生活費クラウドファンディングで13万+1万集めて見えた景色

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先日、生活費をクラウドファンディングしました。

生活費クラウドファンディング始めました【クラウドファンダーに、俺はなる!】

2016.08.20

特に何をするわけでもなく、生きるためにクラウドファンディングしてみたのです。

このクラウドファンディングがちょうど昨日終了して、目標額の160%という金額を集めてサクセスしました。

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その中で見えてきたこともあるので、まとめてみます。

 

「もらって生きる生き方」はあり

僕は今までも、時々以下の主張をしていました。

皆お金がないことを恐すぎなんじゃないかな。
実はお金なんて無くても生きていけるし、ホントに困った時は誰かにもらえば良いんじゃない

 

そう、もらって生きる生き方って十分ありなんじゃないかなあと思うのです。

だから僕は一ミリたりとも安定した収入のない非日常クリエイターという仕事をしていても将来の不安があんまり無いし、そもそもお金が無いことが気にならないのです。

お金がなくなったら生活費をクラウドファンディングしてみようと5月くらいから考えていました。

そんな折、この9月は実際お金がなくて困っていたので、宣言通りクラウドファンディングすることにしました。

 

「お金が無いからもらう」って、別にみっともなくない

このクラウドファンディングにあたって、一番問題だったのが僕の中の「何かみっともない気がするな」という感情です。

堀元
クラウドファンディングで生活費集めるって、何か恥ずかしいぞ!!

僕は恥も外聞もない人間みたいな雰囲気を出しているのですが、実は色んなタイミングで結構恥ずかしがっています

さて、「恥ずかしいかな?」と感じた時に、僕がそれと戦う材料は「論理」です。「何となく恥ずかしい」を、論理的に分解して「◯◯だから恥ずかしい」の形にすれば、恥ずかしいかどうかの妥当性を考えることができます。

お金をもらうのが恥ずかしい気がする理由は、こうです。

皆は一生懸命働いている→お金をもらって生きている僕は働いていない→働いていないのは恥ずかしい

「働いていないのは恥ずかしい」という議論が正しいかどうかについて書き始めると、これまた大変に難しくて長い話になるので、一旦ここで置いておきます。

さて、どうやら恥ずかしい理由は、「(お金をもらっているにも関わらず)働いていないから」ということになりそうです。本当でしょうか?

 

僕は働いているから、お金をもらえている

結論から言えば、僕は働いていると思います。

僕の定義では、僕は働いています。クラウドファンディングでお金をもらえている理由は、僕が働いているからです。

【労働=我慢?】99%の人が勘違いしている労働の本質

2016.08.11

この記事でも書きましたが、労働とは「嫌なことを我慢してやること」ではなく、「人を幸せにすること」です。

今回、お金を出してくれた皆様は、このクラウドファンディングページの発想を面白がってくれた人か、元々僕のことを面白がってくれていた人です。

僕は彼らを面白がらせるという点において、彼らを幸せにすることに成功しています。これが僕の労働です。

彼らを面白がらせた(幸せにした)から、結果としてお金がもらえているのではないでしょうか。

この思考に達してから、僕はクラウドファンディングでお金をもらうことを恥ずかしくなくなりました。

 

面白ければ、お金を出してくれる

まあこんな理屈をいくらこねくり回しても、

実際にお金を集められるかどうかは別だね!!

と言われてしまいます。

それでこの度実際やってみたのですが、前述の通り余裕で目標額をクリアしました。

ほら見ろ!!実際イケるやんけ!!

堀元
僕のことを面白がってくれる人が、お金を出してくれるじゃん!

この「やっぱりイケた感」と「どうにか生きていけるんだ感」が得られたのが、今回最大の収穫です。

面白ければ、人はお金を出してくれるのです。

 

出資者と僕の関係ってWin-Winじゃない?

そもそも、僕と出資者の関係はかなりWin-Winだと思うんですよね。

出資者は少なくともしばらく食べるお金には困ってないし、お金と引き換えに、ちょっとした面白さを得る。

僕はとりあえず生きていくお金を得て、その代わりに出資者を面白がらせることをする。

この構造ってWin-Winなんじゃないかな、と。

そもそも、そこそこお金を持ってる人が1万円持っていてもそんなに嬉しくないけど、僕が1万円もらうととても嬉しいじゃないですか。

つまり、金持ちが僕に1万円くれるのって、社会の幸福を最大化するのに役立つんですよね。

やたらスケールの大きい話を持ちだしてしまいました

 

感謝に欠ける?いやいや僕は人の100倍感謝してますよ

こういうことを言うと、「ふざけるな!助けてくれた人への感謝は無いのか!?」という怒りを受けるんですけど、いやいや僕は圧倒的に感謝してますよ。

そもそも僕は「誰かを面白がらせる」のが大好きなんです。誰かに面白がってもらえるのが大好きなんです。

だから、僕のやることを面白がってくれる人が大好きだし、そのことに大いなる感謝をしています。

そしてその面白がらせたことがお金に変わったら、なおのこと嬉しいに決まってます。出資者には心から感謝していますし、だからこそ全力でリターンを行おうと思っています。

 

お金を下さいって言いにくい社会って不健全

僕はお金を下さいって言いにくい社会が嫌いなんですよね。

皆結構「あの人こうしてくれたら良いのに」みたいなことを思いつつ、それを口に出さないじゃないですか。

だから、僕は言ってみたかったんです。何かに怯えて、口に出さないせいで願望が届かない人たちの、目を覚まさせてあげたかった。

「◯◯して!」って言って良いんだなと、思わせたかった。

何かに怯えてたり、恥ずかしく思ったりしなくて良いんですよ。

言っちゃえばいいんです。お金が無いなら「お金無い!ほしい!」って。

断られたって別に誰も憎まなければそれでいいはずです。「そっか!やっぱ無理か!」で良いんです。

何となく皆「困ってもそれを言ってはならない。自分で解決しなければならない」って思ってる節がある気がするんです。

これって、本質的に不健全なんですよ。お金持ちが大して必要ではない1万円を大して必要ではないものに使うのって、適切にリソースが配分されていない状態です。

お金持ちを楽しませることができる貧乏人が、1万円もらって金持ちを楽しませるのが正しいのです。

 

自分をオープンにしてる限り、人は死なない

そういえば僕の大好きな坂爪圭吾さんのブログで、こういう記事がありました。

マッチ売りの少女を殺したのは誰か。ー 自分をオープンなものにしている限り人間は絶対に死なない。

この記事を読んだ時、僕はこう思いました。

堀元
ホンマそれ

共感しすぎて気の利いた感想が出てきませんでした。ホンマそれ、とだけ。

どんどんオープンにしながら、どんどん色んなお願いをしていく。それだけで人は幸せになれるし、死なずに済むでしょ、と思います。

 

なぜか、更に1万円もらえた

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衝撃としか言いようがないのですが、クラウドファンディング終了後にもなぜか1万円もらえました。

伊豫田さん(@iyokan_nico)の企画で、面白い人100人に1万円をあげようという企画でした。マジか。

これはまさに自分をオープンにしたお陰です。僕がやっていることを面白がってくれる人は確実に一定数存在していて、その人達に頼めばお金はもらえるんだろうな、ということを実感した瞬間でもあります。

 

皆どんどん「◯◯欲しい!」って言おう

誰かにやって欲しいこととか、欲しいものがあるならどんどん言おうよ。

何となく恥ずかしかったり、何となく気が引けたりしているのは、すごくもったいないです。

自分をオープンにしよう。お願いしてみたら、新しい世界が見えてくるかもしれない。

何より、死なない。

僕はこのクラウドファンディングを通して、身の周りの人の温かさや「皆結構助けてくれるじゃん!」という感覚を手に入れました。そしてオープンに言っていくことの価値も感じました。

どんどん欲求を口に出して、自由になる人が増えますように。

 

 

世界を面白くしよう!

 

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