「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」の書評メモ

ドーナツを穴だけ残して食べる方法
大学教授が「ドーナツを穴だけ残して食べる」という変なお題について本気で書いた文章がいっぱい載ってる本。一人で数十ページ使っているので、結構込み入った議論ができている。理屈っぽい人にオススメ。
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その疑いとは,「ドーナツを食べればドーナツが無くなる」という,一見すると誰も異論を述べることができないような命題にも,実は反論の余地があるのではないか,というものである.

ドーナツを穴だけ残して食べる方法(Kindle位置No.701-702).

どんな本か?

  • 「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」という謎の命題について、ちゃんとした大学教授がマジで執筆する本。
  • 「専門家が本気で考えたこと」を並べるのはすごく面白い。工学部で金属加工をしている先生は「ドーナツに働くせん断応力を考えると~」とドーナツを極限まで薄く削ることを考えるし、哲学の先生は「そもそもドーナツを食べても穴はなくならないのでは?」と、プラトンを引きながら主張する。
  • 専門家たちが一生懸命持論を展開するのを比較して読みながら、「へえ~、そういう見方があるのか。学問って楽しいな」と思える本。「面白い本」は世の中に数あれど、「楽しい本」は少ないから良いなと思った。
  • 大阪大学の学生たちによって作られた本。学生の仕事なので正直、編集に難がある部分があるが、僕はそこの青臭さも含めて好きな本だった。

あと、本のレイアウトがどう見てもTexで作られており、「大学の教科書」感が強い。こんなに大学の教科書っぽい本、久しぶりに読んだ。数学者が書いてる章なんて数式とか出てきて、完全なる教科書

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」Kindle版位置1121より引用

こんなアカデミックな感じの本を出したことについて、 出版プロジェクトの学生が良いこと書いてたので引用したい。「あとがき」より引用。

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」というタイトルを見て,思わず手に取ったけど,中身を見たら「うわっ,教科書や参考書みたい」と思った方は多いかもしれません.普段そういう本を読み慣れていない方にとっては抵抗のある内容だと思います.ただ,この本は,そう考えがちな方々のために作ったといっても過言ではありません.

「勉強」や「学問」というと,多くの人が取り組むことに抵抗を感じると思います.難しい.面倒くさい.周りの人もそう考えるから自分も嫌悪感を抱いてしまう.そう思ってしまうことを批判しようとは思いません.ただ,全部好きになれなくてもその中の一部でも興味がわくものがあるのではないでしょうか.難しそうな大学の勉強を,理解できそうにないからと距離を置くのではなく,ぜひ一度触れてみてほしい.この本にはそのきっかけになればと,様々な工夫を凝らしています.

(中略)

きっと, あなたの人生をちょっぴり楽しくするヒントが見つけられると思います.

ドーナツを穴だけ残して食べる方法(Kindleの位置No.4054-4061).大阪大学出版会.Kindle版.

素晴らしいコンセプトである。学問に首を突っ込むことはまさに「あなたの人生をちょっぴり楽しくするヒント」を見つけることに他ならない。

よかったところ

  • マジの専門家が文章を書いているので、引用の量や参考文献が尋常ではない。これは絶対にブロガーではかなわない。
  • 一斉に色んな学問をつまみ食いできる。今回、「美学」という学問(芸術哲学みたいな感じ)の専門家が書いてるのだけれど、この人の文章が大変に面白かった(後述する)ので、関連領域を学んでみたいなと思った。そんな感じで面白そうな学問領域を発見する機会になる本
  • 学生の情熱が詰まっている。「学問の面白さを世間に届けよう」みたいな気概を感じる。好感を持てる本。

悪かったところ

  • 12人の先生が書いてるので、当然「ハズレ」もいる。
  • 精神医学の専門家が書いている第4章はクソほど面白くなかった。ただのポエムだった。明らかに編集側でボツにすべき原稿が載っている
  • 学生が忙しい教授に依頼しているのでボツにできないという背景もあるのだろう。ボツにすべきものが載っていたり、必要のないコラムがたくさん挟まっていたり、編集に難がある。

第4章は本当にひどかった。科学的でもなんでもない、ただのポエム。「人間の心は無限だ」みたいなことを主張するだけ。専門家として呼ばれた意味がない。誰でも書けるわ。

人の心は,目の前の相手の心に瞬時に共鳴することができる.人の心に接したとき,自分の心は必ず反応する.心は頭で考える前に反応する.ロボットが人の表情の変化を読むことができるだろうか.口調の変化から気持ちの動きを察することができるだろうか.ロボットの反応はプログラムとして組み込まれていて,飛躍や新しい発想は生み出せない.

人間同士のコミュニケーションにおいては,言外の意味,表情の変化,そして言葉と言葉の「間」などが大きな意味をもっている.ロボットは微妙な表情や口調の変化をつくり出すことができないし読み取ることもできない.万物の動きを説明することができる物理学でさえ,説明することができないのが心の動きである.物理学が宇宙の謎を解いたとしても,心の謎は残るだろう.人の心から心へ伝わるのは「エネルギー」ではなく,「意味」である.

ドーナツを穴だけ残して食べる方法(Kindleの位置No.1451-1459).大阪大学出版会.Kindle版.

ついでに言うと、この4章の著者、テクノロジー嫌いなのも気分が悪い。ずっと「ロボットはダメ。人間の心がないから」みたいなこと言ってる。頭固い困ったオジサン。

発見したこと・考えたこと

学問としての「美学」。ドーナツとは家である

各章それぞれに勉強になったのだけれど、僕は特に『第2章 ドーナツとは家である-美学の視点から「ドーナツの穴を覗く試み」』という章が面白かったので、そこで学んだことについて書く。「美学」という学問を専門にしている方。

この方の論旨はざっくり言うと「実体であるドーナツを食べても、ドーナツのイデアは消滅しないから、穴はそもそもなくならない」みたいな感じ。プラトン、ハイデガー、プルーストなどを引き合いに出しながら骨太な考察をしている。

僕は高校倫理とか大学の一般教養とかでプラトンをやったので、「ああ、イデアの議論な。言わんとすることはもう分かった」と油断しながら読んだのだけれど、知らない話が次々に出てきて「へえ~」となった。専門家は引き出しが多いからホントにすごい。以下、特に「へえ~」となった部分。

プラトン「国家」の中で芸術家がちょっとバカにされてるらしい。「寝椅子の比喩」というくだりがある。要約するとこういう話が出てくる。

神は寝椅子のイデア(本性)を作る。大工は寝椅子そのもの(本性から遠ざかったもの)を作る。そして画家は寝椅子そのものを真似て描いた絵(本性から遠ざかること2番目)を作る

これ、芸術家に簡単に反論されそうな気がするな、寝椅子そのものよりも寝椅子の絵の方が寝椅子のイデアに近いのでは?と思いながら読んでたら、案の定すぐ反論が出てきた。ハイデガーがその形で反論している。

道具の道具らしさは,〔芸術〕作品によってはじめて,そして作品においてだけ,ことさらに輝き現れてくるのである

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 (Kindle の位置No.810). 大阪大学出版会. Kindle 版.

これ、よく分かる。「犬の絵を描くためには”犬らしく見える絵を描こう”ではなく”犬を犬たらしめている要素は何か?”を考えなきゃいけない」って話を聞いたことがあるけど、まさにそれだ。僕は絵を描けないからその感覚はよく分かんないけど、まさに芸術の役割はこの「イデアに近づく」にあるんだろうな、と思う。

そして、この辺り「ドーナツの実体は大事じゃない」という議論を深めていき、最終的にプルーストを引き合いにだしながら「ドーナツとは家である」という驚きの結論にたどり着く。この辺も面白かった。詭弁っぽいんだけど、「さすが説得力あるなぁ~」と納得してしまう。良い文章だ。

ちなみに、こんな調子で、この本に出てくる専門家はほぼ全員「誰それはこう言ってるが、誰それはこう言ってる」ととんでもない量の引用を出してくる。エラい。

法律と詭弁について学びたい。あと法律家ジョーク面白い

「第8章 法律家は黒を白と言いくるめる?」も面白かった。章自体の文章はあまりまとまっておらず、話は散逸的に進むのだけど、細かく散りばめられた話が全部面白い。

この事件の判決をヒントにして,「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」を思い付く.さらに,その方法に対して屁理屈や詭弁という批判が加えられることを予想して,法が詭弁や擬制(fiction)や嘘を用いて発展してきたことを示そうとする.いやはや,呆れた人だ.このような法律家の隣には住みたくないものだ

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 (Kindle の位置No.2538-2541). 大阪大学出版会. Kindle 版.

章の序文からして面白い。法は詭弁や擬制を用いて発展してきたのだ。そして、書いてる人がこんな感じでずっと自嘲気味なのが面白い。法律家ジョークだ。

ちなみに、著者は「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」を提示した後にこう書いている。

こんなことを言うから,「法律家は悪しき隣人」,「三百代言」,「法匪」だとか,「法律家は黒を白と言いくるめる」とか言われて,非難されるのだろう.

ドーナツを穴だけ残して食べる方法(Kindleの位置No.2719-2723).大阪大学出版会.Kindle版.

法律家を煽る言葉4連発である。便利だ。今度法律家を煽りたくなったら使おう。

あと、この章で挙げられてる文献「詭弁論理学」がめっちゃ面白そうだった。今度読む。

まとめ

  • 知らない学問分野について学ぶ機会になったのがすごくよかった。「シクロデキストリン」というドーナツ状の化学物質を研究してる先生の文章とかもあるんだけど、多分この本読まなければ一生シクロデキストリンのことを深堀りしようとは思わなかっただろう。
  • 専門家に一つのテーマについて書かせて本にするのめっちゃ面白いフォーマットだ。ドーナツ以外の題材でもできるんじゃないかな。「屏風の中の虎を退治する方法」とか。

ドーナツを穴だけ残して食べる方法
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書いてる人
Ken Horimoto
堀元 見

文筆家・自由研究家・企画屋。興味の赴くままに本を読みます。流行り物よりもニッチな本や古典を好みます。

最近の関心領域は「栄養と化学」です。栄養とか健康って高校化学の知識で割と理解可能なことに気づきました

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