オープンな議論をすれば職場の問題の8割は解決する

こんにちは。あの村村長の堀元です。

さて、最近の僕はというと、人間関係の調整業務に追われております。

あの村という、誰にでも遊びでできる村作り体験サービスの正式オープンを間近に控えて、非常にたくさんの人の調整をしなければいけないのです。

  1. あの村スタッフ内部の調整
  2. 地元の人の調整
  3. 顧客の調整
  4. 出資者の調整

僕はこの辺の調整がそれほど嫌いではないので、まあぼちぼちこなしているのですが、最近ホントに思うことがあります。

それは、オープンな場での議論の重要性です。

オープンな場での議論ってめちゃくちゃ大事なのに、苦手な人がホントに多いな、と思うのです。

今日はその辺について書いてみます。

 

オープンチャンネルではなく、ダイレクトメッセージが来る

堀元
あれ、皆オープンな議論が苦手なのかな…

と感じることが多いのは、上記の「あの村スタッフ内部の調整」です。

あの村スタッフ内の情報共有は、Slackという非常に便利なチャットツールで行っています。

Slack。オープンな会話もクローズドな会話もできます

 

で、このSlackでしょっちゅうあるのが、

堀元
あ、それ俺にDM(ダイレクトメッセージ)で来るんだ!

という驚き。

そうなんです。皆が見られるオープンなチャンネルではなく、僕個人宛にいっぱいメッセージが来るんですよ。

そういう時は、いつもやんわり

堀元
あ、オープンなところでやりましょう!

と伝えます。

僕は、組織の中ではなるべくオープンな議論が好ましいと思っています。

 

クローズドな場での議論は「らしい」を生み出す

クローズドな場の議論が嫌いなのは、こういう状態を招くからです。

課長はこないだ田中にめっちゃキレてたらしいよ…!

とか、

部長は〜〜に良い印象持ってないらしいから、××しておくのがいいよ!

みたいな、伝聞調で伝わる仕事の話。いやいやいや、「らしい」とかじゃなくて、もっと明確にしましょうよ。

先生に怒られるのが嫌な子供じゃないんだから、

 

「オープンに議論してない」からそうなる

上述のような問題が発生する理由って、オープンな議論をしてないからなんですよね。

例えば、

課長はこないだ田中にめっちゃキレてたらしいよ…!

この噂話、出どころは大体、ただの立ち聞きです。

課長
お前ナメてるの?向こうのリクエストに押されるなっていつも言ってるだろ!◯◯が必須ならこれはありえない!

という田中への一言を偶然聞いてしまった結果です。

しかし、往々にしてこういう立ち聞きは、前後の文脈を含んでおらず、ニュアンスが事実と違うものです。

 

会話の全体像はこうだったりするのです…

課長
ねえねえ。これってどうなってるの?田中くん、おかしくない?
田中
いや、これ先方の要望なんですよ。先方がこういう仕様が良いっていうんです!
課長
お前ナメてるの?向こうのリクエストに押されるなっていつも言ってるだろ!◯◯が必須ならこれはありえない!
田中
いや、実は◯◯の機能の件ですが、僕らが勘違いをしてまして、よく聞いてみると△△したかっただけなんですって!
課長
あ!そうなの!じゃあアレだね。そもそも〜〜は要らないんだ!?
田中
そうなんですよ!だから、こういう設計がベストかなと
課長
なるほどね!そういうことか!ごめんね!ありがとう!!

 

…という一連のやり取りが見えてるので、別に課長が田中にキレてないのが一目瞭然で分かります。

噂話の怖いところは、一切の文脈や背景を削ぎ落として発言が伝わるので、間違った知見になってしまうというところ。

課長は仕様を変更するとキレるみたいな、謎の知見が生まれます。

そして、そういう謎の知見が蓄積されてしまうと、職場がどんどん暮らしづらくなります。

 

◯◯したい…!でも課長は◯◯に厳しいらしいしなあ…!

と、勝手にどんどん選択肢が減っていきます。この職場辛すぎ。

「皆からしっかり議論が見える」場所はこういうことが起こらないから素晴らしいのです。

チャットツールのオープンチャンネルはどんどん活用していくべきです。

 

なぜクローズドが好まれるのか

にも関わらず、なぜクローズドな場所での議論が好まれるのか。

それは、日本人は文化的に「大勢の前で発言する」のが苦手だからなのではないかと思います。

上司と二人なら言いたいことを言えるけど、会議で何十人という人が出席している場所で何か意見を言うのは緊張する・はばかられるという人は結構多いんじゃないでしょうか。

恐らく、それと同じことがチャットツール上でも起きています。

ここで発言すると、皆に見えちゃうな…

とか、そういう気持ちがDMに頼ろうという気持ちを引き起こすようです。

 

迷ったら、オープンな議論を選ぼう

でも、皆に見えることのデメリットって小さいんです。

せいぜい

なんだこいつ!何かうるせえな!

と思われるくらいです。でも彼のことは気にしなくていいです。どうせ2秒後には自分の仕事に戻ってます

人は、自分と関係ない情報を素早くスルーすることができます。

 

情報が変な伝わり方をしたり、変な噂話が流れることのデメリットに比べたら、ちょっと「うるさい」と思われることなんて全然気にしなくていいでしょう。

オープンな場での議論のメリットは

  • 意思決定のプロセスが見えるので、皆が不満を抱きづらい
  • 発言の一部を切り取られて変な噂にならない
  • 決定のプロセスがそのまま情報なので、「決定」→「情報共有」の二度手間が防げる
  • 話し合ってる当事者同士が見逃してる情報を、周囲が教えてくれる場合がある

など、多岐に渡ります。

皆、どんどんオープンな議論をしていこうぜ!

 

例外:「叱る」と「能力の低さに言及」

ということで、基本的には常にオープンな議論をするべきだというのが僕の考えなのですが、例外が2つだけあります。

それは「叱る」ときと、「能力の低さについて言及する」ときです。

 

叱る

管理職の使い古された基本に、「褒めるときは皆の前」、「叱るときは二人だけで」というのがあります。

皆の前で叱るのは全員にとって良くありません。

叱られている本人:皆の前で叱られてみじめな気持ちになる

聞いている周りの人:「うわー…かわいそう…」と微妙な気持ち&自分は叱られたくないという気持ちになる

叱っている本人:周りを気にして十分にヒアリングや本音の会話ができない

という、三者三様に損をする形になります。

叱るときはかえってオープンな場でなく、クローズドにやった方が精神衛生上いいです。

もちろん、叱っている間の反論やヒアリングで見えてくるものはあるでしょう。それは別の機会で皆と共有しましょう。

それは決して二度手間ではありません。オープンな場でやっていては出てこなかったであろう意見です。

オープンな場で叱ることは、意見を出せなくするし、皆の働きやすい空気を阻害します。

クローズドな場でやりましょう。

 

能力の低さに言及

もう一点、誰かの能力の低さ(特に、本人が自覚してないもの)に言及するときも、クローズドな場所がいいです。

誰かの能力の低さが問題になるときは2パターンあって、

  1. 本人に、能力の低さについて伝えなければならないとき(ある種の役割を降板させる等)
  2. 本人には能力の低さを伝えず、周りにフォローさせたいとき(Aさんは◯◯だけ苦手だから、Bくんはそこをさりげなくチェックしてあげて!)

の、どちらかです。

①のパターンのときは、オープンな議論がいいです。

人格否定や仕事の姿勢の否定ではなく、純粋にある能力の低さについて喋っていることを強調しつつ、オープンに伝えましょう。

堀元
Aさんってぶっちゃけ、◯◯が苦手だよね?
堀元
だから、◯◯の部分はBくんにまかせてもらった方がいいかなと思います!そのほうがAさんも〜〜に集中できて良いんじゃないかと!

こんな感じ。

 

一方、②の場合は、わざわざAさんを傷つけたり自信を失わせる必要はないです。

クローズドな場所でやりましょう。

堀元
Bくん、実はちょっと言っておきたいことがあって…
堀元
Aさんってさ、実は◯◯があんまり得意じゃないと思うんだよね。だから、ミスってるかどうかを、Bくんの方でさりげなくチェックして、間違ってたら教えてあげて!

こんな感じ。業務に支障をきたすような大きな問題でなく、誰かがさりげなくフォローすれば良いレベルのことはこういう解決が好ましいのではないかと。

 

まとめ

ということで、今回のまとめです。

  • なるべくオープンな場で議論するように心がけよう
  • そしたら良いことずくめ!色々見える化されるし、変な噂話も流れないよ!
  • 「叱る」ときと「能力の低さに言及」するときだけは例外

 

オープン・クローズを的確に使い分けて、楽しい情報共有ライフを送りましょう!

 

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