先日、こんなツイートを見ました。
夫婦の飲み会格差から思うことです pic.twitter.com/PhUhU5feYO
— なゆくら (@nayuclam) February 5, 2018
以下、マンガを転載。
僕はこれを見た瞬間思いました。
と。皆さんも是非読んでみてください。僕は地獄だと思いましたが、何千人もの人が「共感しました♡」と言っていますので、共感する人もいるのかもしれません。
ツイートしている漫画の趣旨としては、
- 妻が飲み会に誘われる(行きたい)
- 「◯日新年会なんだけど、どう?(無理して調整しなくてもいいよ)」と夫に伝える(育児などとの兼ね合いで、夫婦同時に留守にできない)
- 直前に改めて「結局◯日どう?」と聞くと、夫が「あ!ごめん早く帰ってくるの難しそう!」と答える
- そこにめっちゃイラつく。ありったけの憎しみをこめて「まあ不参加で出してるから別にいいけど」と妻は返す。
- 一方で夫は、参加ありきで「□日は飲み会だからよろしく!」と言う
- それにめっちゃイラつく。夫が飲んでいる時の妻は不機嫌だから細心の注意を払って接したほうがいい
これは、コミュニケーションにおける最大の地獄です。僕は縛るコミュニケーションと呼んでいます。
ホントにもう、縛るコミュニケーションに陥っている日本人があまりにも多すぎる。
ということで、今日を限りにこの縛るコミュニケーションから卒業する人が一人でも多くなればいいなと祈りながら、筆を取ります。
上のマンガに共感したという方、ちょっと落ち着いてこれからの文章を読んでみて欲しいです。
勝手に期待し、勝手に絶望し、相手を支配しようとする
縛るコミュニケーションの問題点は、何らかの成就したい願望があるのにそれを口に出さず、勝手に期待することです。
上のマンガの例で言えば、「新年会行きたい!」ですね。著者である妻は結構な勢いで行きたがっているように見えます。
にも関わらず、そのことを伝えていない。それどころか「無理に都合つけなくてもいいから」とさえ言っています。
これを聞いた夫はどうするか。「まあ大した用事じゃないんだろうから、もしヒマだったら早く帰ってこよう」くらいに思うでしょう。これは無理からぬことです。
一切のアピールがないのに、「あいつはめちゃくちゃ行きたがっているに違いない。なんとしても調整しよう」とは思わないでしょう。
したがって、夫がスケジュールを確保しないのは割と必然の事象なのですが、妻は露骨に不機嫌になります。「ありったけの憎しみ」すら抱いているそうです。夫に落ち度は全くないにも関わらず。
そして、夫の「◯日は飲み会入ったから、ご飯は要らないからね。二人で好きなものでも食べてね」という優しい声かけに対しては、「逆に気に障る気づかい」であると切り捨てています。
かわいそうな夫…!
そして、マンガの〆は
夫が飲んでいるときの妻はだいたい不機嫌だから細心の注意を払って接したほうがいい
とのことです。こっっわ!
息苦しすぎるでしょこんなん。楽しい飲み会に出ているのに、家で妻が不機嫌になってたら全然楽しくない。
このマンガにおける妻は、「勝手に期待し、勝手に絶望し、相手を支配しようとする」という非常に問題の多いコミュニケーションをしています。
【夫が、自分の飲み会のためにスケジュールを調整してくれるだろう】ということを、自分で大してアピールもお願いもしていないのに、、勝手に期待しています。
続いて、【夫がスケジュールを調整してくれない(自分の期待したとおりに動いていない)】ことに対して、今度は勝手に絶望します。期待を伝えたり、期待通りに動く依頼もしていないのに。
そして、【夫の飲み会参加】に対して、不機嫌になります。この【不機嫌になる】というのは本当に恐ろしい事態です。現状の問題点を洗い出して再発防止をするという前向きな方策ではなく、相手に罪の意識をいたずらに持たせるという後ろ向きな方策です。
更に恐ろしいのは、「不機嫌になる」というのは本質的には、「私の意図を汲んで行動せよ」という表明です。相手を支配しようとしています。
「お願いされたことを実行してね」ではなく、「常に私の様子を見ながら、意図を推測して、それに沿うように行動せよ」という表明です。
この無言の要求は、夫が生きるのをどんどん息苦しいものにしていきます。
夫は、これを繰り返されると
という、謎の自重をするようになります。こうして、本来はストレスがなかった夫までストレスを抱えるようになり、妻も夫も消耗していきます。つくづく誰も得しない。
縛るコミュニケーションは、人の自由と幸せを破壊する
妻の不機嫌に支配された夫は、例えば飲み会を自重し始めます。不機嫌を回避するために当然のことです。
しかし、妻の要望は「夫に飲みに行ってほしくない」ではありません。「自分もたまには飲みに行きたい」です。
だから本来、夫も飲み会に行くし、妻も飲み会に行くという状況がベストなはずです。
しかしなぜか、縛るコミュニケーションによって、夫も飲み会に行かないし、妻も飲み会に行かないという最悪の状況が生まれます。
これが縛るコミュニケーションの最悪なところです。人から幸せと自由を奪い去ってしまう。
どうすれば縛るコミュニケーションから自由になれるか
さて、こんな縛るコミュニケーションに陥らないようにするためにどうすればいいか、書いてみます。
Step1 まずは伝える努力をしよう
今回のマンガにおける妻のように、「無理に都合つけなくてもいいから」と言ったりするのではなく、自分の思いをはっきり伝えましょう。
「今度の新年会には◯◯や××が来るから、久しぶりにじっくり話したいんだよね!絶対楽しいと思う!だから、頑張って調整してほしいな!」と。
また、僕がこのマンガについて批判した際に非常に多く頂いた反論が「実際に飲み会に行きたいワケではなく、夫が飲み会格差を当たり前だと思っているのが嫌なんじゃない?」ということなのですが、それならそれで、その思いを伝えましょう。
「あなただけが当たり前に飲み会に行く感じが腹立つから、今度から【◯日は飲み会行こうと思うけどいい?】って言ってね!」と。
Step2 ヒアリングをしよう
伝える努力をしても改善しないなら、相手から伝えられる努力をしましょう。
相手も人間ですから、なかなか直せないことや能力的にできないこともあります。細かくヒアリングしていきましょう。
例えば、”片付けられない”などは非常にありふれた例ですが、これは問題パターンがいくつかあって
- 片付けの重要性を感じていない
- 片付けの効率のいいやり方が分からない
- 全ての物体に一覧性がないとアクセスできなくなる
など、現象は一つでも原因は異なります。縛るコミュニケーションしていないで、相手を理解しましょう。
Step3 ルール設定をしよう
ここが肝要ですね。Step1、2より実は圧倒的に簡単で効果的。
縛るコミュニケーションを全てスパッと終わらせるためには、ルール設定こそが最強です。
今回のマンガの事例にしても、「夫婦はお互いに10日間ずつ、夜のスケジュールを確保することができる」と言ったルールにしておけば、妻のイラ立ちは発生しえないものでした。
イラ立ちを発生させないために必要なのはルール設定です。
ちょっとでもイラッとすることがあったら、それを改善するためのルールを設けましょう。不機嫌になるよりも圧倒的に生産的で、かつ圧倒的にお互いの自由と幸せを増やします。
伝える努力・伝えられる努力はもちろんした方がいいのですが、人間は最終的には分かり合えません。
だから法律が存在するのです。
夫婦だろうが友人だろうが仕事仲間だろうが、あらゆる人間関係は同じです。分かり合えないから、ルールで縛りましょう。
縛るコミュニケーションでお互いの幸せや自由を縛ってしまいますが、ルールはお互いの行動を縛るだけです。こっちの方がずっと前向きで楽しい選択です。
人の幸せを喜べない人は不幸だ
本質的に、縛るコミュニケーションをしてしまう人は、人の幸せを喜べない人です。
縛るコミュニケーションの根底にあるのは、「私はこんなに頑張ってあなたに〜〜しているのだから、あなたも私に△△すべき」という、一緒に犠牲になれ的な思想です。
今回のマンガでも、夫の「しめパフェ!」という楽しそうなLINEに対して「最っ高にいらない情報」と不機嫌になっています。
こういう振る舞いをする人、非常に多いのですが、僕はこれを見るたびになんと不幸なのだろうと悲しくなります。
この発想がなぜ生まれるのかといえば、「私は飲み会を我慢しているのに、あなたは楽しそうな写真送ってきやがって!」ということですね。
つまり、「私が不幸なのだからあなたも不幸になれ(少なくとも、不幸そうにふるまえ)」という思想です。これは全然賢くないし楽しくない。世界から幸せの量を削っているだけです。
この発想の被害を受けている人が陥りがちなのがこういうヤツですね。
- 運転手Aがいて、同乗者の自分(免許持ってない)がいるときに、自分は酒を飲み始めてはいけない
- Aが一生懸命料理をしている時に、手伝うことの特にない自分はのんびり新聞を読んでいてはいけない
- 皆が残業しているときに、自分一人が帰ってはいけない
おかしいおかしい。これらは全部本当は「やったほうが全体としての幸福度は増えるのに、周りの不幸に付き合わされてしまう」という現象です。
こういうのマジで全部撤廃しようぜ。なるべく皆幸せな方がいいんだから。幸せの総量を増やそうよ。
昔こんな記事も書きました。皆、人の幸せを願う人になろう。
余談:この話を「男と女」の話にすり替えるやつも嫌い
こういう話をすると、
みたいな、雑なまとめに入ろうとするヤツがいるのですが、僕はこいつも嫌いです。
この「縛るコミュニケーション」は男女問わず大いに蔓延しておりまして、男でも女でもこういうコミュニケーションを取るヤツはたくさんいます。
ですのでこれは、男か女かという話ではなく、正義が悪かという話になります。
まとめ-幸せが少しでもこの世に増えることを願って
人々の幸せを減らし、自由でのびやかな生活をできなくさせる、地獄のような縛るコミュニケーションは、悪であるとはっきり言えます。
ダサくて月並みな表現ですが、僕はこの世に少しでも幸せが増えれば良いと思っています。
そのほうが僕も幸せになれる確率が高いからです。皆が苦しそうな世の中より、皆がニコニコしている街の中で暮らしたい。
その、「皆が苦しそうな世の中」を作っている原因の一端は、間違いなく今回の縛るコミュニケーションにあると思います。
今日、卒業しましょう。縛るコミュニケーションなんか二度とやるな。相手を縛るな。その人は、自由な意志があり、人生があり、感情がある生き物なんだ。
関連記事
「言語化できない」はやめろ、という話。
事業撤退の話。この記事を読んだ「縛るコミュニケーション」型のスタッフがブチギレるくだりが出てくるよ☆
「人の幸せを妬んでしまう…」という人のための記事。