こんにちは。非日常クリエイターの堀元です。
電通社員の高橋まつりさんが過労自殺した日から、ちょうど一年ほどが経過しました。
2016年のとにかく大きなトピックだった電通自殺問題ですが、僕は今までこの問題について文章にしてきませんでした。
なぜなら、自分の中であんまり腑に落ちてなかったからです。考えても考えてもこの問題の正体がピンと来なかった。
で、2016年も終わろうかという本日、やっと文章にできるくらい整理がついたので書いてみます。
結論から言えば「電通がブラックなのは何も問題じゃなくて、成功を手放せないエリートの存在が問題である」みたいな話をします。
皆がごちゃごちゃ言ってるのは表面的な問題
電通の労働環境問題が取り沙汰されて、色んな意見が出ました。
申し訳ないのだけれど、こういう批判は全部表面的な話でしかないと思いました。問題の本質はもっと違うところにあるんだろうな、と思ったのです。
だって、電通で楽しく働いてる人もいるわけでしょ?
僕は「労働時間が暴力的に長くても構わない」と思っているタイプです。
イーロン・マスクは「起業家は週に100時間働け!」と言ってたらしいですが、全面的に同意します。楽しいなら長時間労働は全然悪じゃない。
残業時間なんて、死ぬ理由になってない
残業なんて発生して当たり前
当然の話なのですが、仕事の重要度が上がれば上がるほど、時間を区切って働くのは難しくなります。
マクドナルドでバイトしてる人は時間ちょうどに仕事を終えることもできるでしょうが、重要な仕事をしている会社員はそうはいきません。
いわんや、電通をやです。
日本の広告産業を一手に支える巨大企業の電通。そんな電通の社員が、毎日定時に帰れる訳がない。
しかも、彼らは地獄のように無意味に長時間労働をさせられている訳じゃないでしょ。
いい仕事をするために残業しているだけのはずです。ひたすら使い潰される奴隷とはわけが違う。
良いプロダクトのために、夢中で頑張って、仕事をやり遂げる
これは楽しいことです。そりゃ楽じゃないでしょうけど、本気で働くのは楽しい。本気で働いてるから、残業が発生するのは当たり前。そういう話。
ほとんどの電通社員は、仕事が楽しいはず
長時間労働している電通の社員は全員死にそうなのかと言えばそんなことはなく、むしろ皆結構楽しいんじゃないかと思ってます。
僕の知り合いの電通社員は比較的皆楽しそうです。そりゃそうでしょ。彼らは、日本を動かしている実感があるはずですから。
間違いなく、電通社員がこなしている仕事で、日本が回っています。
広告の持つ力は凄まじいです。あらゆる産業が広告を中心に回っています。
その広告を支える電通社員の仕事は、日本の産業を支える仕事でもあります。
自分の仕事が日本の産業を支えている実感があれば、そりゃ楽しいでしょう。
僕は繰り返し訴えていますが、労働とは「人を幸せにすること」であり、その実感があればあるほど楽しく働けます。
日本の産業を支えている感覚があれば、仕事は楽しいに決まってます。自分の仕事で日本が動いていくのです。
アメリカ大統領は多分めちゃくちゃ長時間労働ですが、誰もそれをブラックだとは批判しません。そりゃそうだ。彼の双肩にアメリカが左右されるんだから、死ぬほど働いてくれないと困る。
「ブラックであること=悪」ではない
まとめましょう。
「電通がブラックであること」は、悪でも何でもないです。
社会的に大きな意義のある仕事なら労働環境がブラック化するのは避けられません。「ここまでチョロっとやって終わり!」という仕事は意義の小さい仕事です。
意義の大きな仕事をする人たちは、死ぬ気で努力して、最後の一瞬まで良いプロダクトを生み出そうと頑張ります。
そして、そんな死ぬ気の努力は、「楽しいこと」です。
本気の仕事で、世界を動かす喜び。価値を生み出しているという喜びは、何にも換えがたいです。幸せを感じられるものです。
どんなにブラックな労働環境だろうが、働いてる人が幸せなら悪でも何でもない。
本質的な問題は、仕事を辞められなかったこと
ただ、もちろんこの考え方は危ないです。この考え方が向いてない人も当然います。
とか、
みたいな人もいるでしょう。そういう人たちも尊重されるべきですが、少なくとも電通での仕事は無理でしょう。
前述の通り、電通は日本の産業を一手で支える存在です。そんな中で「ゆるく平和に」働こうという発想がそもそも間違っている。電通がゆるくなったら産業が動かなくなるよ!
だから、辞めたらいいんですよ。労働のスタイルが自分に合わないなら、辞めるべきです。
自殺した彼女は「辞められなかったから、自殺した」のです。僕は本質的な問題はここにあると思ってます。
降りたら死ぬゲーム
僕が、電通過労死問題について書かれた数多のブログを読んだ中で、一番本質的だと思ったのはこの記事です。
電通に入るようなエリート層は「降りたら死ぬ」ゲームを生きている
トイアンナさんの文章。めちゃくちゃ名文なので皆読めばいい。
すごく本質を捉えているな、と思う。一部引用します。
賢さ・体力・創造性――1つもっているだけで「すごい」と思われる要素を3つ揃えて初めて内定できるのが電通である。それまでの果てしない努力から学生は成功体験をいくつも持っている。
誰しもサイコロを振って10回6が出たら、11回目も6が出ると思うんじゃないだろうか。だからそれ以降、自分が会社で鬱になる展開は想像できない。
(中略)
さらに、ここまで成功してきた人は死にもの狂いで頑張ってきたからこそ「ゲームを降りる」ことができない。
これまで10倍、100倍の難関を潜り抜けたのだ。今さら普通に過ごしてきた人たちのような暮らしを選ぶことは、努力をフイにするのと同じ。降りることは社会的な死を意味する。
そうなんですよ。「今更普通に暮らせない」という発想をするエリートがめちゃくちゃ多いんです。
だから、
という批判は、正しいにも関わらず、ビックリするくらい的外れです。
エリートの頭の中では、「辞める」も「死ぬ」も同じなのです。勝ち続けなければならないゲームで敗北するという点で。
東大を出たから稼がねばならない
電通に就職するような超絶エリートではなくても、こういう人はたくさんいます。僕の友人の東大生も、在学中にこう言っていました。
慶應を出ていながら、そこらのフリーター以下しか稼いでない僕には全く理解できません。
「東大を出た」(受験勉強を頑張った)という過去のことと、「◯◯円稼ぐ」という未来のことは、本来繋がりのある事象ではありません。
「◯◯円稼ぎたい」という欲求はそれ単体であるべきであって、中卒だろうが東大卒だろうが関係ない欲求のはずです。
僕は大卒ですが、
と決めました。これを考える時に自分の学歴は何も関係ありません。
幸せになるためにいくら要るのか?という問題と「学歴はどうか?」という問題は全く無関係なんです。
なのに、それを関連付けて考えてしまう。
彼らは言うなれば、努力のサンクコストを計算しているのです。
努力のサンクコストを考えるせいで、「今、自分の幸せのために何が必要なのか?」を純粋に考えられなくなっています。
「こんなに必死にやってきたのだから、こうでなければならない」
という義務感が発生します。この義務感の中身が、東大の友人の場合「◯◯円稼がなければならない」であり、電通社員の場合「電通で働き続けなければならない」だった訳です。
成功が、成功を求めてくる
僕が愛してやまない漫画「天」の中の1シーン。上記の状況をよく表しています。
だから…積みすぎたってことさ…!
お前は成功を積みすぎた…!
(中略)
まあ…最初は必要な意味のある「成功」だった…
勝つことによって人の命は輝き光を放つ
そういう「生」の輝きと成功は…最初つながっていた…!
なのに…どういうわけか…
積み上げていくと…ある段階でスッとその性質が変わる
成功は生の「輝き」でなく「枷」になる
いつの間にか成功そのものが…
人間を支配…乗っ取りにくるんだ…!
成功が成功し続ける人生を要求してくる…!
本当は…あえてここは失敗をする…
あるいはゆっくりする…
そんな選択だって人にはあるはずなのに…
積み上げた成功がそれを許さない…!
(中略)
棺さ…!
お前は「成功」という名の棺の中にいる…!
動けない…!もう満足に…お前は動けない…!
死に体みたいな人生さ…!
成功によって、さらなる成功を求められる。
これ、エリートほどはまり込んでしまう問題だと思います。自覚がない内に、「成功」という棺の中に閉じ込められて、幸せに向かっていくこともできない。
気づけばただ棺の中で日々を送るだけ。
電通社員も間違いなく、電通という究極の「成功の棺」に入って、出ることすらも考えられない状態の中で死んでいったのでしょう。
成功の棺から、飛び出そう
この状況から抜け出すのが必要なことは明らかで、抜け出す方法はたったひとつしかないと思っています。
それは、「持っているカードから判断する」のをやめること。
「東大卒」とか「電通入社」とか、そんな持ってるカードから判断するから、
とか、
とかってことになるんです。
そんなカードで人生を決めてしまって幸せですか?
集めたカードから物を考えていると、いつまで経っても成功の棺から出られません。
一旦そのカード、引き出しにしまっちゃいましょう。
捨てなくていいです。使える時は引き出しから取り出して使っていいです。でも、人生を考える時、カードを見ながら考えるのをやめましょう。
「こんなカードを手に入れたんだから、こう生きなければならない」という発想をやめましょう。
「さて、幸せになるためにはこれからどんなカードを手に入れればいいかな?」と考えましょう。今持ってるものと、これから手に入れたいものとは、関係ありません。
もし電通の彼女がこう考えられていれば、
と思えたはずです。
でも彼女の手元には常に「電通入社」のカードがあり、一旦それをしまって考えることができなかった。
そんな悲劇なんだろうな、と思います。
過去の成功に縛られて、幸せな未来を目指せない人が、一人でも減りますように。