今日は、欲望の話をします。
皆さんには、こういう欲望がありますか?
- 大きい家に住みたい
- 良い車(高級車)に乗りたい
- ブランド物の時計・カバンが欲しい
僕は、この手の欲求が理解できません。
家なんて、
ですし、車は、
です。
こういうことを言うと、「物の価値が分からない奴め!」と言われるんですけど、ホントかな?僕の方が物の価値が分かってるんじゃないかな?
今日はそんな話。
それ、君の欲望じゃないんじゃない?
そもそも、「良い車に乗りたい」という欲求はどこから来るのか?
皆さんは考えたことがあるでしょうか。
僕は強い答えを一つ持っています。この欲求を生み出しているのは、車のメーカーです。
車メーカーは、「良い車に乗りたい」と思ってもらわないと困るのです。
車メーカーは、高級車を売って儲けている
言うまでもなく、車で一番お金がかかるのは、エンジンをはじめとする主要部品です。
そして、そういった部品の値段は大衆車も高級車もあまり変わりません。実は、車を作るのにかかるお金は大衆車も高級車もそれほど大きな開きはないのです。
となれば当然、車を作って売るメーカーの利ざやは、高級車の方が圧倒的に多くなります。
有りていに言えば、高級車を売ると儲かるのです。
だから、車メーカーは、皆が高級車を欲しがってくれないと困るのです。
高級車を買って欲しいメーカーがすること
当然、車メーカーは大衆車よりも高級車を買って欲しい訳です。
さて、では、高級車を買って欲しい車メーカーは何をするか?
答えは簡単、皆が高級車を欲しがるように洗脳します。”広告”という武器を使ってね。
車なんて一番典型的ですよね。高級車の広告は美女がつきものです。
”高級車に乗る=モテる”というイメージを上手く想起させて、男の欲望を一気に引き出しています。
”高級車に乗っている人間がカッコいいし、モテる”というイメージは、こういった広告戦略から生み出されます。ある種の洗脳です。
もちろん、車自体も最高にかっこよくスマートに見せることで、より一層イメージが強化されます。高級車こそがカッコいい。乗ってる人もカッコいい。モテる。
そして、この洗脳によって、「高級車に乗りたい」という欲望が生み出されます。
それ、本当にあなたの欲求ですか?
だから、
という欲求は、本当にあなたの欲求なのか分かりません。外部から刷り込まれた欲望かもしれませんよ。
っていう人が多いと思うんですけど、う〜ん、ホントかなあ。
普通に考えて、ベンツにプリウス5台分の価値があるとは僕は思えないです。洗脳されてるでしょ、絶対。
世間で「洗脳」と言われるものは、「少数派」に限る
という感覚の人が多いと思うんですよ。でも違いますからね。カルト宗教の内部の人は、
と言い張ってますからね。教団内は全員洗脳されてるから、その中の人は洗脳だと感じないのです。
高級車に関しても同様です。非常に巧みな広告によって、「高級車に乗りたい」という欲求が、余りにもポピュラーになってしまいました。
社会全体が洗脳されたので、その中のあなたは洗脳だと感じないのです。
僕がもし、ちょっとキレイでカッコいい箸置きを持って、
と言い出したら、きっと
ってなると思います。箸置きに価値を感じる人は少数派だからですね。
結局、オウム真理教だろうが高級車だろうが箸置きだろうが、「刷り込まれた欲望によってそこに価値を感じる」という意味では同じなのです。
「幸せの見本」に従う人々
ま、車くらいなら良いんですよ。刷り込まれた欲望に飲まれて買ったって。
実際高級車乗ってたらある程度モテるでしょうし、乗り心地も良くてきっと何となく満足するでしょう。
もっと問題なのは、自分の人生さえも”刷り込まれた欲望”で決める人です。
いるんですよ、これ。
“幸せ”とは何か、答えられますか?
この問いかけは、結構難しいです。皆さんはちゃんと答えられるでしょうか?
多分、ほとんどの人はちゃんと答えられないと思います。僕は似たような質問をよくしてますが、ちゃんと答えられる人は極めて少数です。
だから、そういう人が頼るのは、”刷り込まれた幸せ”です。
幸せも刷り込まれている
「幸せとは何か?」の答えを自分で出せていない人も、生きていかなければなりません。
人間は目標に向かう生き物ですから、”幸せ”という目標がないと生きていけません。
その結果、深層心理の中にある幸せを探します。たどり着くのは大抵、こんな映像でしょう。
日当たりが良い大きな家、二人の子供、素敵な夫婦。
何で”幸せ”のイメージがこれなのかと言えば、
- 立派な家を売りたい住宅メーカー
- 少子化を止めたい政府
- 結婚関連産業
の洗脳だと思うんですけどね。
こんな幸せイメージ、満たして無くたってかまわないのは明らかじゃないですか。
家なんて小さくたって良いじゃないですか。ローンに縛られたくないから一生アパート暮らしでも良いじゃないですか。それでも十分幸せになれますよ。
でも住宅メーカーはそれに気づかれると不都合だから、至る所で幸せを刷り込んでいるわけです。刷り込まれた欲望です。
自分の中の”幸せ”がはっきりしない人は、こういう刷り込まれた欲望に頼るしかなくなります。
刷り込まれた幸せを追う悲惨
こういう人、悲惨じゃないですか?
まさに典型的な、”刷り込まれた幸せ”を追う人たちです。幸せを追いかけて不幸になっていくというパターン。
そのスタンスで良い結婚はできないだろうし、楽しく働けないでしょう。
刷り込まれた幸せを追うと、人は不幸になるのです。
刷り込まれた欲望でなく、本当の欲望を探そう
必要なのは、本当の欲望を探すことです。
ボンヤリと「高級車に乗りたい」と思っていたとしても、よく考えてみたらどうでしょうか?
刷り込まれた欲望から逃れるために便利なのが、「なぜ?」です。
なぜベンツに価値を感じるのか?それはそんなに必要な価値なのか?
ちゃんと考えてみれば、ある程度正しい答えにたどり着けるはずです。
幸せについても、同じです。
この問題については常に考え続ける必要があります。そうじゃないと、”刷り込まれた幸せ”を求めて不幸になりますからね。
ちなみに、世の中の人の言う「年収◯◯円は欲しい」はほとんど全部刷り込まれた幸せにあたります。僕は年100万くらいしか稼いでなくても最高に幸せだよ!!
まとめ
本当にビックリするくらい多くの人が、刷り込まれた欲望を満たすために消耗しています。
そして、必死になった末に満たされても、全然満足できません。だってそれは本当の欲望じゃないから。
これって、めちゃくちゃ不幸だな、と思うんです。
”広告”は、至るところにあります。あらゆる方向から欲望を刷り込んできます。
電車のつり革広告も、テレビCMも、友人の言葉さえも、欲望を刷り込んできます。
刷り込まれた欲望に気を取られないようにしよう。不幸にならないように。
本当の欲望を満たそう。幸せになれるように。