね?違う?」などの長いセリフは一単語の漏れもなく完璧に聞こえる。
でも、恐らく実際には聞こえてないのだ。時々聞き逃す単語があるのに、脳が勝手に補完してくれているから僕は「完璧に聞こえている」と錯覚しているのだと思う。
一方「服装は?」という短いセリフは補完する余地がない。だから「聞き逃した」と感じてしまう。
つまり、僕は僕で、サイレント・ヴォイス(聞き取れてない単語)を脳の補完によって聞いていたのだ。
これはすごいことなのではないか。普通にドラマを観ていると「サイレント・ヴォイスが聞けるなんてすごいな~」と傍観するだけだが、高速で観ていると「あれ?オレもサイレント・ヴォイスを聞いてるのでは…?」と感じる。
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というように、傍観者よりも主体になった方が楽しいに決まっている。高速で観ることによって僕は『サイレント・ヴォイス』に主体としての参加ができ、新しい楽しみを見出すことができた。
案外、ドラマ製作者も「このドラマは高速で観て主体的な参加をして欲しい」と思っているのかもしれない。それが製作者のサイレント・ヴォイス(暗黙の伝言)なのかもしれない……。
…。
……「いやそんなワケないだろ」という皆様のサイレント・ヴォイス(ツッコミ)が聞こえてきそうなので、この話はここで終わりにしよう。
4日目~5日目の結論
- 立川談志の神は殺される。彼の落語は高速で観るのに一番向いてない。
- 我々の脳はサイレント・ヴォイスを聞いている。脳内補完はすごい。
6~7日目 「もっと芝居がかれ!!」という初めての怒り
6日目(1.6倍速)。
- ドキュメンタリー映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』
- ドラマ『ブラック校則』第1話
- 動物ドキュメンタリー『ナチュラルワールド ラッコ親子の別れと再会』
7日目(1.7倍速)。
- ドキュメンタリー映画『ありあまるごちそう』
- 映画『ミナミの帝王1 トイチの萬田金次郎』
- 温泉番組『ぶらり探訪 珍湯たび #1』
字幕映画は2日ともドキュメンタリーにしてみた。
1作は芸術系で、バンクシーがニューヨークに滞在した30日間の狂乱を描いたもの。もう1作は社会問題系で、フードロス問題や工業化する食について扱ったもの。
字幕ドキュメンタリーは正直、普通の速度で観るよりこっちのほうが快適だ。特に社会問題系のもの。
『ありあまるごちそう』は劣悪な環境で飼育されるニワトリの様子などを扱っているのだけれど、ショッキングなシーンを割とじっくり見せていた。
(映画『ありあまるごちそう』より)
こういうのをじっくり観て「考えさせられるなぁ…!」と噛み締めたい人は普通の速度がいいんだろうけど、僕はあまり感情がないので、こういうシーンをじっくり観せられるよりは情報が多い方が嬉しい。
ひよこの密度については0.5秒見たらもう分かるので、サクサク次のシーンにいって欲しい。僕はひよこたちのサイレント・ヴォイスにあまり興味がない。
そういうことで、このドキュメンタリーを1.7倍速で観られたのは非常に快適だった。
「もっと芝居がかれ!!」
6~7日目の中では、ドラマ『ブラック校則』第1話がとんでもなく大変だった。
(ドラマ『ブラック校則』より)
「二人の高校生がボソボソと低いテンションでやり取りする」というのがドラマの大部分を占めていたので、あんまり聞き取れないし状況もよく分からないという苦しみが生じた。
もっと派手に怒ってたり笑ったりしてくれたら状況が分かりやすいのに、ボソボソかつ淡々と喋るからすごく困る。
最終的に「もっと芝居がかれ!!!」という、人類史上初めてであろう怒りが湧いてきた。
日本語音声の作品を楽しむなら1.5倍速以下が妥当
ここで一つ結論が出た。作品にもよるが、日本語音声の作品は1.5倍速以下に留めておくのが無難だろう。それ以上の速さになってくるとかなり厳しい。
聞き逃しが増えてくるし、聞き逃さないまでも「セリフを聞き取るのに脳のリソースを多く消費する」ことになってしまい、楽しさが有意に減少してくる。
逆に、字幕作品はまだまだ楽しめる。
- 日本語音声の作品をちゃんと楽しみたいなら、1.5倍速以下に留めよう。
- 字幕の作品はまだまだ面白い。
- 人でなしがドキュメンタリーを観るときは高速の方がいい
- ボソボソ系ドラマに対しては「もっと芝居がかれ!!」という謎の怒りが爆発する
8~9日目 ムダになる名作・ムダにならない名作
8日目(1.8倍速)。
- 映画『スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』
- ドキュメンタリー『銘酒誕生物語 #1』
- ミュージック・ビデオ あいみょん『愛を伝えたいだとか』
9日目(1.9倍速)
- 映画『シックス・センス』
- 映画『戦場のメリークリスマス』
- アイドル番組『月刊ドルネク #1』
9日目には超有名映画をいくつか観た。洋画は『シックス・センス』。
(映画『シックス・センス』より)
これほど有名な映画をなぜ今まで観ていなかったかというと、オチを知っていたからだ。
「衝撃のオチがウリの映画」のオチをネタバレされてしまうと、もう観る気がなくなる。
というか、『シックス・センス』レベルに有名な作品になると「このオチは常識」として扱われてしまうのおかしくない???
僕は『シックス・センス』のオチを、映画評論の本で知ってしまった。友だちとかからネタバレされるのならまだしょうがないと思えるが、本に書いたらダメだろう。
「常識化されたオチ」は色んなところで当たり前に語られてしまうので、傑作を楽しむ機会が消滅してしまう。僕はこれを社会問題だと思っている。
この社会問題を減らすためには、中学の卒業式で「ネタバレ必至作品リスト」を配布する制度の整備が必要だと思う。文科省はぜひ検討して欲しい。
「長く生きてると確実にネタバレされる作品」ってあると思うんですよ。
・猿の惑星
・シックス・センス
・アクロイド殺人事件
・モルグ街の殺人とか。
これをまとめて「確実にネタバレされるから、今すぐ見ろリスト」として中学の卒業式で渡す制度を用意するといいと思う。犠牲者を減らすために。
— 堀元 見@企画屋 (@kenhori2) August 28, 2019
……話がめちゃくちゃ逸れてしまった。
とにかく、「オチを知ってるから観る気しねえ~」と今まで避け続けてきた『シックス・センス』をこの機会に観た(1.9倍速で)。
そしたらめちゃくちゃ面白かった。すごい。オチを知ってる上に1.9倍速という飛車角落ちみたいな状態で観たのに、超面白かった。名作の持つパワーというのは本当にすごいものだ。
「できればオチも知らずに1.0倍速で観たかったな」という気持ちもなくはないが、今回の企画をきっかけに観ることができてよかった。オチを知ってしまっている映画は、こういう試みでもやらない限り一生観る気にならなかったはずだから。
台無しの『戦場のメリークリスマス』
(映画『戦場のメリークリスマス』より)
『シックス・センス』がよかったので「名作のパワーがあれば何でも面白いのではないか」と思い、不朽の名作『戦場のメリークリスマス』に挑戦。
事前知識として
- 坂本龍一の音楽が超有名
- ビートたけしが「一流の文化人」になったのはこの映画から
- ビートたけしがアップで「メリークリスマス、ミスターロレンス」と言うシーンが超絶有名
- 日本の軍人と英国の軍人の奇妙な愛憎関係を描いた映画らしい
ということだけ知っていた。
「メリークリスマス、ミスターロレンス」のシーンだけはテレビで観たことがあるのだが、そのシーンがどういう意味なのかは分からない。「あのシーン何なのか結局分かってないし、この機会に理解しておくか~」と軽いノリで観始めた。
(以下、本章のスクショは全て『戦場のメリークリスマス』より引用)
映画の冒頭で早速坂本龍一の音楽が流れ、オープニング。そして、始まって30秒で即後悔した。
軍人(ビートたけし)「カネモトォ、カンジャラサラバラファラダンダ、何をジャッシャサンダ?ああん??」
あっ、ダメだこれ。全く聞き取れない。
ビートたけしの滑舌はそもそも聞き取りにくい上に、軍人は普段から早口で喋る。そしてバイオレンスなシーンでは怒りながら更に早口で喋る。全ての悪条件が整っていて、何一つ分からない。
「カネモトォ、オジャラピストイホシナガ、ソイドゥヤブチドンドゥア、ああん?」
こっちとしては、なんだか全然分からないが大変そうな状況だな~と思いながら眺めるしかない。
軍人がビートたけしに謎の呪文を言われながら竹刀で殴られ続けているようにしか見えず、困惑するばかりである。
この殴られてる人は何かやらかしたから罰則を受けてるのか、それとも単にイジメられているのか、それさえ分からない。
もはやセリフからの情報量は完全なゼロと言っていい。
そして、シーンや人物が切り替わってもほぼ同じ状況が続く。
軍人「フォマタイ、本日バクメイサランステ、ボラニン参りました!」
軍人特有の早口喋りが災いして、大体聞き取れない。「上官に何かしらの報告をしてるんだな~」ということだけが分かる。
このように、なんだかよく分からないままに物語は進んでいき……
よく分からないが人が砂に埋められたりしつつ……
「メリークリスマス、ミスターロレンス!」
あの有名なシーンが出てきて、映画が終わった。これ、ラストシーンだったのか。
映画を観る前の僕は「有名なシーンは知っているが、どういうシーンなのか分からない」という状態だった。
そして、観終わった後の僕も「有名なシーンは知っているが、どういうシーンなのか分からない」という状態だった。理解度が全く向上していない。
結局、僕にとって『戦場のメリークリスマス』は
- ビートたけしが謎の呪文を言いながら竹刀を振り回す
- 人が砂に埋められて身動きが取れなくなったりする
- 「メリークリスマス!ミスターロレンス!」で終わる
という映画である。
これ何かに似てるなと思ったらあれだ、ハリー・ポッターだ。
ハリー・ポッターの映画は、呪文を唱えるし、石化の魔法をかけられて身動き取れなくなったりするし、最後は学年末の修了パーティで終わるし、ほぼハリー・ポッターじゃん。
8~9日目の結論
- 『シックス・センス』は飛車角落ちで観ても面白い
- 軍人が出てくる邦画は高速再生してはいけない
- 『戦場のメリークリスマス』は、ほぼハリー・ポッター
10日目 『ビリギャル』の感動と社会心理学
10日目、いよいよ2.0倍速となる節目の日になった。
さすがに10日目ともなると疲労が出始める。9日間の疲労の蓄積というよりは、前日の『戦場のメリークリスマス』の疲労な感じもするけれど、とにかくだいぶ疲れながら10日目を迎えた。
この日のチョイスはこちら。
- 映画『現金に体を張れ』
- 映画『ビリギャル』
- お笑いのネタ「さらば青春の光」の『スカウト』
本日も問題は邦画である。前日の『戦場のメリークリスマス』にすっかり消耗した僕は、「アホでも楽しめそうな映画にしなければ」と思った。
そこで白羽の矢が立ったのが『ビリギャル』である。
(映画『ビリギャル』より)
『ビリギャル』はすごくいい。軍人は一人も出てこないし、ビートたけしも出てこないし、難しいテーマにも一切踏み込んでないはずだ。
ストーリーも単純明快だし、何がどうなって終わるのかは最初から分かってる。
何しろ、原作版のタイトルで全部言っちゃってるからね。本のタイトルが既にネタバレのパターン。
この時点で「学年ビリのギャル1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格するんだな~」という理解が存在しており、だいぶ安心して観れる。
「メリークリスマス」ではなく「合格おめでとう」で終わることは確定しているので、ラストシーンの意味が分からないという恐れはない。本当にありがたいことだ。
ということで、映画自体への期待はまったく無く、単に「シナリオが単純そうだから」というだけの理由で観始めた映画である。
が、これがめちゃくちゃよかった。なんならちょっと泣いた。
さっき「僕にはあまり感情がない」みたいなことを言ったのが急に恥ずかしくなってきた。こんなベタ中のベタの青春映画(しかも2倍速)で泣いてしまっては、感情がないどろか涙腺ユルユル疑惑すらある。
ストーリー展開は
- 勉強なんて1ミリもできないギャルが塾に通うことになる
- 超熱血講師がギャルにめっちゃマジメに向き合ってくれる。
- 「先生が真摯に向き合ってくれる喜び」を初めて覚えてギャルは勉強に打ち込むことになる
- たまに挫折もしながら、めっちゃ頑張って合格する
という、何の意外性もないというか、「うん、観る前から分かってたよ」という展開だ。
なぜ、こんなベタな映画で泣いてしまったのだろうか?
まあ単に「僕はベタに弱くて涙腺がユルユル」っていう説もあるのだけれど、一つの仮説としてあるのが「セルフ・コントロールの消耗」だ。
セルフ・コントロールの消耗と、悲しい映画の実験
「セルフ・コントロールの消耗」という現象については、非常に有名な実験がある。
社会心理学者であるMark Muravenらは1998年、被験者を集め、片方のグループにはチョコチップクッキーを食べさせ、もう片方のグループにはクッキーを与えながらも、食べるのを我慢させた。
その後、被験者に難解なパズルに挑戦させた。
すると興味深い結果が出た。クッキーを食べるのを我慢したグループは、パズルをすぐに諦める傾向にあった。
我慢する必要がなかったグループは平均19分間パズルに取り組んだのに対して、我慢したグループは平均8分間しかパズルに取り組まなかった。
これは何を意味するのかというと、我々の理性には「体力」のようなものがあるということだ。理性は使えば使うほど疲れてくるので、段々役に立たなくなってくる。
心理学的にはこれを「セルフ・コントロールの消耗」と呼ぶ。
クッキーを我慢することもパズルに取り組むことも、同じくセルフ・コントロールを消耗する作業なのだ。
そして、もう一つ。彼らの他の実験の中に、「感情を抑え込むこと」もセルフ・コントロールを消耗すると裏付ける実験がある。
被験者は2つのグループに分けられ、悲しい映画を観た。1つのグループは「自由に涙を流しながら観てよい」とされ、もう1つのグループは「感情を抑え込め(泣くな)」と言われた。
そして、感情を抑え込めと言われたグループは、その後の作業で持久力を発揮することができなかった。(クッキーを我慢した人たちと同じように)
つまり、我々は「感情を抑え込む」ためにもセルフ・コントロールを消耗するのである。
……以上、長々と申し訳なかった。結局僕は何が言いたいのか。
それは、僕は『戦場のメリークリスマス』を観ることによってセルフ・コントロールを消耗したのではないかということだ。
はっきり言って『戦場のメリークリスマス』を観るのは苦痛だった。終始何言ってるか分からない早口の軍人、謎に砂に埋められる英国人、結局よく分からない「メリークリスマス」……全然面白くない。ストレスの塊みたいな時間だった。
しかし「ちゃんと集中して観る」というルールを設定している以上、途中でスマホをイジるワケにはいかない。しかたなく全部ちゃんと観た。これは、クッキーを我慢するよりもずっと大きな負担であり、僕のセルフ・コントロールは大きく消耗したと思われる。
そして翌日、僕は『ビリギャル』を観た。だが、1日経ってもセルフ・コントロールは回復していなかったのではないか。
そのため、僕は普段よりずっと感情を抑えられなくなったのではないだろうか。
いや、別に感情を抑えようと思って生活してるワケじゃないんだけど、案外、無意識に感情を抑えるクセがついていたのかもしれない。
無意識に感情を抑えているから、「ひよこのサイレント・ヴォイスに興味はない」などと冷淡なことが言えていただけなのかもしれない。
だから、『戦場のメリークリスマス』でセルフ・コントロールを消耗しきった後には感情が爆発してしまったのかもしれない。
社会心理学の実験結果とセルフ・コントロールの消耗についての知見はその可能性を示唆している。
そして、これが正しいとするならば、驚きのライフハックが生まれることになる。
ライフハック「素直になれない人は戦場のメリークリスマスを1.9倍速で観ろ」
まず、ここまでの仮説を振り返ろう。
- 僕はあまり感情がない。普段から感情が表に出ることは少ない。
- しかし、『戦場のメリークリスマス』を1.9倍速で観る苦行によって、セルフ・コントロールを消耗した。
- その結果、感情が出てくるようになった。『ビリギャル』で泣いた。
この現象を逆に利用することを考えると、「感情を素直に出せずに困っている人は、戦場のメリークリスマスを1.9倍速で観ればいい」ということになる。
戦場のメリークリスマスを1.9倍速で観ることによりあなたのセルフ・コントロールは一気に消耗し、素直に感情を出せるようになるだろう。
そういう本出したいな。「素直になれない人は戦場のメリークリスマスを1.9倍速で観ろ!」っていう新書。
10日目の結論
- 素直になれない人は戦場のメリークリスマスを1.9倍速で観ろ!
一旦CM
実験が10日間、すなわち半分終わったところで、一旦CMを挟ませて頂きたい。
この企画記事、実はPR案件である。こんな自由研究みたいな記事になぜ広告費が出るのかあなたは分からないと思う。僕も分からない。
何のPR記事なのかというと、このゲームだ。
幻冬舎から好評発売中である。この記事に広告費を出してくれる気骨溢れるゲームデザイナーが作ったボードゲームなので、ぜひ皆やってみて欲しい。
ゲームの概要については、この記事の最後に詳しくお知らせしようと思う。
11日目~12日目 ちょっと右寄りのコナンに裏切られる
11日目からは加速ペースが上がり、0.2倍速ずつ加速することになる。
11日目(2.2倍速)のチョイスはこちら。
- 映画『チャーリーとチョコレート工場』
- アニメ映画『名探偵コナン ゼロの執行人』
- ストレッチ番組『ストレッチ&リラクゼーション #1』
12日目(2.4倍速)はこちら。
- 映画『マスク』
- 映画『南極料理人』
- UFO番組『宇宙人遭遇体験を調査せよ #1』
「ポップな邦画は楽しめそう」ということが『ビリギャル』で分かったので、11日目の邦画は『名探偵コナン ゼロの執行人』にした。何年か前に話題だった作品だ。
(映画『名探偵コナン ゼロの執行人』より)
『ビリギャル』がイケるならコナンもイケるやろ、という魂胆だ。ビリギャルほどではないが、映画の流れも大体想像つく。コナンの映画は10作以上観た経験値もあるし。
多分、なんか派手な事件が起こり、犯人は「酔っ払ったノリでお玉を首にかけられたのがストレスだったから殺した」みたいな驚きのストレス耐性のヤツで、最終的には「らぁああああ~~~ん!!!!」って叫びながらサッカーボール蹴って解決する、という流れだろう。ほら、観る前から分かる。
が、結果から言うと微妙だった。
なんというか、思ったより複雑。期待はずれであった。
「警察庁の公安と検察庁の公安は法律上は同格のはずだが、実際の捜査能力に雲泥の差があるため、実際には検察庁の公安は警察庁の公安に頭が上がらない」という、組織間の微妙な関係みたいなものに踏み込んでおり、「やめろ!そんな複雑そうなテーマに踏み込むな!コナン映画はもっとバカみたいな展開であってくれ!!」と思った。何しろこっちはセリフを聞き取るのが困難な速度で観ているのだ。「らぁああああ~~~ん!!!!」みたいな聞き取りやすいセリフを中心に組み立てて欲しい。
結局、「聞き取れたセリフは6~7割、あらすじはなんとなく理解できたが面白くはない」という結果になった。
「コナンですら楽しめないのか……もう何もかも厳しいな……」と思いながら、前途を想像して憂鬱になった。
あと全然関係ないけど、「公安の人たちは国家のために人生を犠牲にして働いていてエラい」みたいな描写が結構あり、「ちょっと右寄り……!?」と驚いた。
13~15日目 ヴォルテールの言葉がこだまする2.6倍速
13日目、U-NEXTのトップページを見ていたら、「”早送り厳禁”映画」という特集があった。この企画をやっている僕にケンカを売ってるのかと思った。
(U-NEXTトップページより引用 )
あまりに腹立たしいので、売られたケンカは買うことにした。「早送り厳禁」作品の中から、『曲がれ!スプーン!』をチョイス。2.6倍速で観た。
(映画『曲がれ!スプーン!』より引用)
「伏線がじっくりまとまっていく」のがウリの映画。
前半は”フリ”にあたるドタバタ劇、後半は前半のフリを全部活かして「なるほど~」となる構成。
相変わらずセリフは6割くらいしか聞き取れないが、幸い脳内補完が働きやすい映画だったので、内容は概ね理解できる。
「エスパーが集まるカフェ」が舞台なので、「私の能力は○○です」と自己紹介して能力を発動させる、みたいなシーンが多かった。能力を聞き取れなくてもその後の発動シーンを見れば「この人はテレポートか」とかが分かる。高速視聴に優しい映画だ。全然”早送り厳禁”じゃない。『戦場のメリークリスマス』の方がよほど”早送り厳禁”だったぞ。
セリフが聞き取れてないのでディティールを理解しているとは言いがたいが、映画の構造はよく分かった。
ネタバレになるので具体的な言及は控えるが、「なるほど~、前半のアレがここで活きるのか!」が畳み掛けてくるタイプの映画だ。
ということで、観ている間「ここが面白いのだな!分かる!そのことが分かるぞ!」という理解が発生する一方、「でも僕は面白くないな。理解するのに精一杯だ」という感想が発生した。
不思議な気持ちだ。頭と心がバラバラ、みたいな感じだ。
あなたと離れなきゃいけないのは分かっているのに……でもやっぱり好きなの!!みたいな感じだ。
映画を観ながら揺れ動く乙女心を抱える人、人類史上僕だけなんじゃないか。
哲学者ヴォルテールが残した有名な言葉で「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というのがある。
僕はこの映画を観ながら、ヴォルテールっぽい乙女心を持つことになってしまった。「私はこの映画が面白くない。だがこの映画の面白いポイントはとてもよく分かる」だ。
論敵の言論の自由をも手厚く保護しようとしたヴォルテールの気持ちになりたい方は、『曲がれ!スプーン』を2.6倍速で観るのがオススメだ。
邦画はもう楽しめないが、洋画はずっと面白い
さて、ここまで見てきたように、2倍速を越えたあたりからはもう邦画はほとんど楽しめなくなった。2.0倍速で観た『ビリギャル』が最後の喜びだった。
ジャンルによって多少の高速向き・不向きはあるが、いずれも2倍速を越えてくるとほぼ全て面白くない。最速で楽しみたい人も、邦画は2倍速以下におさめるのが無難だろう。
一方、意外だったのは、洋画はずっと面白いことだ。「邦画よりマシ」程度ではなく、普通に面白いのだ。
再生速度が3倍近くなっても、めちゃくちゃ面白がりながら観ることができる。
2.8倍速で観た『セブン』も超面白かった。
(映画『セブン』より)
3倍近くなっても、字幕は問題なく読める。文字情報は音声情報に比べて圧倒的な伝達効率を誇るのだということがよく分かる。
唯一の問題点はアクションシーンが何も分からないことだ。
目まぐるしく動くカメラのせいで酔いそうになるし、銃声やら破壊音やらがずっとドタバタしていてうるさくて不愉快だ。あと、どっちが撃ってどっちが撃たれたのかも分からない。
しかし、アクションシーンが終わった後には必ず結果が分かるシーンが入るので、特に問題ない。犯人が走り去った後ブラッド・ピットが血を流しながら倒れてたので「撃たれたんだな~」と分かった。
3倍速くらいの高速で洋画を観た時のイメージは「面白さが0.7倍になる」くらいの感じだ。『セブン』は元がとても面白い映画(だと思う。普通の速度で観たことないけど)なので、高速でも十分に面白い。
一方、「つまらない映画はどうなるんだろう?」と思い、”史上最低のサメ映画”との呼び声も高い『ビーチ・シャーク』も観てみたのだが……
(映画『ビーチ・シャーク』より引用)
全然面白くなかった。
「水陸両用のサメ(!)がビーチで大暴れする」という中学生が考えたみたいな設定の映画。CGも脚本も演技も何もかもダメ。
「高速で観たら、つまらない映画も逆に面白くなる」的な現象を期待して観たのだが、つまらない映画は普通につまらなかった。
名作も駄作も、面白さが等しく0.7倍になる。3倍速洋画とはそういう世界観なのだ。
13~15日目の結論
- ヴォルテールの気持ちになりたい人は、『曲がれ!スプーン!』を2.6倍速で観るのがオススメ
- 洋画は3倍速でも普通に面白い。
- つまらない映画は逆に面白くなるかと思いきや、妥当につまらない。
16日目 セックスが銃撃戦になる3.3倍速
16日目(3.3倍速)のチョイスはこちら。
- 映画『マイ・インターン』
- 映画『失楽園』
- バラエティ『内村さまぁ~ず #341』
16日目ともなると、観るものがなくなってくる。「一通りジャンルが出尽くしたな…」という感じがあるのだ。
何か新しいテーマはないかと考えたところ「エロスはどうなるんだろう…?」ということに思い至った。
そこで、『失楽園』を観ることにした。
(映画『失楽園』より)
役所広司と黒木瞳の大胆なセックス描写が有名な映画。ダブル不倫に走った二人の崩壊していく日常と甘美な性愛を描く。
文学的作品として高い評価を得ており、いかにも「楽しめなさそう」な映画だったが、意外にストレスは少なかった。テーマは深淵なのだが、あらすじのシンプルさで言えば『ビリギャル』と変わらないからだ。
「要するに二人が不倫して心中する話だろ」と思って観ていればそれでいい。セリフが聞き取れなくても話についていけるのはありがたいことだ。
ただ、最大の問題は肝心のセックス描写である。
射精に近づくにつれて、カメラアングルの切り替えがどんどん激しくなるのだ。
激しすぎて何がなんだか分からないし、画面の動きが速すぎて具合が悪くなる。
この「カメラの動きが速すぎてついていけない」感覚、どこかで味わったなと思ったら、『セブン』の銃撃戦だ。射精直前のカメラ切り替えの速さは銃撃戦とちょうど同じであることに気づいた。
「弾を撃つまでの攻防という意味では、これも銃撃戦ですからな!」じゃねえよやかましいわ。
「両方とも、命のやりとりですからね!」でもねえよやかましいわ。
余談-とうとう夢に高速の人が出てきた
ちなみにこの日の朝、とうとう夢に高速の人が出てきた。15日間も同じ生活を続けていると精神世界に影響を及ぼすらしい。
僕はカフェで作業をしているのだが、周囲にいる客は全員高速で喋り、高速で歩いていた。
ただし、僕自身の動きは通常速度だったし、高速で喋る知り合いも出てこなかった。つまり、僕はまだ一応「高速を傍観する者」で居続けることができていた。自分の精神が完全に高速に飲み込まれているワケではない。
だが、この生活をあと一ヶ月続けたら僕の精神は完全に高速に飲み込まれてしまうような気がする。
高速動画生活を行う人は、精神を高速に持っていかれないように常に注意する必要がある。ニーチェも言うように、「我々が高速を覗くとき、高速もまたこちらを覗いているのだ」。
16日目の結論
- 射精直前はほぼ銃撃戦
- 16日目で夢に出てくる人が高速になる。
- 我々が高速を覗くとき、高速もまたこちらを覗いているのだ
17日目-友人を招聘してみる
さて17日目(3.6倍速)になり、いよいよ4倍速を目前に迎えたワケだが、意外に僕はストレスで死にそうになっていない。
楽しんだとは言えないまでも、『失楽園』はそれほど大きなストレスではなかった。『戦場のメリークリスマス』の方がよほどストレスだった。セリフが聞き取れないことに慣れてきたのかもしれない。「セリフとかじゃなく、映画の雰囲気を楽しもう」という切り替えができたのかもしれない。
また、洋画に至っては未だに普通に楽しめている。
正直、「こんなはずじゃなかった」という感覚がある。予定では3倍を越えた頃には完全に「もうダメだ……ツラい……」みたいになっているはずだった。そういう予想を立ててこの企画に着手したのだ。
だが、実際にはそうならなかった。
ここで一つ気になる問題がある。もしかして僕は”覚醒”しているのではないか?
高速生活を16日も続けたから、速さに脳が慣れてきたのではないだろうか?
そう思ったので、この日は友人と一緒に観ることにした。ビデオ通話を繋いで。
まず、この状態で高速の洋画を観てみた。『アイ・フィール・プリティ』である。
いい映画だと評判なのだが、果たして…。
(映画『アイ・フィール・プリティ』より引用)
結論から言うと、僕も友人も感想は同じだった。
「良い映画だな~、これ」である。
いや、もうめちゃくちゃいい映画。3.6倍速で観たとか関係なしに普通に感想を語り合いたい映画。
ざっくり言うと、
- 自分の外見に全く自信を持てず卑屈に生きていた女性が、頭を打ったのをきっかけに”めちゃくちゃ美女に変貌した!”と錯覚する。
- ただの錯覚なので何も変わってないのだけれど、自信満々に振る舞うことで人生が劇的に好転する。恋人もできるし憧れの会社で素敵な仕事もできるようになる。
という映画。超シンプルながら超力強いメッセージでよくまとめられた映画。
あまりに良かったので、「やっぱり”私、超キレイ!”っていつも思わなきゃだめだよね♡」などということを語り合ってしまった。アラサーのオジサン2名がである。
感想を語り合うのは超楽しかった。僕も明日から”私、超キレイ!”って思いながら生きていこうと思う。
3.6倍速の洋画は誰でも字幕が読め、問題なく楽しめるということが分かった。別に僕が覚醒していたワケではなかった。
録画して初めて自覚できる苦行
続いて、邦画。『重力ピエロ』を3.6倍速で観た。
(映画『重力ピエロ』より)
伊坂幸太郎原作のミステリで、驚きの展開が待っている……らしいのだが、やはり速くてセリフはほとんど聞き取れない。
そして、これを観ているときの我々の顔は、これだ。
明らかに楽しくなさそうな顔をしている。先ほどまでの楽しそうな2人はどこへやら。
家が全焼してしまったヤツ(左)と、4人殺して逃亡中のヤツ(右)の顔だ。全然楽しそうじゃない。
友人は5分おきに「苦痛だ……」と言っていた。僕はそれに対して「僕は慣れてきたからどうってことないよ!」と返していた。本音のつもりだった。
しかし、録画を見返して愕然とした。僕(左)の方がよほど悲しい顔をしているじゃないか。終始、家が全焼した時にしかできない顔をしている。
どうやら、僕はツラすぎて「もう慣れたからこの速度の邦画を観るのはストレスではない」と自分に言い聞かせていただけであり、本当はすごくツラかったらしい。録画を観て初めて分かる現象だ。
『世にも奇妙な物語』で「寝て起きると、殺して埋めたはずの遺体が毎日掘り出され自分の横にある」という殺人犯の話があった。気味が悪いと思った彼は埋めた場所に監視カメラを設置して眠ることにする。
翌朝、カメラの映像を確認してみると、自分が遺体を掘り出して運び去るところが映っていた。彼は無自覚に毎日遺体を掘り出していて、そのことを録画して初めて自覚したのだ。
僕もこれに近い。「慣れたから邦画を観るのもそんなに苦じゃないぜ!」と語っていたが、録画したらめちゃくちゃ苦だったことが発覚した。家が全焼するのと同じストレスレベルだったのだ。
ここでまた一つライフハックが生まれた。たまに自分の作業風景を録画してみるといい。思わぬところで家が全焼するほどのストレスを感じていることが発覚するかもしれない。
ちなみに、友人と僕の理解度の差をはかるためにお互いに『重力ピエロ』のあらすじを書いてみた。
上述したスプレッドシートの2枚目のシートがそれである。興味がある方は読み比べてみるといいと思うが、別に読み比べなくてもいい。
なにしろ、理解度はほぼ一緒なのだから。
正直、「覚醒したかもしれない」とか言い出したのを後悔している。恥ずかしい。まるで自分が新しい能力を宿し、「進化した人間」になったかのように錯覚していたが、実態はまるで逆だった。
僕は「退化した人間」だった。
能力が覚醒したどころか、実際には家が全焼したレベルのストレスを意識できなくなり、精神世界が高速に侵され始めている哀れな人間だ。
自分が退化した人間であることを自覚した僕は、悲しみを感じながらビデオ通話を切った。
切る直前に友人と行っていた世間話の間、ふと「こいつ喋るの遅いな…」と思ってしまい、より悲しみが増した。
18~20日目 タイトルの情報量が明暗を分ける
最後の3日間。
18日目(4.0倍速)、19日目(4.4倍速)、20日目(4.8倍速)は、まさに魔のゾーンとしか言いようがなかった。
まず、邦画に関しては基本的に全てのセリフが聞き取れない。
19日目には『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべてを狂わせるガール』を観たのだが……
(映画『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべてを狂わせるガール』より引用)
なんと、この映画、2時間観て聞き取れた単語は3つだけだった
「編集長」「そんな」「あいつめ~!」のみ。
2時間で聞き取れるセリフ全てよりも、タイトルから得られる情報の方が多い。
こうなってくるとタイトルの情報がめちゃくちゃありがたい。主人公はとりあえず「奥田民生になりたいボーイ」であることが推測できるし、ヒロインは「出会う男すべて狂わせるガール」なのだろうと思いながら観ることができる。
そして、このヒントのお陰でなんとかあらすじだけは理解することができた。すごい。タイトルの情報量がしっかりしていれば、セリフは3単語しか聞き取れなくてもあらすじが分かるのだ。
これはまさに、タイトルの情報ありがたいボーイと喋るセリフすべてを聞き取れないガールといった感じだ。何が”まさに”なのかさっぱり分からないけど。
だが、タイトルであらすじを理解するのちょっとセコいなと思ったので、次の日は全く情報がない『渋谷』を観た。
(映画『渋谷』より引用)
タイトルからは何も情報が得られない。せいぜい「渋谷が舞台の映画なんだな~」という程度である。
そして、相変わらずセリフはほとんど聞き取れない。映画全体を通して2フレーズしか聞き取れなかった。「警察」と「もう一度」である。文脈が分からなければこの情報はゴミだ。何一つ映画の内容理解に寄与しない。
しかも、この映画はかなりの低予算映画らしく、ほとんどシーンが切り替わらない。主人公とヒロインの会話が主な映画である。しかしこの会話から僕はゴミ情報しか得られておらず、何も分からないまま映画が終わった。
結局、2時間観たのに、この映画について分かったことは「主人公とヒロインが惚れた腫れたをする話」ということだけだった。この世の物語の95%くらいが該当しそうな情報だ。
タイトルによる補完がないと、もはや映画のジャンルすらも分からない。4.8倍速とは、そういう世界である。
洋画も限界に達した
字幕が出る洋画は速くても意外と問題ないということを先に述べたが、20日目(4.8倍速)にしてとうとう限界を迎えた。
最終日はフランス映画の『タイピスト』を観たのだが……
(映画『タイピスト』より引用)
4.8倍速まで来ると、字幕が一瞬表示されてすぐに消える。
特に、人が怒って早口になった時などは烈火のごとく字幕が出たり消えたりするので、時々字幕を読み落とすようになった。
さらに言えば、一瞬しか表示されない字幕を逃さず読むために視線を常に下の方に置いておかなければならず、あまり映像を観ることができない。
この映画は「1950年代フランス風の服装や家具がかわいい!」という映画らしいが、僕はほとんど服装や家具の印象はない。字幕を読むのに精一杯だったからだ。
全体として洋画は割と楽しめていたのだが、4.8倍速になって初めて「これあんまり楽しめないな…」という感覚に襲われた。最終日でやっと洋画の限界にたどり着いたと言えよう。ある意味、キリがよくて実験の終了としては素晴らしいことかもしれない。
洋画は、4.8倍速未満がいい。4.5倍速くらいに留めておけば、ギリギリ楽しめると言えるだろう。
18~20日目の結論
- 『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべてを狂わせるガール』は、「タイトルの情報ありがたいボーイと喋るセリフすべてを聞き取れないガール」。
- 『渋谷』は、主人公とヒロインが惚れた腫れたをする話。
- 洋画は4.5倍速くらいならギリギリ楽しめる。
まとめ
以上、20日間の実験と、そこから得られた知見について書いていった。
今回の結論は……
(マンガ『孤独のグルメ』1巻より引用 )
未検証の問題-『孤独のグルメ』はどこまでイケるのか
僕の心の中のリトル井之頭五郎が「あせるなあせるな」と言い出した。
そう、彼の言う通り、今回の検証ではまだ満足行く結果が得られていない部分がある。
それが、ドラマ『孤独のグルメ』は何倍速まで耐えうるのか?という問題だ。
この記事は既に2万3000文字を突破しているので、皆さんはもうお忘れになっているかもしれないが、3日目(1.3倍速)の時点で、我々はこの企画における「黒船」に到達していた。
それこそが、ドラマ『孤独のグルメ』である。
なぜこのドラマが黒船になりうるかについては、既に述べた。文化人類学者ベネディクト風に言うなら「日本人はオッサンの食事を重要行為とみなしていない」のであり、我々の脳はオッサンの食事に対して選択的注意を払わないように訓練されている。オッサンが飯を食う速度は何倍速だろうが構わないのである。
そしてこの仮説はかなり検証されている。実は、18日目(4.0倍速)で僕は再び『孤独のグルメ』を観ているのである。そして、あまりストレスなく観ることができている。
オッサンが飯を食うだけの番組は、高速であっても普通に観れるのだ。
(倍速動画生活スプレッドシートより引用)
この問題に決着をつけずして、この検証は終われないだろう、と妙な義務感が爆発してしまった。
ということで、以下、追加実験のコーナーだ。
「おいおいまだ続くのかよ」と思った方はちょっと待って欲しい。一番そう思っているのは僕だ。
なにしろほとんど聞き取れない邦画を10日間以上観続けて、この記事も既に24時間以上書いている。疲労困憊である。もう終わりたい気持ちでいっぱいだ。
だが、学問の発展は常に狂気と共にあった。
遺伝の法則を発見したことで有名なグレゴール・ヨハン・メンデルは、なんと15年間にわたってエンドウ豆の交配実験を繰り返している。
しかも驚くべきことは、彼の研究はまったく評価されていなかった上に、彼の本業はキリスト教の司祭であったことだ。
メンデルの研究の偉大さが理解され遺伝学という学問が生まれたのは彼の死後だ。つまり、彼は誰にも価値を認められていないのに、15年間にわたってエンドウ豆を交配させ続け、エンドウ豆の特徴をカウントし続けたのだ。これはまさに狂気の業績というほかない。
だから、僕も終わらせることはできない。『孤独のグルメ』の限界を探らなければならない。追加実験をしよう。
(以下、スクショは全て『孤独のグルメ シーズン7』から引用)
追加実験① – 4.5倍の「シーズン7 #3」
謎のメキシコ料理を食べているが、全く問題ない。味を想像しながら観た。
追加実験② – 5.0倍の「シーズン7 #4」
すき焼きの回。
セリフはだいぶ聞き取りにくいが、しいたけを食べて「うん、ニヌムルタシィタケハマイ」みたいに聞こえる。「しいたけが美味い」っていう話をしてるんだろうな、くらいに思っていれば全然観れる。
洋画がもうストレスまみれになる5倍速に到達したが、未だにストレスはない。無限に観れる。
追加実験③ – 5.5倍速の「シーズン7 #5」
麻婆豆腐の回。
この中華屋、めちゃくちゃ美味そうだ。全メニュー美味そうだし、店の雰囲気もいい。
麻婆豆腐もかなり辛そうだが美味そうで、「お腹減ったなぁ」と思いながら観た。
ストレスは一向に発生しない。楽しく観れる。
5.5倍速なので、一品食い終わるのがめちゃくちゃ速い。杏仁豆腐を8秒くらいで平らげたのが面白かった。
追加実験③ – 6.0倍速の「シーズン7 #6」
もしかして本当に、10倍速くらいになっても問題なく観れるのではないか……そんな疑惑が湧いてきた6.0倍速。
ここで、思わぬトラブルに見舞われた。
頻繁にストリーミング待ちが発生し、再生速度がキープできなくなったのだ。
確かに、考えてみると当たり前の話だが、6倍速は通常の6倍の通信量を必要とする。
言うなれば、同時に6本の映画を視聴しているのと同じだ。そりゃ限界が来るだろう。
ということで、ここで技術上の制約によって実験は打ち切りを余儀なくされてしまった。
ディープラーニングはなぜ日の目を見なかったか
実に悲しいことだが、こういう打ち切りは往々にしてある。
というよりむしろ、科学の発展はこの繰り返しだったと言っていい。
例えば、人工知能だ。「Googleの人工知能が写真から猫を見つけ出すのに成功した」というニュースが2012年に一大センセーションを巻き起こした。
この人工知能の画期的なところは、人間が”猫”について何も教えなくても、人工知能は大量の写真を学習することによって「猫」を発見できるようになる。つまり、人工知能が勝手に「猫」という概念を習得するのだ。それはちょうど、人間の赤ん坊が「猫」という概念を学習するのと同じように。
だが実は、この時Googleが使った「ディープラーニング」という技術の萌芽は、はるか昔に存在していた。
ディープラーニングの骨格となる技術は1957年には考案されている。
しかし、2012年まであまり大きな成果が上がらなかった。なぜかというと、コンピュータの能力とインターネットの普及度が足りなかったからだ。
コンピュータの能力が足りなければ計算に時間がかかりすぎるし、インターネットが普及していなければ学習するためのデータが足りない。
そういうワケで、ディープラーニングはなかなか日の目を見なかった。
そう、アイディアはあっても技術の問題で十分に実践はできず、結果は出ないまま放置される。科学の発展とはその繰り返しなのである。
そして、僕も今回はその壁に突き当たった。
残念ながら『孤独のグルメ』の限界速度については技術的な問題で検証できないままだが、これは「今後の課題」として後世に残しておくこととする。
これから5G時代が到来し、より速い通信が期待できるようになる。だから、新時代の到来と共に、この問題は解決する時が来るだろう。
Googleが新時代の到来と共にディープラーニングを用いて大きな業績を産んだように、『孤独のグルメ』の限界を探れる日が訪れるのは、そう遠い未来ではないに違いない。
今はただ、5G時代の到来と未来への希望を胸にしながら、本稿を終えることにしよう。
まとめ
- 人でなしがドキュメンタリーを観るときは1.7倍速がオススメ。
- 素直になれない人は『戦場のメリークリスマス』を1.9倍速で観ろ!
- 最近のコナンは右寄りの人が作っている
- ヴォルテールの気持ちになりたい人は、『曲がれ!スプーン!』を2.6倍速で観るのがオススメ
- 射精直前はほぼ銃撃戦と同じ
- 我々が高速を覗くとき、高速もまたこちらを覗いている
- タイトルの情報ありがたいボーイと喋るセリフすべてを聞き取れないガール
- 『孤独のグルメ』の限界を知るには、5G時代の到来を待たなければならない。
最後に-ナルハヤで生きていきたいあなたのために
2万7000文字に及ぶ長い記事を最後まで読み切って頂いてありがたく思う。
この記事を最後まで読んだということは、あなたはきっと「映画をナルハヤで観たい」という思いを抱えているに違いない。
だが、ここまで散々見てきたように、映画をナルハヤで観ようと頑張ることはあまりオススメしない。そんなことをすると、『戦場のメリークリスマス』でセルフ・コントロールを失ったり、セックスが銃撃戦になったり、精神世界が高速に侵されてしまい友人の遅さにイライラしたりする。
だから、映画は基本的には通常速度で観た方がいい。高速にするとしてもせいぜい1.4倍くらいに留めておく方がよく、「ナルハヤにしよう」と思うべきではない。
だからこそ、「ナルハヤで観たい」という欲望は、別の所で発散する必要がある。
そこでやるべきなのが、ボードゲーム『ナルハヤのつるぎ』だ。どんなゲームなのかは、以下の動画を見ればすぐに理解できる。
このゲームはプレイヤーが刀鍛冶になり、ナルハヤで剣を作って提供するゲームだ。
スピーディにカードを選択して組み合わせていく知的な喜びを得ることができる。
また、ルールは至ってシンプルで、誰でも1分の説明を聞けばゲームを始められる。ゲームを開始するまでの工程すらもナルハヤであるという徹底ぶり、まさにナルハヤ欲を抱えたあなたにピッタリのゲームと言えよう。
ぜひ、購入を検討されたい。というか、こんな謎の企画に広告費を出してくれた広告主のゲームデザイナーに敬意を払って、ぜひ皆買って欲しい。酔狂な人が報われる世の中であるべきだ。
以上、長々とお付き合いくださってありがとうございました!