【労働=我慢?】99%の人が勘違いしている労働の本質

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僕はまあまあいい大学を出て、まあまあ順調な人生を歩みそうでしたが、結局「就職しない」という選択によってその順調さを破壊してしまいました。

僕が大学4年生で、「進学も就職もしない」と決めた経緯

2016.04.29

そんな僕が感じていた「労働」についての違和感と、その解決策である労働の本質について書いてみます。若者は是非読んで欲しい。

 

大人が楽しそうじゃない

めちゃくちゃシンプルに言うと、僕が就職しなかった理由ナンバー1はこれです。

「あー、明日仕事行きたくない…」「金曜日の夜のビールのために生きてる!」

「家族を養うために必死なんだ!」「働くってことは辛いことだ!」

皆こんな風に嫌々働いているように見えました。全然楽しそうじゃない。

一方で、たまに楽しそうな大人もいました。「働くの楽しい!!」ということを言っている人も。

その違いはどこから生まれるんだろう?と、日々考えていました。

 

売りたくないものを売る

ヒントになったのは、ある先輩から聞いた話。

先輩は某大手証券会社の営業として働いていたのですが、ストレスのあまり激ヤセし、体重が38キロになったそうです。

その理由を聞いたら、

会社の読み間違いで、絶対に値下がりする金融商品を大量に売る準備しちゃったんだよね。

で、誰もが「これ値段下がるなー」と思っていながら、会社としては用意してしまった以上売らないといけないんだ。

だから俺たち営業にもノルマが課される。絶対値下がりするものをかなりの量売る必要があった。

絶対に下がるから新規の顧客にはまず振り向いてもらえない。「それ下がるでしょ?」って言われちゃう。だから今までに信用を獲得してきたお客さんを上手いこと騙して買わせるしかなかった。

それがすげえ申し訳なくて、ストレスが凄かったね。

とのことでした。

この話を聞いて、僕はなぜこんなに不幸な人が出てしまうだろうと悲しくなりました。

売りたくないものを売らなければならないって、なんて悲しいんでしょう。

 

労働=我慢

今、資本主義経済は限界に差し掛かっています。人口は増えないのに、モノが溢れているからです。

上のような「売りたくないものを売る」状況は至る所に見られます。もうモノで溢れかえっているのに、大企業が存続するためだけに無理やり新しい物を売り続けている。

こんな状況の中で、ほぼすべての人が、ある幻想に取り憑かれています。

労働は我慢である

という幻想です。

売りたくないものを売って歩きながら、疲れて悲しんで辛い思いをする。

その辛い思いを我慢した対価として、お金を受け取っていると思っている人が多すぎるのです。

 

僕が「仕事として変な遊びを作っています」というと、いわゆる「常識的な」大人は、すごく批判します。

「なんじゃそりゃ!ちゃんと働け!」とか「そんなもん金にならんだろ!」と言われます。

彼らは、我慢の対価としてのお金を受け取り続けてきたから、1ミリも我慢していない僕を許せないのです。

 

労働=人を幸せにすること

僕は「労働=人を幸せにすること」という方程式だけは間違っていないと思います。

ここだけは絶対に崩しません。人に価値を提供して、幸せにするのが労働です。資本主義においては、その幸せにした見返りがお金という形になっているだけです。

「人に価値を提供する」ことは圧倒的な喜びです。僕が変なイベントをやって、誰かが「面白かった」と言ってくれるのが、震えるほど嬉しいです。

それはイベントがお金になろうがなるまいが同じです。

例えば、先日の「フェチ×プレゼン」はそこそこお金になりました。

TED風にフェチをプレゼンする「フェチ×プレゼン」を主催した

2016.07.29

 

一方、「フリーハゲ」は全くお金になりませんでした。(そもそもどこからもお金をもらってません)

通行人にバリカンで坊主にされる「フリーハゲ」をやった記録

2016.07.10

しかし、僕は等しく嬉しかったです。まだ世界に無かった変な遊びを生み出して、人々に盛り上がってもらえたのです。

この、「変な遊びを生み出して皆に盛り上がってもらう」ことが、僕が世の中に提供できる価値です。

僕は変な遊びが生まれるのがたまらなく嬉しいです。皆がそこに盛り上がってるのも、たまらなく嬉しいです。

これが、労働です。

そして、お金を稼ぐためには、この皆の盛り上がりをお金に変えればいい。本質的にはお金になるかならないかは問題ではない。それはマネタイズの上手さという小手先のテクニックの話でしかないからです。

 

 

人を幸せにすると、自分も幸せになる

僕は割と性善説を信奉しています。

人間は、他人を幸せにしたら、自分も幸せを感じる生き物だと思っています。

例えば、こんな状況はどうでしょう?

目の前の人が財布を落として、拾ってあげたらものすごく感謝された。

「本当にありがとうございます!!!」という声と、満面の笑顔

 

僕はこんなとき、幸せになります。「良いことしたな!」と思います。

それは、目の前の人を幸せにした実感があるからです。

 

一方、上の証券会社の先輩の場合はどうでしょう?

人を幸せにするどころか、不幸にしている実感があったでしょう。

 

そりゃ、こんな仕事は楽しくないですよ。

人を幸せにして受け取るのがお金なのに、誰も幸せにしていない

どんなに世間的にしっかりした仕事に見えても、僕はこれを「労働」とは認めません。

 

仕事が楽しくないのは、あなたが労働してないからですよ

誰も幸せにしてないなら仕事は楽しくないのです。ひたすらストレスなのです。

だから皆、「我慢する代わりに給与をもらっている」と勘違いするようになります。

それ、全然違いますからね。

「仕事が楽しくない」とボヤいている人は、自分の胸に手を当てて考えて下さい。

あなたは人を幸せにしている実感がありますか?

実感があるなら、仕事は楽しいはずです。

 

さあ、本物の労働を始めよう

誰かを幸せにしている実感がないあなたは、今すぐその職場を飛び出して人を幸せにする方法を考えましょう。

人を幸せにして、あなたも幸せになる。

本物の労働が、この社会に戻ってくることを心から願っています。

 

僕は我慢していない

僕は変な遊びを作るのが好きだったので、それで人を幸せにする自信がありました。

イベントの前など、血ヘド吐くほど忙しい時もありますが、一度も辛いと思ったことはありません。

本物の労働は楽しいので、僕は何も我慢していません。そして、これからも我慢しません。

 

まとめ

  • 労働とは、人を幸せにすること
  • 断じて「労働=我慢」などではない
  • 本物の労働は、楽しいもの

 

以上です。読んで頂いてありがとうございました。

世界を面白くしよう!

 

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