お金もない。努力もしない。25を越えたら死ぬしかない。
ネクライトーキー「オシャレ大作戦」の歌詞より引用
ネクライトーキーというバンドを、あなたは知っているだろうか。
このバンドがね、もうめっちゃヤバいの。すげえヤバい。
どんくらいヤバいかっていうと、確定申告の作業をするための作業用BGMでネクライトーキーをかけてたら、プレイリスト丸ごと聞き惚れてうっかり一時間ムダにしてしまい、「いかんいかん」と思い作業に戻ったのにもう一周ループしてもう一時間ムダにしてしまい、「あ、これは作業用BGMにしちゃいかんやつだ」と気づいて、結局集中してネクライトーキーを聞くことにしたくらいヤバいの。街中でネクライトーキーをかけることにしたらこの国の納税システムが破綻すると思う。
そんなワケで、納税者破壊システムことネクライトーキーについて今日は書いていく。
チョイブスかわいいサブカル陰キャバンド
まずは表面的な話をしたい。僕がネクライトーキーに対して感じた第一印象といえば、「チョイブスかわいいサブカル陰キャバンド」という感じだった。要素盛り込みすぎなことについてはご容赦頂きたい。
以下詳述。
チョイブスかわいい
ネクライトーキーのボーカルである「もっさ」は、チョイブスである。
だが、このチョイブスであるという事実はマイナス要素ではない。むしろ圧倒的なプラス要素である。
なぜなら、もっさは間違いなくチョイブスかわいいという女性ボーカルの理想を体現しているからだ。
個人的に、最近女性ボーカルのトレンドは「チョイブスかわいい」であると思っている。
チョイブスの女性ボーカルが、かわいい声でかわいらしく動きながら歌うというのは、すごい魔力がある。溢れ出る「かわいい」の原液を脳に流し込まれる感じがある。
これが、もしかわいい女性ボーカルがかわいく歌っているだけなら、すごく妥当なので脳に流し込まれる感じはない。ガッキーが踊る恋ダンスは確かにかわいいが、それだけである。
チョイブスの女性ボーカルとかわいい歌の間には、ギャップがある。このギャップが「かわいい」をブーストさせている。スイカに塩をかけると甘くなる的な理論で、チョイブスはかわいいを加速させるのだ。
ちなみに、現在「チョイブスかわいい」の代表は「SHISHAMO」のボーカル宮崎朝子(写真中央)である。二位に300馬身の差をつけてぶっちぎりでトップを走っている。
宮崎の声はとんでもなく美しい美人声であるが、本人はチョイブスである。ここ2〜3年のSHISHAMOの躍進には、このチョイブス-美人声の絶妙なギャップが活躍していたことはまず間違いない(と思う)。
宮崎が身体を左右に動かしてギターを引きながら一生懸命歌うところには、老若男女がときめかずにはいられない。チョイブスかわいいには、そういう不思議な魅力がある。
話が逸れてしまった。SHISHAMO宮崎のチョイブスの魅力について語るとそれはそれで1万文字くらいの文章になってしまうのでまたの機会にして、ネクライトーキーの話に戻そう。
ネクライトーキーのボーカル「もっさ」も、宮崎に迫る勢いでチョイブスかわいいの魅力が全開である。
特に代表曲「こんがらがった!」MVのもっさはかわいい動き連発ですごいので、ぜひMVをガン見しながら聴いて欲しい。瞬き厳禁だ。そもそもサムネからしてチョイブスかわいいが溢れ出している。
僕のイチオシは1番Aメロ「死体の山が目につくでサンデイナイト」の部分で、腕を左右に振った後にグルっとするところ。
もっさは、前述のSHISHAMO宮崎などと違い、かなり”あざとい”路線のかわいさである。作られた感の強いアニメ声と、オーバーサイズの服。かわいいありきで組み立てられたキャラクターだ。
だからこそ、チョイブスであることが重要だ。これがもし普通にかわいい感じだったとしたら、そこら中から「あざとい」と親の仇のように糾弾されるだろうし、みんな嫌だという感覚を覚えるだろう。
もっさが体現している、一部のスキもないチョイブスかわいい、ネクライトーキーに初めて触れる人は、まずこのインパクトにやられる。
サブカル陰キャバンド
続いて、衝撃を受けるのは歌詞の内容だ。サブカル陰キャバンドとしての完成度が高い。
バンドのメインコンポーザーである「朝日」の言葉選びのセンスと世界観はとても気持ちよく、離れられない魅力がある。
例えば、上で紹介した「こんがらがった!」の歌詞。
立ち込めるシティライト 絵はドット
駅のホームでは 死体の山が目につくでサンデイナイト
驚いて でも誰も見てないようだ
(中略)
ピントがずれきってるまんまの僕なら
「うまくやってるよ」なんて騙し騙しで同窓会を避けて歩いていく
(中略)
どうせ上手にやっていけやしないなら
今僕らにとって大切なもんって、皆殺しのメロディだけ。
と、今風のtheサブカル陰キャバンドといった言葉選びと曲調で、気持ちよく聞ける。
歌詞については、暗い単語、耳慣れない単語、退廃的な気分になれるフレーズをリズムよく配置している印象。
だけど、曲調は極めてポップ。暗い歌詞に不釣合いな疾走感のあるアップテンポ。特に特徴的なのはキーボードのポコロンポコロンという音。もっさのアニメ声風ボーカルも手伝って、実にかわいげのあるサウンドになっている。
この暗い歌詞と明るいサウンドのギャップがポイントだ。
そんなワケで、サラッと聴いた上では
くらいに思っていた。良いバント見つけたな、くらいに。
本物の、骨太のロックだ
ところが、しばらく聴いていく内に、「いいバンド見つけたな」どころではない没頭をし始めてしまった。(そして前述の通り、確定申告業務を諦めることになった)
没頭のきっかけとしてわかりやすいのは「オシャレ大作戦」だろうか。僕はこれを聴いて「あ、オレこのバンドからもう離れられない」と直感した。皆さんも聴いて欲しい、マジで。僕はここ一週間で100回くらい聴いてる。
「オシャレ大作戦」という曲名ではあるが、オシャレ要素のかけらもない。
歌詞から連想されるのは、酒瓶で散らかり倒した部屋。ゲロまみれの路地。夢を追ったけど結果が出ない。人生に疲れ、希望が持てない若者。そんな情景。
だけど、そんな絶望的な情景から、もう一度希望を、戦う気力を湧き出させる。そんな歌詞と構成になっている。
歌詞がよすぎるので、丸ごと引用しよう。Aメロはこれ。
ホームにいたって、始発なら この先もまだまだ来やしないんだ。
廃工場から煙る ちょっとイカれてる夢を見てた。
態度に出たってバイトなら、口答え1つも許されないな。
高校生から眠る 僕の才能は、眠ったまま。
Aメロからして素晴らしい。「廃工場から煙るちょっとイカれてる夢を見てた」というシビれるレトリックと、「態度に出たってバイトなら口答え1つも許されない」というあまりにも具体的な一節を、巧みに共存させている。
そして、Bメロはこれ。
お金もない。努力もしない。25を越えたら死ぬしかない。
形のない恐れだけが……「さぁ!」
これからサビに入っていく、テンポを上げながら盛り上がっていく部分の歌詞が、まさかの「お金もない。努力もしない。25を越えたら死ぬしかない」という衝撃。
サビのカタルシスに向けて盛り上がる演奏部分に、底抜けに暗い歌詞を当て込めるという驚きの展開に面食らいながらも、目を離せない。
最後に、サビ。
タイト、ト、ト、ト
トンと僕らは銀座でへヘイヘイ
胡乱な約束や未来なら ちょっとイカれてる夢を見てた。懲りてないから。
力強いサウンドで、脳を殴られる感覚。素直に気持ちよく聞ける、カタルシスをはらんだサビ。
そして、Bメロはひたすらに暗い歌詞で「死ぬしかない」と言っていたにも関わらず、サビでは「イカれてる夢」に「懲りてない」と言い切る強さがある。力強い「自己肯定」である。この歌詞の強さが、サウンドの強さに乗って脳を殴る。
そう、ネクライトーキーにはロックバンドとして確かな”強さ”がある。ポッと出のサブカルバンドではない。圧倒的に骨太なロッカーだ。鬱屈した自分、そしてその自分を力強く肯定するという、ロックの普遍的なテーマがここにはある。
更に「オシャレ大作戦」で更に圧巻なのは、2番の展開である。どちらかというと「鬱屈する自分」に焦点を当てていた1番から離れ、2番では「社会への反抗」に移っていく。
これも「自己肯定」同様、ロックの普遍的なテーマであることは言うまでもない。
涙が出たって大人なら誰にも見せないで終わらせないと。
そうやって嘘もつく。ちょっとオシャレでしょ?
ヘドが出るなあ
ト、ト、ト、ト、トンと僕らは新宿へヘイヘイ
嫌いなテレビやら音楽がこっちを見たまま笑っていた。止めていいかな?
2番では大いなる反骨精神を、相変わらずかわいらしい曲調で歌い上げる。
1番では「25を過ぎたら死ぬしかない。形のない恐れ」という陰鬱な言葉だったBメロだが、これが2番では「ヘドが出るなあ」という反骨精神の塊に置き換わっている。
そして、演奏に注目しても、「ヘドが出るなあ」に至るまでの流れが本当に素晴らしい。僕はこの「ヘドが出るなあ」までの流れを、何度聴いても鳥肌が立ってしまう。
2番の冒頭は、長いドラムだけの間奏明けから始まる。2番に入っても、最初はドラムだけ。ドラムだけの演奏にひずんだ汚い音のボーカルが乗る。
「涙が出たって大人なら誰にも見せないで終わらせないと」に入ってくると、徐々にベースとキーボードが入ってきて、ボーカルのひずみが外れる。気持ちいい展開である。鬱屈した内省的な視座から、視点が一気に外向きに変わっていく。社会に中指を立てる準備ができあがっていく。
そして、「ヘドが出るなあ」でかき鳴らされるギターが一気に入ってきて、サビで一気に爆発する反骨精神。この瞬間に心打たれないなら、ロックなど聞くべきではない。
そして、最後には反骨精神から、また自己肯定に戻ってくる。
お金はない。逃げ道もない。25を過ぎても生きていたい。
やるしかない。ここまできた。「さあ!」
タイト、ト、ト、ト、トンと僕らは銀河でへヘイヘイ
時代はおばけやらUFOを信じやしないが、ほらここにいた。
「オシャレ大作戦」は素晴らしい名曲だ。
「鬱屈した自己、そしてその自己を肯定する勇気」と「社会への反骨精神」というロックの二大テーマをこの上ない形で歌っている。
シンプルなメッセージと、圧倒的なカタルシスを生む音の構成。
この「オシャレ大作戦」を繰り返し聞く頃には、僕はこのバンドの虜になっていた。
チョイブスがどうのこうのと言いながら余裕ぶっこいて茶化していた自分を恥じる。これは本物だ。本物の、骨太なロックバンドだ。
andymoriどころではない。これは、ブルーハーツだ。
ネクライトーキーは、ヤバい。
ここまで5000文字使って色々言ってきたけど、ネクライトーキーに対する僕の思いは「ヤバい」の3文字が一番しっくりくる。
最初は、andymoriに似ていると思った。サブカルな耳慣れない言葉選びとか、普遍的なテーマをアップテンポの気持ちいい曲調で歌うところとか、オシャレそうに見えて反骨精神の塊なところとか。
でも、きっと違う。そんな表面的な音楽性ではなく、本質を見るなら、ネクライトーキーはブルーハーツなのだろうと思う。
ブルーハーツは、「ロックバンド」を越えた何かだった。「カリスマ」とか「伝説」とかそういう安っぽい言葉に収まる程度の何かでもなかった。
きっと、「神」に近い何かだった。
ブルーハーツ全盛期、いや、今日もきっとどこかで、多くの人が絶望の縁からブルーハーツを聴いて這い上がっているだろう。
希望を失って部屋で死のうとしている人に気力を与え、新しい一歩を踏み出させる。これはまさに宗教が担うべき仕事であり、神が担う仕事だ。
ブルーハーツは、数えきれない人を生かしてきたはずだ。データは取れていないけれど、彼らは全盛期から今日に至るまで、神の役割を担い続けてきた。
彼らは、日本中の「世の中に冷たくされてひとりぼっちで泣いた夜」に寄り添ってきた。「弱い者たちがさらに弱いものを叩く夕暮れ」に寄り添ってきた。
ブルーハーツはいつだって、ロックの根底に流れる普遍的なメッセージを、力強く歌い上げてきた。彼らが使える限りの力を使って、「自己肯定」と「反骨精神」を歌い上げてきた。
あまりにも多くの人が、そんな普遍的なメッセージを受け取ったから、だからブルーハーツは神になった。
ネクライトーキーは、次世代のブルーハーツなのだと思う。
ネクライトーキーの音楽自体には、ブルーハーツのようなシンプルさはない。ちょっとゴチャゴチャした、ギャップを狙うような音楽だ。けれど、伝えたいメッセージはシンプルで最高に力強い。表現方法がちょっと違うだけなのだろう。ロックの普遍的なテーマを、自分たちなりの今風の音楽で表現しているだけなのだろう。
このバンドは、もっと多くの人に聴いてもらうべきバンドだと思う。多くの人の命を救う、神になりうると思う。
だから、あなたもぜひ聴いてみて欲しい。
ネクライトーキーの音楽は、廃工場から煙るちょっとイカれてる夢を見ているあなたに、寄り添ってくれるだろうから。
オススメ曲リスト
めっちゃかわいいうた
めっちゃかわいいと言いつつ、サビは「どつき回せ。鉄で殴れ」という全然かわいくないうた。
明日にだって
「かきむしって〜〜↑↑(シャウト)」という衝撃の歌い出しがすごい。
涙を拭いて
珍しくバラードっぽいゆっくりめの曲。こういうのもイケるんだという感動がある。
だけじゃないBABY
「六畳一間で僕はただNUMBER GIRLを聴いていた」「幻想の中の狸じゃ、いくら穫れども腹は膨れないぞ」などの歌詞が印象的。名曲。
まとめ
ネクライトーキーはマジでヤバい。誰か確定申告を代わりにやっといてください。