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「東大を出たから年収一千万は欲しい」と言う親友と、飲みに行くのをやめた。

エッセイ

ざっかけない個人経営の焼き鳥屋で飲んでいた時、20年来の付き合いの友人が言った。

「せっかく東大を出たんだから年収1000万は欲しいよね。そのくらいはもらえる会社に行かないと」と。

僕は彼とは長い付き合いだったし、彼のことを親友だと思っていた。

地元札幌が同じで、小中高と同じ学校だった。中学は札幌で一番荒れた学校で、高校は札幌で一番の進学校だったから、中学と高校が同じヤツはほとんどいなかった。だから高校生の時、バックグラウンドを共有していた僕と彼は既にごく親しい友人だった。

よく一緒に自転車を漕いで帰った。帰り道ではいつも他愛ない話をしていた。

 

同じ小中高を出て、同じように一浪した。予備校は別々だったが、自転車で5分と離れていない予備校だったから、たまに勉強をサボって一緒に映画を見に行った。

一浪を経て、同じタイミングで大学に進学した。彼は東大。僕は慶應に進んだ。

小中高が同じで、東京に出てくるタイミングまで同じとなれば、これはもう”戦友”に近いものがある。

 

たまに飲みに行っては、「札幌は住みやすかったよな。俺まだ東京の電車に慣れないよ」とか、「中学一緒だった◯◯ちゃん覚えてる?あいつ、結婚するらしいよ」とか、バックグラウンドを共有しているもの同士でしか盛り上がれない多くの話で盛り上がった。

僕と彼は圧倒的に多くのバックグラウンドを共有していたし、それゆえに、最高に気の置けない友人だった。

 

しかし、彼が上記の「年収1000万は欲しいよね」発言をするようになった頃から彼と飲みに行くのをやめた。

つまらないな、と思ったからだ。僕は彼のことを心からつまらないと思った。

彼は自分の人生を、どういうわけだか、【持っているカード】によって縛ってしまっているのだ。

僕は学歴というカードを使うことを否定しない。くだらないとは思うが、現代社会においてやっぱり学歴って人間の能力を示す分かりやすいカードだ。

だから、これを使うのは構わないけど、これによって自分が縛られてしまうのは本当に馬鹿馬鹿しい。

 

本来、「稼ぐ金額」や「理想の生活」というのはゼロベースで考えられるべきだ。

自分にとって幸せな暮らしって何なんだろう、と自分なりにじっくり考えて結論を出すべきことだ。

そして、その出た結論に合わせて持っているカードを上手に使ったり、カードがたりなければ新しいカードを手に入れたりする。それが幸せになるための方法のはずだ。

 

なのに、彼は逆に持っているカードによって幸せを決めていた。

東大を出たんだから1000万は稼がないといけない、と決めていた。

彼は自分の人生を、持っているカードによって決めてしまっていたんだ。

 

思えば、彼は昔からそういうところのある人間だった。ブランド志向というか、権威主義というか。

自分の人生を自分でひたすら考え抜く力がないから、ブランドに頼るタイプの人間だったのだろう。現役の時から彼がひたすら東京大学に行こうとしていたのも、そういう性向に起因していたように思う。

 

僕と彼の致命的な離別が発生したのは、大学三年生の終わりだ。

僕はその時期、始めて人生について深く考え始めていた。とあるベンチャー企業の立ち上げを手伝ったのを通して、幸せとはなんなのか、どんな仕事に就くのが理想なのか、頭がちぎれるほど考え始めた。

この時まで、僕も人生について深く考えたことがなかった。何となく、流されるままに生きてきた。だから、彼のブランド志向みたいな部分も、それまではあんまり気にならなかったのだろう。

 

僕は頭がちぎれるほど幸せについて考えていたから、それなりに理路整然と人生の目標や、進路選択の方針について説明できた。

一方、彼は考えていなかった。

その時期、人生の目標について彼に問うたことがある。彼からの返事は、こうだった。

まあ、波風立てずにそれなりに、幸せに生きていければいいかな

何の情報量もないな、と思った。じゃあ君にとって幸せって何なの?と聞くと、「うーん、まあ日々楽しく過ごせることかな……」と、これまた何の情報量もない答えが返ってきた。

 

そんな彼に違和感をおぼえ、つまらないと思った夜、僕はそのことをはっきり彼に伝えた。気の置けない友人だからできることだ。

「その考え、めちゃくちゃダサいと思うよ。君にとって幸せが何なのかをじっくり考えて、幸せになるために必要な金額をじっくり考えて、それから稼ぐ金額や仕事を選ぼうよ」と言った。

これは今でも絶対に正しいと思っているし、今でも僕のところに相談に来る大学生にはよく伝えている。

 

さて、そう伝えた彼は「うーん、そうなのかなあ…。でもまあ、僕は君と違ってやりたいこともないしさ。こっそり生きていければいいよ」と言った。

親友を通り越して”戦友”だった彼に、この時はじめて、大きな距離を感じた。

彼と僕は分かり合えないのかもしれない。

 

それからも3度ほどは、飲みに行ってみた。少しずつでも、この違和感が解消されていくかもしれないと思って。

毎回彼に僕の考えを伝えていれば、彼も人生について真剣に考え始めるようになるかもしれないと思って。

 

結果から言えば、彼の考えが変わることはなかったし、僕が彼の人生観を面白いと思うこともなかった。

彼は毎回同じような論旨を展開し、僕は毎回同じように返答をした。

僕は埋まらない距離に少し疲弊していた。彼もそうなのかもしれない。僕たちは飲みに行くことはなくなった。

 

最後に飲みに行ってから、2年ほどが経つ。

あれから彼は大学を一留し、就職活動に失敗し、大学院に進学した。その彼も今は修士2年生で、就職活動をしている時期だ。

この2年で、彼はどうなったのだろうか。やはり今でもあの頃と同じ考え方なのだろうか。変化はあったのだろうか。

 

彼と疎遠になっていった時期のことを時折考える。彼からすると、変わってしまったのは僕だ。

僕たちはそれまでは一緒にフラフラしながら、一緒に人生を浪費していたのに、僕は急に人生設計に死ぬ気で取り組むようになってしまった。

結果的に、埋まらない溝が生まれてしまった。

僕が悪かったのだろうか。彼が悪かったのだろうか。いや、誰も悪くない。

人は、変化し続ける生き物だ。例えそれがどんなに長く一緒に時間を過ごした戦友であっても、相手の変化に合わせられないときが必ず出現する。

そんな時、ゴマカシながら適当に関係を続けるという選択肢もある。僕にはできなかった。

彼に限らず、僕は、「こいつ、人生観つまらないな〜」と思う相手とテキトウに合わせながら飲みに行くことができない。

僕はきっと、こうやって生きていくしかない。

僕の変化、あるいは相手の変化により、相手がつまらないなと感じるようになってしまったら、飲みに行くのをやめる。

インターネットの力、都市の力によって、現代は人間関係が無限に兌換可能である。

この現代の特性をフル活用して、僕はこれからも生きていく。

 

きっとこれは、ありふれた話だ。

誰にでも、似たような離別の覚えがあるだろう。人は、変化する生き物だ。

寂しい気もするけど、僕たちはそれでも人と接しながら生きていくしかない。

分かり合えない時には適当にゴマカシてもいいし、人間関係を兌換してもいい。

僕は、人間関係を兌換しながら生き続ける。あなたは、どうするだろう?

author
Ken Horimoto
堀元 見

仕事は「新しいあそびを作ること」。異常なイベントを企画したり異常なWEBサービスを作ったりしながら生計を立てています。

好きなものはトンカツとインターネット。あと人の悪口。(性格が)悪そうなヤツはだいたい友達。

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