ライフスタイルをガラッと変えるのは、さびしい。
人間はきっと、暮らしていく内に少しずつ自分の輪郭と周囲の環境が曖昧になっていく。
だから、しばらく住んだ場所から離れる時、まるで自分の一部を引き剥がされるような感覚になる。
僕は今日、5年半住んだ東京を離れる。
東京には不満がいっぱいある。空気が汚いとか道が狭いとか家賃が高いとか。
大学一年生のとき、地元・札幌から引っ越してきた直後はそりゃもう大変だった。
乗った電車(特急)は降りたい駅を容赦なく通過していくし、グニャグニャに曲がった道に翻弄され、しょっちゅう道に迷った。
知り合いのいない街を歩きながら不意に寂しくなったし、雪が降らない冬に違和感を覚えた。
と、よく悪態をついた。地元から一緒に東京に出てきた友人との飲み会では特に顕著だった。何度この悪態をついたか分からない。
でも、5年半住んで、すっかり東京は僕の一部になった。
主要駅の待ち合わせ場所は大体理解したし、駅名を聞けば何線が乗り入れているのか大体言えるようになった。
たいていの有名なスポットには思い出があり、行きつけの飲食店も、好きな街もたくさんできた。
僕は、東京が好きだ。
未だに納得いってない部分もある(家賃が高い!)けど、この5年半は東京のお陰でとても良い思い出ができたし、最高に勉強になった。
東京の良さは、非常に多くの刺激があるということだ。毎日数え切れないくらいのイベントがあり、これでもかという数の人が歩き回っている。
面白い人も得体の知れない人もたくさんいた。
僕に「ランチしましょう!」と言ってくれる人は大抵、人生迷い中の人か、謎の仕事に就いている人か、ひたすら面白い人か、マルチの勧誘だった。
とにかく人に会いまくろうとしていた時期もあった。一日で4件の交流会に出たこともある。でも、会った人の名前もろくに覚えてないことに気づいて、やめた。人がいっぱいいるからって、皆と関わるのは無理だなと思った。
そんな刺激の中、東京での暮らしは多分、”理解した”と言えると思う。
色んなことが大体わかった。ハロウィンの夜に渋谷がどうなるのか。新宿ゴールデン街にはどんな人が飲みに来るのか。
神保町の古書店屋をぶらぶらする喜びや、上野で文化的な休日をおくる喜び。
僕の中にあった象徴的な”東京”を、この5年半でしっかり味わったように思う。
そして、そんな東京は僕の中でいつしか日常になり、輪郭と溶け合い始めた。
日常になった東京は、予想可能なものになり代わった。
もう今はグニャグニャの道に翻弄されることもないし、特急電車に乗ってしまって絶望することもない。
大体において、東京で起こることは想像がつく。慣れたものだ。
東京での暮らしは、もうかなり克明にイメージできる。ずっと東京にいたとしたら、ここから先の1年間で何が起こるのか、大体分かる。
僕は今日、千葉の山奥に引っ越す。あの村という事業をやるために。
山奥での暮らしのことは何も分からない。
あの村を始めてから、予想外のことの連続だった。
住み始めたら、きっとずっとたくさんの予想外が起こるだろう。
一年先はおろか、一ヶ月先のことすら何も分からない。下手すると、今晩のことさえ分からない。
僕たちが建てたこの手作りの6畳の小屋での寝心地はどうなんだろう。
- 最寄りのコンビニまで徒歩一時間
- 隣の民家まで徒歩15分
- 近くの集落は20世帯以下の限界集落
という環境での生活は、どうなんだろう。
どうなるのかは何も分からないけれど、とにかく僕は引っ越す。
予想外のことがたくさん起こるんだろうけど、それはもう楽しむしかないね。
先週から今週にかけて、親しい友人たちとの飲み会をたくさん入れた。
それは彼らから僕への送別会であり、僕から彼らへの感謝を伝える会だった。
引っ越してきたときは知り合いのいなかったこの街に、いつの間にか数え切れないほどの知り合いができていた。
彼らと飲んで語ることはとても楽しくて、幸せだなって思いながら、それでも僕は寂しかった。
ああ。曖昧な輪郭だ。僕の一部が切り離される感じだ。
大学を卒業するときも同じように寂しさを感じたけど、今回の方がずっと寂しかった。
きっと、見送るメンバーが変わったからだ。
今回、僕を送別してくれる人は、関係性がずっと深い人だった。
大学が偶然同じだったから、とか、サークルが偶然同じだったから、とかそんな緩い関係ではなく、自分から選び取った関係の人たちだ。
思想的に共感する部分があるから、人間として尊敬する部分があるから、一緒にいることを選んだ人たちだ。
そんな彼らと、僕は別れようとしている。
もちろん、今生の別れであるはずがない。すごく簡単に連絡が取れるし、その気になればすぐに一緒に飲みに行くことができる。
でも違うんだ。きっと僕はもう、気軽に彼らと飲みに行くことはない。
あるとしても、5年に一度の同窓会的な飲み会であり、今までのような、”同志”としての飲み会ではない。
それは物理的な距離だけが招く問題ではない。きっと、思想的にも少しずつ距離が離れてきていたのだ。
「元々少しずつ思想の距離が空いてきていたけど、あえて言及するほどのズレではなかった仲間」
それが、今僕の周りにいる多くの人々だ。
そんな人たちとたくさん飲み会をして、たくさん語った。
僕にとってそれは、あえて言及するほどではなかったズレを確認する行為であり、きっと彼らと僕はもう会わなくなっていくのだろうという確認作業に他ならなかった。
だから、僕はここ一週間、ずっとセンチメンタルになってしまっている。
人が生きるってなんて切ないんだろうと考えている。
あんなにも強烈にあの一瞬を共有して、その瞬間に僕たちは同志だったはずなのに、たった一年経っただけで、僕たちは同志ではなくなってしまう。
決定的な破局があったわけでも、許せないできごとがあったわけでもない。
ただ少しだけズレていってしまっただけで、かつての”同志”が”同窓会で稀に会う人”になってしまう。
多くの大人は、きっとこのセンチメンタルを飲み込んで生きている。
辛いけど、寂しいけど、そういうものとして受け入れている。
生きることは、この変化を受け入れていくことだろう。
「思い出話なんて下らない」
365日中358日くらいストイックな僕は、よくそう言っていた。
過去の話をするくらいなら未来の話をしようよと、よくそう言っていた。
でも多分違うんだ。思い出話も必要なんだよ。
これから会う回数が減っていくかつての同志と、あの時みたいな熱量で共有できるものがないのは寂しすぎるじゃないか。
意味なんてなくても、生産性がなくても、あの時みたいな熱量で語りたいじゃないか。
「あの時のお前はめちゃくちゃだったよな」
って、いつでも語れる保証が必要なんだよ。思い出話なら、いつまでも同じ熱量で話せるからね。
いつでも思い出話ができるって思いながら、気楽に別れていきたいんだ。
きっと、しばらく経ったら僕はまたストイックになって、「思い出話なんて下らない」って言うと思うけど、今日のところは思い出話の良さを信じさせてくれ。
一ヶ月先のことさえ分からない僕は、そうやって寂しさと戦っている。