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むだそくんについて

新しいものを創れないなら、クリエイターを名乗るな。【ぺーたーずのお三方へ】

仕事論

クリエイターとは何か。

その答えは、「新しいものを作り出せる人」であろう。

既存の型をなぞって、「今まで通りのもの」を作る人は、クリエイターではない。

クリエイターの創作物には、新しい着想が、新しい表現が、新しい創意工夫がなければならない。

 

そして、そんな新しい創意工夫が1ミリたりとも存在しないものをSNSで見かけると、すごく嫌な気分になる。

具体的には、これだ。

 

「存在しない映画の予告を作る」という趣旨の動画だ。

この趣旨を聞いただけで、インターネットが好きな人は全く同じ企画が一年ほど前に話題になったのを思い出すだろう。

 

【検証】「映画予告あるある」さえ押さえていれば、適当なテーマでも映画っぽくなる?

こちらは、インターネットおもしろコンテンツの大家であるオモコロの名作企画である。

企画もまとめ方も映像も素晴らしく、女子高生からオッサンまで誰もが褒め、大いに話題になった名作だ。僕もすごく笑ってシェアした記憶がある。

 

そう、冒頭の動画は、このオモコロの記事の完全なパクリなのだ。

「左野ジラフ」氏を含む動画投稿集団(あえて、クリエイターという単語は使わない)である「ぺーたーず」は、完全にただのパクリを垂れ流している。

 

本家、オモコロの動画はこちら。冒頭のぺーたーずの動画と比較すると、似ているどころではなくただのパクリであることが明らかだろう。

 

構成要素の何もかもが同じだ。ざっと書き出しただけでも、これだけ共通点がある。

  • 青春部活スポ根もの
  • 存在しない謎の競技が題材(湯豆腐に指を入れる、割り箸を割る)
  • ど頭で競技についての解説
  • 部員が慣れない競技に苦しむ様子
  • エースの存在をアピール
  • 女子マネージャー登場
  • 頼れるエースが故障
  • エースの故障に絶望するメンバー
  • 青春っぽい描写の後に復活する一同
  • 円陣を組んで叫ぶ
  • 最後にとぼけたシーンと音
  • 軽快なBGM→無音→サビの流れ

ところどころ、順番を変えてはいるものの、大まかな展開と構成要素はまるで同じ。

 

オモコロの記事の中では、素晴らしい着眼点と分析で「青春映画あるある」を切り出しているが、ぺーたーずの動画はそれをまるごと流用しただけである。独自の考察・表現は全く見られない。

 

画像はオモコロ記事内(https://omocoro.jp/kiji/127520/ )より抜粋

 

人が分析して作り上げたものをそのままなぞって同じように作る。こんなものをクリエイターの仕事と呼んでいいはずがない。

そして、表現として一段高いところに行ったとかそういうワケでもない

本家オモコロの方がずっとクオリティが高い。すなわち、後発で新しいことは何一つやっていない上に、品質でも負けているという救いようのない動画だ。

 

僕はすこぶる気分が悪くなった。

そして、この丸パクリでしかない企画で、「TikTokオーディション」なる賞レースに応募してすらいるそうだ。

 

どんな神経をしているのだろう。他人の企画を丸パクリして、自分たちなりの創意工夫もせず、賞レースにまで応募しようとしているなんて。

彼らはTikTokで10万フォロワーを獲得してとても順調らしい。それは本当に素晴らしいことなので、ぜひこんな丸パクリではなく、賞レースにおいても妥当なやり方で戦って欲しいものだ。

 

繰り返す。こんなものはクリエイターの仕事として認められていいはずがない。新しい着想も工夫も何もなしで、偉大な先人が作ったものの劣化版を作るのはクリエイターなどではない。ただ自らが名声を得たいだけの、ハイエナの仕事だ。

より優れた先人の仕事を埋没させるだけの、世界にとってマイナスの仕事だ。

 

本人たちいわくこれは「インスパイア」らしい

ぺーたーずメンバーの一人が、こう言っている。

 

「インスパイア」、便利な言葉だ。そう言っておけば丸パクリが許されるのだろうか。

「インスパイア」を辞書で引いてみよう。

思想・感情を吹き込むこと。鼓吹。

三省堂「大辞林 第三版」より引用

そう、インスパイアされるとは何らかの思想や感情といった、作品の核となるものに影響を受けることである。

あるいはもう少し広い意味で、「表現手法に影響を受ける」といった意味でも使うことがあるだろう。

だが、断じて「丸パクリする」という意味ではない。

 

本当にオモコロの企画に”インスパイア”されたのであれば、やりようはいくらでもあった。丸パクリになる青春部活モノではなく、ミステリーにすればよかった。

だが、彼らはそれをしなかった。思うに「新しい表現をしなければならない」という義務感すら、彼らには存在しないのだろう。丸パクリをすることに対して、抵抗感がないのだろう。

それを象徴するかのように、ぺーたーずのYouTubeチャンネルには、テレビの企画やジブリ映画をマネしたものばかりが並ぶ。

だが、今までは許せていた。

 

今まではギリギリ「インスパイア」で通っていた

今までも僕は彼らの動画がタイムラインに流れてくる度に「それはどうかなあ」と思ってはいた。だが、こうして具体的に声をあげようとはしなかった。

例えばこちらは、バラエティ番組「めちゃ×2イケてるッ!」の企画の完全なマネである。

だが、僕自身は、そのこと自体を(ダサいしつまらないとは思うが)否定しない。「パクリ」だと糾弾する必要もないだろう。

この場合、企画は「ハコ」に過ぎないからだ。「舞台」と言い換えても構わない。

どのような寝相をするか、という”演者”の持つ力がメインの企画だからだ。だから、これに文句を言おうとは思わない。このレベルのマネは、大なり小なり、どんなYouTuberだってやっているだろう。

 

だけど、今回の「存在しない映画の予告」は、「ハコ」じゃない。「中身」までそっくりそのままパクってしまった。

言うなれば、誰かが書いた小説を、(大学生がレポートでやるみたいに)助詞や文末を変えてそのままWEBサイトにアップロードして利益を得る行為だ。これを認めていいはずがない。

 

ぺーたーず様、それは「インスパイア」じゃないですよ。

ぺーたーずのお三方と僕は、実は結構面識がある。

何度か顔を合わせたことがあるし、一緒に酒を飲んで家に泊めてもらったことさえある。

作るコンテンツはともかく、人間としては彼らのことは好きだし、あえて敵対する必要もないと思っていた。

だが、今回の「存在しない映画の予告」に関しては声を上げずにはいられない。皆さんのやってるそれ、ただのパクリですよ。

まして、それで賞レースに応募して受賞しようなんて、正気の沙汰とは思えない。

 

コンテンツメーカーとして名声を得たいのなら、自分の表現をやってください。自分の創意工夫を足してください。

マネしたっていいから、せめて何かを足してください。丸パクリしてただの劣化コピーを生み出して、表現の世界を停滞させないでください。

 

まとめ

  • クリエイターなら、新しい工夫や表現をしなければならない
  • 演者のキャラクター中心の企画なら「マネ」も許される。中身中心の企画なら「パクリ」だ。許されることではない。
  • 何かにインスパイアされて、一歩前に進めた作品を作るのはいい。表現の世界はそうやって進んでいく。でも、丸パクリして後ろに進んだもの作ってどうすんだよ。

 

ぺーたーずの皆様、長々と偉そうに失礼しました。ただ、今回の動画はちょっとひどすぎるし、こういうことが跋扈すると世界のクリエイティブのレベルが下がると思ったので私見を述べさせていただきました。

反論がありましたら僕のSNSまでどうぞ。言い分に納得できれば本記事は消去します。

 

追記

記事を書いた数日後に「謝罪と動画削除」があったので、この記事は削除しました。

しかし、その後も結局ぺーたーずのパクリ体質は変わらなかったので、記事を復活させました。

author
Ken Horimoto
堀元 見

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