「でも、多様性っていいことなんでしょ?学校でそう教わったけど?」
「うん」
「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」
ブレイディみかこ.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(Kindleの位置No.633-634).新潮社.Kindle版.
どんな本か?
- 著者はイギリス在住の日本人女性。旦那はアイルランド人。つまり、息子は「イエローでホワイト」。
- 息子は小学校まで、上品なカトリック校に入っていた。しかしひょんなことから、中学は地元のヤバめ公立校に入った。
- 公立校は、人種差別・格差社会といった、イギリスが抱える問題の嵐みたいな場所だった。
- それでも子どもは、悩んだり躓いたりしながら、とにかく前に進んでいく。その様子が本当に尊くて泣ける。
- 著者の文章と構成も上手すぎて、鳥肌が立つほど感動させられる最強のエッセイ。
すごい本だった。人生で読んだエッセイの中で最も完成度が高かった。何なら、この世のエッセイの中で一番完成度高いんじゃね?とさえ思う。僕の今までの人生最良エッセイは、乙一の「小生物語」だったんだけど、それを上回ってきた。
ちなみに、「小生物語」は、小説家である著者がコミカルに日常を描く日記形式のエッセイ……と思いきや、途中で「ゴミ捨て場にあったソファを拾った」という日記が登場し、その日以来、「今日は青白い少年がソファの上に出没した」とか「今日も少年は恨めしそうに虚空を見ている」とか言い始める、どこまで現実でどこまでが虚構なのか分からないすごいエッセイ。虚々実々織り交ぜた日記という新ジャンルで最高なのでこちらもぜひどうぞ。
著者、文章が上手すぎる
この本、とにかくすごいのが著者の筆力である。構成も文章もとんでもなく上手い。
ぜひ皆さんにも味わっていただきたいので、特にすごかった部分を引用したいと思う。
本書における最初の印象的なエピソードは、同級生「ダニエル」についてのものである。ダニエルはハンガリー出身の移民の子どもだ。著者の息子は、ダニエルと一緒に演劇『アラジン』をやることになるのだが……
それから二週間ぐらい過ぎた頃、今度は、息子がアラジン役のダニエルと喧嘩をして帰ってきた。
「彼はレイシストだ!」
と、たいそう激している様子なので、
「何か言われたの?」
と聞いたら、息子は答えた。
「僕じゃなくて、黒人の子のことで、ひどいこと言った。移民に対する差別がひどいんだ、彼は」
「だけど、ダニエルも両親は移民でしょ?」
「そうなんだよ。それなのに、どうしてあんなことを言えるんだろう」
息子によれば、ダニエルは、黒人の少女がなかなか振り付けを覚えられないのを見て、「ブラックのくせにダンスが下手なジャングルのモンキー。バナナをやったら踊るかも」と陰口をたたきながら笑っていたという。
今どき黒人とジャングルやモンキーを結び付けるなんて、ずいぶん古式ゆかしいフレーズだなと思った。バナナという発想も、ヒップホップやR&Bといったアーバン・カルチャーが席巻する時代に育った英国の子どもにはちょっと出て来ないと思う。子どもがこういう時代錯誤なことを言うときは、たいていそう言っている大人が周りにいる、というのがわたしの経験則だ。
「無知なんだよ。誰かがそう言っているのを聞いて、大人はそういうことを言うんだと思って真似しているだけ」
「つまり、バカなの?」
忌々しそうに息子が言った。
「いや、頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」
ブレイディみかこ.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(Kindleの位置No.334-347).新潮社.Kindle版.
初めて生々しい人種差別にぶつかった中学生の”息子”と、それを見守る著者の情感たっぷりの会話。とてもリアルで示唆に富んでいる。
日本に育った僕はあまりこういったトラブルに直面したことがない。だから、人種差別についてあまり自分ごととして考えたことがなかった。恥ずかしながら、僕の人種差別についての考えの成熟度合いは中学生の”息子”とあまり変わらないだろう。
だからこそ、”息子”と著者のやり取りをまるで追体験するかのように、”息子”の投げかける素朴な疑問の答えを僕も探すかのように、没入しながら会話を読んでしまう。
そしてこの後、”息子”とダニエルの対立は、激化することになる。しかし、子どもは強い。このエピソードの着地は、想像よりもずっと温かい。そして、着地させる文章が実に見事なのだ。
まず、対立の激化を見てみよう。
ちなみに、ダニエルはアラジン役で、”息子”はジーニー役である。演劇のダブル主人公は、この後どうなっただろうか。
ア・ホール・ニュー・ワールド
二夜にわたって元底辺中学校の大ホールで上演される『アラジン』は、1枚5ポンドのチケットがオンライン発売開始一週間で完売するほどの大人気だった。が、いよいよ本番の数日前、ドレスリハーサルから帰ってきた息子が言った。
「ダニエル、今になって声が出なくなっちゃって、すごいつらそう」
聞けば、長身で大人っぽいアラジン役のダニエルは、すでに変声期に入っているようで、魔法のじゅうたんに乗って歌う見せ場の曲、「ア・ホール・ニュー・ワールド」のキーが高すぎて歌えないらしい。じゃあキーを下げればいいじゃないかという話だが、この歌はヒロインのジャスミンと一緒に歌うことになっていて、音程を下げすぎると今度はジャスミン役の女の子が歌えなくなってしまうので、ぎりぎりまで下げてはあるが、それでもダニエルは歌唱に四苦八苦しているそうだ。
(中略)
「そういえば、彼とは、仲直りしたの?」
とわたしが訊くと、
「するわけないじゃん」
と息子は答えた。
「彼があまりにもつらそうだから、『僕が舞台の陰で代わりに歌ってもいいよ、彼は口パクしてたらいいんじゃない?』って先生に提案したら、先生もそれはいいアイディアだって言ったんだけど、ダニエルが断ったんだ。『そんな春巻きをのどに詰まらせたような東洋人の声で歌われるのは嫌だ』って」
「……」
どうも敵はコテコテのレイシズム原理主義者のようであった。
現代のイギリスにも、こんなに根強い人種差別があるのかと驚く。
と、同時に、少しおかしくもなってしまう。『春巻きをのどに詰まらせたような東洋人』なんて映画の中でしか見ないような煽り文句、実際に使われているのか。
さて、そんな険悪なムードの主役二人の関係だが、この後いよいよ一旦の着地を迎える。
劇本番、”息子”は見事に自分の出番をやり通したが、ダニエルは案の定見せ場の歌を歌えない。そこで”息子”が取った行動とは…。続きを見ていこう。
息子の出番がひとまず終わると、アラジンとジャスミンが2人でじゅうたんに乗って歌う見せ場のシーンになった。
ダニエルがソロで歌い始めたが、声がまったく聞こえない。息子が言っていたとおり、変声期で高い声が出ず、一オクターブ低い音で歌っているために声が低すぎて、懸命に歌っている様子なのだが、オーケストラの音にかき消されてしまっている。本人も自分の声が聞こえないのだろう、ひどく混乱している様子だ。
それに気づいた音響担当者がマイクの音量を急に上げたため、キーンとハウリングの音がした。もはやアラジンどころかジャスミンの声も聞こえない。観客がざわつき始めた。
突然、ハウリングの音に戦いを挑むような、半ば怒鳴っているような大声が響いてきた。
息子の声だ。息子が舞台裏で「ア・ホール・ニュー・ワールド」を歌っている。
音響担当者があわててマイクの音量を下げるとハウリングの音が止んだ。ダニエルは何事もなかったかのようにハンサムにほほえみながら両手を広げて口パクを始めた。
「先生にやれって言われたのか?」
帰り道、配偶者が訊くと息子は言った。
「いや、僕がやろうかって先生に言って、マイクを持ってきてもらった」
「でも、アラジンの野郎は春巻きの声は嫌だったんじゃないのか」
「そんなの関係ないよ。二ヶ月も稽古してきたのに、あのシーンが台無しになるとみんなの努力が無駄になる」
息子はそう言いながらわたしたちの前を歩いていた。
「それに、彼はもう春巻きの件はどうでもよくなったんだと思うよ。僕に『サンクス』って言ったから。『明日もよろしく』って涼しい顔で言っていた」
息子はポケットから携帯を出していじり始めた。
「着替えてたら、どういうわけか僕の携帯の番号まで聞いてきたよ」
「お前、教えたのか?」
「うん。教えない理由はないから。それに、無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」
「は?」
と配偶者は聞き返したが、息子はそれには答えなかった。
(中略)
いっちょ前のことを言う息子の背中を眺めながら、わたしは夜道を歩いていた。何かの楽器を背負った上級生が
「よくやったな、ちっちゃいの!」
と息子に声をかけて自転車で通り過ぎて行った。
息子は笑いながら親指を突き上げる。
なんでもない路上の風景の隙間から、来たるべきア・ホール・ニュー・ワールドが垣間見えた気がした。
ブレイディみかこ.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(Kindleの位置No.403-).新潮社.Kindle版.
うまあ…!構成と文章うまあ…!!
僕は最後の一文を読んだ時、鳥肌が立ってしまった。章のタイトル「ア・ホール・ニュー・ワールド」とアラジンの曲をフリにして、最後に回収する美しさ。
著者、天才だと思う。このエッセイ全体を通して、ムダな文章がまるでない。登場人物のやり取り全てにメッセージ性と情緒が溢れている
「頭が悪いってことと無知ってことは違うから」という親子のやり取りを回収しているのもすごい。伊坂幸太郎ばりだ。これほどまでに伏線を回収するエッセイある?
”息子”にとって、あのやり取りは答えのない不満だった。忌々しいダニエルの人種差別発言への不満だった。
だけど、著者とのやり取りを終えた後、”息子”は彼なりの答えを出したのだ。「無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」と。忌々しい人種差別発言を繰り返す同級生に対して彼が取った行動は、快く連絡先を教えることだった。
そして、ダニエルも。”息子”に対して悪態をついていたのに、助けられた後は爽やかにお礼を言っている。少年たち特有の軽やかな柔軟性がそこにはある。
人種差別発言をする人との和解の糸口は、案外「助けてあげる」ことにあるのかもしれない。気に障る発言をされたからと言って突き放していては何も変わらない。いつの世も、好ましい多様性を保つには「歩み寄ること」が必要なのだ。
二人の少年は、この経験を通して成長して友人になり、共に前に進んでいく。子どもとは、なんとたくましくて美しいものなのだろう。
子どものたくましさ
そう、子どもとは意外にたくましいものなのだ。一見すると答えを持っていそうな大人よりも、子どもの方が遥かにたくましく、難問に立ち向かうことができる。
このエッセイは詰まるところ、子どものたくましさと美しさのエッセイと言っていい。
本書の「はじめに」にも、そのことが現れている。
ようやくわたしの出る幕がきたのだと思った。
とはいえ、まるで社会の分断を写したような事件について聞かされるたび、差別や格差で複雑化したトリッキーな友人関係について相談されるたび、わたしは彼の悩みについて何の答えも持っていないことに気づかされるのだった。
しかし、ぐずぐず困惑しているわたしとは違って、子どもというものは意外とたくましいもので、迷ったり、悩んだりしながら、こちらが考え込んでいる間にさっさと先に進んでいたりする。いや、進んではいないのかもしれない。またそのうち同じところに帰ってきてさらに深く悩むことになるのかもしれない。それでも、子どもたちは、とりあえずいまはこういうことにしておこう、と果敢に前を向いてどんどん新しい何かに遭遇するのだ。
(中略)
どこから手をつけていいのか途方にくれるような困難で複雑な時代に、そんな社会を色濃く反映しているスクール・ライフに無防備にぶち当たっていく蛮勇は、くたびれた大人にこそ大きな勇気をくれる。
きっと息子の人生にわたしの出番がやってきたのではなく、わたしの人生に息子の出番がやってきたのだろう。
ブレイディみかこ.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(Kindleの位置No.53-).新潮社.Kindle版.
この「はじめに」に、本書の魅力が詰まっている。
著者はたくさんのことを”息子”から教わり、勇気をもらっている。そして、極上の筆力により、その体験を僕ら読者に追体験させてくれる。
ああ、なんと素晴らしい本なのだろう。
問題だらけのスクールライフにぶち当たっていく勇気のことを、著者は”蛮勇”と表現しているが、これは実に的を射た表現であろう。
そして案外、人生を切り開くのはこの蛮勇だ。
僕の大好きなマンガの1コマに、こういうのがある。
『ジョジョの奇妙な冒険第一部』より引用
昔は「人間の素晴らしさを全部”勇気”でくくるのはムリがある」と思っていたものだが、この歳になると、これは実に真理だと思うようになった。
人生というのはいつだって複雑で難解で、でも立ち止まっていたら生きていけない。とにかく踏み出すしかない。
暗闇の荒野に足を踏み出させるものは、勇気だ。だから、人生の全ては勇気の物語だと思う。本書における息子の”蛮勇”は、まさに勇気の物語の極地たるものである。
人生が勇気の物語であることをひしひしと感じたい方は、ぜひ本書を手にとって欲しい。
あと、ジョジョの一コマについては好きすぎて、昔ブログを1本書いたことがある。よろしければこちらもどうぞ。
(関連記事:中学1年生の僕に伝えたい。「人間讃歌は勇気の讃歌」は真理だったぜ。)
未来への希望に満ちている
今回の書評メモはずいぶん長くなった。最後に、この本のもう一つの温かさに触れて終わりにしよう。
まだ幼い少年を中心としたエッセイだからこそ、この本は未来への希望に満ちている。
第11章のタイトルは「未来は君らの手の中」である。
この章では、LGBTQについての内容が扱われる。多様性に関する教育を重んじるイギリスの学校では「ライフ・スキル」という授業で、LGBTQについても教えるらしい。
セクシャリティについての授業を受けた”息子”たちは、学校帰りに「自分たちのセクシャリティはどうか?」という議論をする。
そこで、クラスメイトの一人であるオリバーが、「自分は異性愛者かどうかまだ分からない」という意味の発言をする。その時の、人種差別をしていたダニエルの反応が最高なのだ。ダニエルの反応について話す、著者と”息子”とのやり取りを引用したい。
「ダニエルはそれについて何か言った?」
「最初はショックだったような顔をしていたけど、オリバーがあまりにもクールな感じで冷静に言ったものだから、ちょっと気圧されたような感じで『時間をかけて決めればいいよ。焦って決める必要ないよ』とか言ってた」
(中略)
「そうか。ダニエルはここのところショック続きなんだね」
「うん」
「しかし、知らない間に成長してるんだね、君たちも」
と言ったら、当然じゃん、というような顔つきで息子が一瞥をくれた。
さんざん手垢のついた言葉かもしれないが、未来は彼らの手の中にある。世の中が退行しているとか、世界はひどい方向にむかっているとか言うのは、たぶん彼らを見くびりすぎている。
ブレイディみかこ.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー(Kindleの位置No.2030-).新潮社.Kindle版.
「春巻きの詰まったような東洋人の声」とか言っていた差別主義者のダニエルは、友人のセクシャリティに配慮するくらい成長していた。
ローティーンの子どもたちは、カラカラに乾いたスポンジのように学びを吸収して猛烈に成長していく。そんな彼らが作る未来はきっと悪くない。
本書は、勇気だけでなく、希望も与えてくれる、我々の人生に寄り添ってくれる一冊だ。
皆さんもぜひ読んで欲しい。そして、難問に立ち向かう勇気がなくなったとき、未来への希望がなくなったとき、何度でも読み返して欲しい。