漫画、左ききのエレンを皆さんはご存知でしょうか?cakesにて連載中のWeb漫画です。
結論から言えば、めっちゃ面白いです。
しかも、面白いばかりでなく、クリエイターの苦悩や喜びや狂気を、余すところなく表現しています。
「絵が雑」とか言われがちなのですが、それで切り捨ててしまうのは勿体ない!
以下、面白さを紹介して参ります。
「戦うクリエイター」朝倉光一
主人公は、大手広告代理店に務めるデザイナー。
憧れの広告代理店だけど、圧倒的な激務に追われている、という描写から始まります。タイムリーですね!
天才になれなかったすべての人へ
本作「左ききのエレン」のキャッチコピーは「天才になれなかったすべての人へ」です。
主人公の光一は、天才ではないのです。
自分の才能を疑わない17歳
「美術部で一番上手い」というだけで、すっかり天狗の光一。
「東京の美大に行って、広告代理店のデザイナーになって、グラドルと結婚するんだ」と豪語します。恐れを知らない17歳。
圧倒的な才能との出会い
そんな中、学校の近くの”ラクガキ”についての話を聞きます。
「俺より上手い奴なんているかな?」と気楽に言っていた光一が、ラクガキに衝撃を受けます。
こんなスゲーの…
オレ…
描けねぇよ…
天狗だった17歳の少年の鼻をへし折ったのは、どこの誰が描いたとも分からないラクガキ。
悔しさに駆られて、光一は描いた人間を探しに行きます。
ラクガキを描いた人間、それこそが、「左ききのエレン」でした。
圧倒的な才能「左ききのエレン」
ラクガキを描いたのは、少女の頃からその天才性を発揮し続けていた少女「エレン」。
この少女時代のエピソード良いですね!天才ってこういうことなのでしょう。
余談ですが、葛飾北斎は睡眠も食事もしないで何日も絵を描き続けることが多かったそうです。それにもかかわらず89歳まで生きたというのだから、天才というもののエネルギーは凄まじい。
ただし、作中ではこのエレンも「とある理由」があって、絵を描くことから遠ざかっています。
抜群の才能がある少女も、その才能を活かせなくなってしまっている。
彼女自身も「天才になれなかった人」なのかもしれません。
そんなエレンが、17歳の光一へ「夢見てんじゃねえよ」と怒った時、光一はこう言い返しました。
凡人でも、何かになりたい
何か…!!!
何かにならなきゃ…
退屈で…退屈で…生きていけねえよ…
このシーン、僕は心が震えました。
その通り。若者皆がどこかに持っている感覚だと思います。
天才じゃなくても、何かにならなくては行けない
そんな苦悩が、極めてストレートに描き出されるシーンです。
それぞれの立場の「本気の仕事」
「左ききのエレン」は、仕事漫画としての魅力もたっぷり。
僕が好きなのは、主人公光一のいる「クリエイティブ部門」と、「営業」との対立のシーンです。
だったら…
サラリーマンやれよ
この営業も、決して「悪役」ではないのが素晴らしいところです。
それぞれの立場で死ぬ気で仕事をしているから、避けられない対立がある。
それぞれの立場に、それぞれの正義がある。
クリエイティブ部門にはクリエイティブなりの苦しみがある。
そして、クリエイターとして、「何か」にならなきゃいけない恐怖は、未だに光一の後を追ってきています。
これぞ仕事漫画の醍醐味!それぞれの魂がぶつかり合い、それぞれの命を削ってプロダクトが生まれていく感じ、最高です。
圧倒的な狂気
また、僕が震えたのは、クリエイターたちの圧倒的な狂気の描写です。
虎視眈々と出世のチャンスを探る、デザイナー柳のシーン。
母親が危篤のため、上司の山下が大きな案件に穴を空けてしまいます。
この穴を、柳がたった一人、鬼気迫る仕事で塞いで見せます。
ぼく 人間ちゃうわ
デザイナーや
この狂気!僕は震えてしまいました。
クリエイターが命を削って作っていることが、余すことなく表現されています。
多分、彼らは常軌を逸した力で創作物に向き合うために、その身に狂気を宿すしかないのでしょう。
「普通」の範疇ではとてもできないレベルのものを作り続けるために、狂気に身を委ねるしかないのでしょう。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか?
「左ききのエレン」は、こちらから読めます。
余りにも素晴らしい傑作なので、皆どんどん読んで下さい!最初の方は無料で読めます。
余談:読んだ後の堀元
読み終わった後、僕は、
心に刺さりすぎて、こうなりました。
なぜこうなったのかと言えば、僕の中のクリエイター欲をガッツリ刺激されたからです。
「クリエイターでありたい!」と思いました。
というのも、僕は今、彼らのようなクリエイターの仕事をこなせていないのです。
今の仕事は、調整役
僕は、「非日常クリエイター」と名乗ってはいるものの、今の仕事のほとんどは調整役です。
「フェチ×プレゼン」なんかを例に取ると分かりやすいですが、僕は「場」を整えるための仕事をしているのであって、圧倒的な創作物を作っている訳ではありません。
(フェチ×プレゼンでは、僕は企画をしたり進行をしたのであって、プレゼンをした訳ではない)
僕は調整役としての仕事をしています。
イベントを企画して、実現するために様々な人に話を通して、イベントの中で輝いてもらう人を探して、盛り上がるための流れを設計する。
そんな仕事がほとんどです。
多分、元々僕は、クリエイターになりたかったんですよね。
たった一人でも圧倒的な創作物を作り上げるクリエイターが好きだった。
でも、僕はそこで戦う自信がなかったし、勝てるとも思えなかった。
だから、自分の強みを活かそうと思いました。
自分の強みは、調整能力だった
僕は、調整能力が高かったのです。おかしな企画を出すこともできるし、それをそれなりに世間に伝わる形にパッケージングするのも上手だった。
実際に人を呼んで、皆をそれなりに楽しませる場所にするのが得意だったのです。
そんな背景があったから、高い調整能力を活かして「イベント運営」という戦場を選びました。(参考:今までのイベント)
フリーランスになってからの半年間は、この調整役をガムシャラにやってきましたし、それで良いと思っていました。
でも、本当はクリエイターでありたい
広く捉えれば、僕の今の仕事も十分クリエイターだと思います。企画したり、新しいイベントの段取りを設計したり、という作業は非常にクリエイティブです。
でも、本質的に「芸術家」と呼ばれる人たち(クリエイターの最たる例でしょう)とは全く違うな、と思います。
彼らは、自分の頭の中にあるものを余すことなく表現しきって、それが最高のコンテンツとして提供されていく。(こういう人たちをクリエイターの最たる例として、「The クリエイター」と呼ぶことにします)
僕が作っているのは、あくまで「場」であって、コンテンツは「その場に集まった人たちが織りなす盛り上がり」です。これは、「The クリエイター」ではないと思います。
僕はずっと、「The クリエイターになりたい」という気持ちを心のどこかで感じていた。
だから、「非日常クリエイター」と名乗り始めたんだと思います。
そしてそんな「The クリエイター」になりたい、という気持ちが、左ききのエレンを読んでから爆発しました。
ああ。羨ましいな。彼らのように、ひたすらに自分の創作物と向き合いたいな。
僕がすっかりしまいこんだと思っていた「クリエイター欲」が引っ張り出されてしまいました。
そして、
と言う悩みが生まれたのです。
それで、この状態だった、ということです。読んだ日の夜は、眠れなくなりました。
自分の、見えていなかったクリエイター欲を引きずり出すほどの、パワーがある漫画でした。
こんなパワフルな漫画に出会えたことを、心から感謝します。
ちなみに断っておきますが、僕は調整役の色が濃い今の仕事も楽しんでいますし、ここから仕事の方向を変えるぞ!ということはありません。
ただし、この自分の中のクリエイター欲ともう少し真剣に向き合ってみても良いのかもしれないな、と思うきっかけになりました。
最後に、もう一度だけリンクを貼っておきます。
左ききのエレンはこちらから読めますよ!