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中学1年生の僕に伝えたい。「人間讃歌は勇気の讃歌」は真理だったぜ。

漫画

 

人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!!。人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!

 

かつて、中学1年生の僕は、このセリフを寒いものだと見なした。

「なんて恥ずかしいセリフなんだろう。なんて押しつけがましいんだろう。そして、主張の内容もめちゃくちゃだ」と。

反抗期まっさかり、大人の並べ立てる美辞麗句にほとんど条件反射的に噛みつく習慣ができていた少年時代の僕は、この名シーンにもやはり大きく反発した。

 

あれから、13年の時が経った。僕は大人になった。

それなりに多くの人生経験を積み、人間についての洞察も、繰り返し繰り返し深めてきたと思う。

大人になった僕は時々、「人間の持つもっとも大きな資源とはなにか」ということを考える。換言すれば「人間のすばらしさとはなにか?」ということだ。

色々な角度からの表現が考えられるが、大筋の結論はいつも同じだ。「勇気」だと思う。

そう、13歳の僕がツバを吐いた「人間讃歌は勇気の讃歌」は、まさに真理だった。

 

人間のすばらしさは勇気のすばらしさ

引っ張ってしまって申し訳ない。このセリフはマンガ「ジョジョの奇妙な冒険」第一部の名シーンに登場するセリフだ。

 

皆さんはこの主張をどう思うだろうか。言い過ぎだ、と思う人も多いだろう。

人間のすばらしさを、”勇気のすばらしさ”1つだけに限定してしまうのは、あまりにも短絡的なのではないか、と思う人も多いだろう。

 

そう、人間には、すばらしい力がたくさんある。

何かを考える力、誰かを愛する力、信じる力。自分の正義を作る力、正義に準ずる力。

誰かの幸せを願う力、誰かを幸せにする力、幸せになる力。

誰かの思いをくみ取る力、誰かに思いを伝える力、誰かと共に生きる力。

多種多様な人間の力を、一言にまとめるのはあまりにも難しい。まとめるべきでもないのかもしれない。

 

それでも、一言でまとめるとしたら、これは「勇気」にほかならないと思う。

 

最近、仕事でもプライベートでも「あ、今、勇気を出してるな」と思うことが増えた。

これは何も、勇気を出す機会が増えたということではない。自分のことを客観的に見ることが多くなったから、日常の中に潜んでいる勇気を、メタ的に発見しやすくなったということだと思う。

日常の中の勇気は、ささいな、本当にささいなことの中で発見することが多い。

 

例えば、あまり今まで親しくしてこなかった同僚と距離を近づけたいと思い、2人で飲みに誘ってみる時。

 

これは、ほんの少し勇気を使ったときだ。「勇気」なんて大それた表現がふさわしくないから、みんなは意識しない。でも、これは間違いなく「勇気」を使っていると思う。

誰かと距離を縮めることは、少しだけ勇気を使うことだ。

僕たちは傷つく生き物だから、誰かと距離を縮めることは、少し怖い。そのリスクを踏み越えて、飲みに誘うことができるのは、勇気を使っているからだ。

 

もう少しだけ分かりやすい例を出そう。

「上司が推奨する無難でつまらない企画よりも、自分の面白い企画を通そうと闘うとき」あるいは、「気になっている行きつけの店の美人店員を、食事に誘うとき」、僕たちはいつも勇気を使っている。

自分で何かを決めるとき、何かに立ち向かうとき、リスクを負うとき、僕たちはいつも勇気を使っている。

そしてこの、何かを決めたり、立ち向かったり、リスクを負ったりできることが、人間のすばらしさにほかならない。

 

そう、人間のすばらしさは、勇気のすばらしさなのだ。

 

ジョジョだけではない。人生も、「勇気の物語」だ

ジョジョの奇妙な冒険の作者である荒木飛呂彦先生はかつて言っていた。

ジョジョの奇妙な冒険は、「勇気の物語」です、と。

愛読していた僕も、聞いた当時はピンと来なかった。ジョジョは単行本100冊を超える大長編であり、膨大な量のテーマを扱っているじゃないか、と。「勇気の物語」でくくっていいはずがない、と。

でも、今ならなんとなく分かる。その膨大な量のテーマは結局「勇気」に収束するのだ。僕たちの人生は全て、「勇気の物語」に収束するのだ。

 

 

先週末、神宮外苑の花火大会を見に行った。

街頭は、浴衣の男女で埋め尽くされていた。

そんな中で、僕の目を引いたのは、16歳くらいの初々しい浴衣のカップルだった。花火より良いものをみたな、と思う。

花火が始まって10分のとき、紺色の浴衣を着た男の子は、女の子の肩に後ろから手を回そうとして、少しためらって手を戻した。

開始20分、やはり後ろから手を回そうとして、女の子の「花火をバックに写真撮ろう!」にかき消される形で、また手を戻した。

開始30分、ためらいの末に、彼はとうとう彼女の肩を抱いた。彼女は特にそれに反応することはなかったが、少しだけ彼に体重を預けはじめたように見えた。

 

僕は、彼が少しの勇気を出せたことを讃えた。彼の勇気が報われてよかったと思った。

きっと、人生はこんな物語の連続だ。

僕たちは、その時々で、勇気を出せたり、出せなかったりする。

 

勇気を出せたときは大抵いい思い出になるし、勇気を出せなかったときは大抵後悔する思い出になるだろう。

そんないくつもの思い出が積み重なってできていく”人生”を、「勇気の物語」だと表現して間違っているだろうか。僕は、間違っていないと思う。

 

僕たちの人生は全て、「勇気の物語」に収束するのだ。

 

人間讃歌は、勇気の讃歌

僕たち人間は、毎日勇気を絞り出して生きていく。

それを辛いことだと思うのか、すばらしいことだと思うのか、それはあなたに委ねられている。

僕は少なくとも、すばらしいことであると思う。すばらしいことだと思うから、僕は人間を讃えたい。そして、勇気を讃えたい。

ジョジョの名ゼリフに反発していた中学1年生の僕に、今、改めて伝えたい。

人間讃歌は、勇気の讃歌だ。

だから、君も斜に構えてないで、勇気を讃えた方がいい。

 

僕は明日からも、勇気の讃歌を歌い続ける。

上司の企画に異を唱える新入社員を見たとき、浴衣の彼女の肩におどおどと手を回す男子高校生を見たとき、勇気の讃歌を歌い続ける。

 

人間を讃えよう。勇気を讃えよう。そして、人生という勇気の物語を讃えよう。

 

そして、自分の勇気の物語を讃えながら、生きていこう。

明日、少しでも多くの勇気が絞り出せるように。

 

 

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Ken Horimoto
堀元 見

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