詩の言葉はあまりに密集し、様々な意味を持つため、集中的な意識を払うことが求められる。
そして、再読をする者にだけ最大の報酬を提供するのである。
(エズラ・パウンド)
エズラ・パウンドは、20世紀初頭のモダニズム運動の中心人物である。彼の作った多くの実験的で挑戦的な詩は後世に大いに影響を与え、自由韻律詩を普及させることとなった。
現代のおよそ一切の詩も、エズラ・パウンドの影響を受けていると言っていいだろう。
そして、そんな偉大なる詩人は、詩に対して集中的な意識を払うことを求めている。
さて、ここで問いかけたい。J-POPの歌詞に対して、あなたは集中的な意識を払っているだろうか?
多分、ほとんどの人がJ-POPの歌詞に無頓着である。サビは口ずさめるが、AメロやBメロの歌詞は全く知らないという曲が多いのではないだろうか。
例えば、この曲。アンジェラ・アキの『手紙~拝啓 十五の君へ~』。誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
あなたはこの曲の歌詞がどういう内容だったか、憶えているだろうか?
概要だけでいいから、思い出して欲しい。少し考えてから、スクロールをどうぞ。
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あなたはきっと「十五歳の頃の自分に手紙を書いている曲だ」みたいな感じの回答を条件反射で出したのではないだろうか。そういう解像度で捉えている人が多い。曲名に「拝啓 十五の君へ」って入ってるし。
だがこれはぶっちぎりで不正解である。
というか、「15歳の自分に手紙を書く」という行動、不可解すぎるだろう。やったことある人いる???「そうだ、今日は15歳の時のオレに手紙を書こう!」ってなったことある???僕はない。どんなにヒマな日曜日でも絶対にやらない自信がある。
僕は昔、ヒマすぎて5kgの米粒を全部数える会というのをやったことがあるが、そんな僕ですらも15歳の自分に手紙を出したことはない。
では、『手紙~拝啓 十五の君へ~』は、5kgの米粒を数える以上にヒマな人を想定して作詞されたのか?そんなワケはない。
この歌詞の構成、正解はこうだ。
- 15歳の少年が、青春の「誰にも話せない悩み」を抱えている
- 誰にも話せない苦しみに耐えかねた少年は、大人になった自分に対して、気持ちを書き綴っている。
- それを久しぶりに読んだ現在の自分が「大変な時もあるけど何とかやっていけるから、頑張ろうぜ」と心の中で返事をする。
だから、「1番は少年(15歳の自分)視点」「2番は大人(現在の自分)視点」「ラストのサビは2人の視点が入り交じる」という構成になっている。このことを知らないとどういう曲なのか全く分からないはずだ。
しかし、僕が周りの友人に聞いた限り誰も知らなかった。曲自体は知っていたし、サビを口ずさむこともできた。だが歌詞の基本的な構成は知らないのだ。
どうやら皆、「J-POPは歌詞を聴いた方がいい」という認識をしていないようだ。エズラ・パウンドが聞いたら卒倒するような状況だ。
そして、歌詞の基本的な構成を知らないにも関わらず、皆この曲を「ああ~、名曲だね」と言っていた。名曲だと思ってはいるようだった。僕は「いやいやいや!お前歌詞の内容を全く理解してないやんけ!!」と心の中でツッコミを入れた。
ところで、『2001年宇宙の旅』という映画がある。言わずとしれた巨匠キューブリック監督の作品である。3時間以上もある上に意味が分からないシーンがダラダラと続く、はっきり言って超退屈な映画なのだが、どうもこれこそが巨匠の集大成であるらしく、それぞれのシーンに深い意味が込められているらしい。
だから、『2001年宇宙の旅』は褒めておけば映画通な感じが出せる映画でもある。「最初のモノリスとの出会いで猿が武器を手にしたのは、人間がテクノロジーとの出会いによって攻撃性を高め続けてきたことを示唆していて~」みたいなそれっぽい考察も無限に喋ることができて、映画通ぶりたい人にとっては最高の題材だ。
僕も映画通ぶりたい欲求があるので、かつて映画通の人に『2001年宇宙の旅』について聞かれた時、「そうですね~、あれはやはりキューブリックの集大成ですよね。人類の全てを描き出そうという意欲的な名作だと思います」とエラそうな口を利いたことがある。
しかし、実際の僕の感想は「なんだこの映画意味分かんねえ」であった。全然意味分かってないのに「名作です」と答えてしまった。完全なるウソというか、映画通ワナビー知ったかぶりムーブである。反省した。
僕のあの時の映画通ワナビー知ったかぶりムーブはたいへん恥ずかしいものである。上記のエピソードを読んで「うわっ、イタいヤツだな~」と思われた方は多いだろう。あなたはこんなイタい行動を取っていないはずだ。
だが、『手紙~拝啓十五の君へ~』の例で見たように、なぜかJ-POPではほぼ日本国民全員がこのムーブをしているのだ。「歌詞の構成も分かってないのに、名曲だと言っちゃう」のである。J-POP知ったかぶりムーブは、日本全体に蔓延する風土病とすら言えよう。
今こそ、歌詞を聴こう
前置きがずいぶん長くなった。
国民が皆ほとんど歌詞を聴いていない、という現状を僕は憂えている。
だからこそ叫びたい。「今こそ、歌詞を聴こう」と。
というのも、J-POPの名曲は「鑑賞しがいのある素晴らしい歌詞」に溢れているのだ。
『手紙~拝啓十五の君へ~』の歌詞を少し引用しよう。一番(少年視点)のサビ前半はこうだ。
今負けそうで泣きそうで 消えてしまいそうな僕は、誰の声を信じ歩けばいいの?
これに対する、二番(大人視点)のサビ前半、すなわち大人になった自分から少年への回答はこうだ。
今負けないで泣かないで 消えてしまいそうな時は、自分の声を信じ歩けばいいの。
並べると、美しい対句が成立していることがお分かりではないだろうか。一番と二番はほとんど同じ歌詞なのに、たった数文字変わっただけで全然意味が違う文章になっている。
そして、サビの後半はこうだ。まず一番(少年視点)。
一つしかないこの胸が何度もバラバラに割れて、苦しい中で今を生きている
続いて、二番(大人視点)
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど、苦くて甘い今を生きている
こちらも対比が鮮やかだ。悩みの渦中にいる十五歳の少年は「苦しい」だけの今を生きていると感じている。
一方、大人の自分は「苦くて甘い」今を生きていると感じている。「苦い」と「苦しい」は同じ漢字を使うが、ニュアンスはずいぶん違う。
「苦い」は、味わいの対象である。甘いチョコレートだけでは飽きてしまうから、たまにビターチョコレートを食べたい時もある。同じ漢字を対句的に使いながら、苦しみが希望に変わることを表現している。
また、安易に「甘い」と表現せず「苦くて甘い」とするところに、大人の誠実なセンスが感じられる。深刻に悩んでいる少年に対し「未来はバラ色だ」なんて無責任な言葉をかけるのは誠実な大人とは言いがたい。
大人として投げかけることができる最大限の人生讃歌、最大限の誠実な言葉こそが「苦くて甘い」なのだと思う。
……と、たった一曲のサビだけを抜き出してきてもこれだけ鑑賞のしがいがあるのだ。
これだけ素晴らしいJ-POPの歌詞が溢れている中で、ロクに構成も分からないまま「ああ、これ名曲だよね~」とJ-POP知ったかぶりムーブをしている場合ではないぞ、と叫びたい。
国民よ!歌詞を耳に入れて立てよ国民!我ら日本国民こそJ-POPの歌詞に恵まれた民であることを忘れないで欲しいのだ!ジークジオン!!!
とにかく、我々はJ-POPの歌詞をもっとちゃんと鑑賞すべきだと思う。
何のために母国語の音楽を聴くか、それは最も研ぎ澄まされた言語感覚で歌詞を鑑賞するためであるはずだ。エズラ・パウンドも言うように、最大限の集中力を払うべきだ。
「い~ま、泣きそうで、フフフフン♪ 消えてしまいそうなフフフン~♪」とサビだけなんとなく口ずさむだけではもったいない。コロナウイルスで家にいる時間が増えた今こそ、歌詞を鑑賞しようじゃないか。
ということで、今日はJ-POPの歌詞をしっかり鑑賞する喜びを改めて感じられるような至極の歌詞J-POP曲を紹介していきたい。
至極の歌詞としか言いようがないこれらの名曲歌詞を鑑賞して頂き、日本国民がJ-POPの歌詞を鑑賞する習慣を身につける一助になれば幸いだ。
関取花「もしも僕に」
関取花、皆さんはご存知ないかもしれない。あんまり知名度はないが、超絶実力派女性シンガーソングライターである。変な名前だが実力派なのだ。
あいみょんとちょうど同じ実力(僕調べ)があるので、もっと売れていいと思ってずっと応援している。
彼女の書く歌詞の素晴らしさを見るために、ここでは代表曲「もしも僕に」を取り上げよう。
この曲のすごいところは、親が子どもに伝えるべき最も重要で現実的な教えを歌詞の中で提示していることだ。
まずAメロ。
もしも僕に子供ができたら どんなことを伝えるだろう。
「期待してるよ」 「頑張れよ」 そんなこと、まず言わないだろう。
子どもに妙に期待をかけたりしない、という。では、何を言うのか。続いてBメロ。
一日三食飯食って、よく笑い、よく泣き、遊べ。
そして他人を褒められる人になれ
ここまでの歌詞は、それなりによく見る感じというか、「特別な人にならなくてもいいから健やかに素直な人に育って欲しい」という教育ソングである。GReeeeN「遥か」とかにも似ている。
ところが、ここから大きく転換するのが関取花の実力だ。サビがすごい。
努力は大抵報われない。 願いはそんなに叶わない。
それでも、どうか腐らずに、でかい夢見て歩いて行くんだよ
僕は中学生の頃、「努力は裏切らない!」みたいな教えをいつも冷ややかな目で見ていた。明らかな間違いなのに、なぜか教師はよくそういう教えを口にしていた。
教育という文脈ではどうも、現実をウソで塗り固めることが推奨されているみたいだった。
関取花の作詞は、そんな違和感へのアンチテーゼである。教育において無視されがちな「現実」を歌詞に織り込んで、「子どもには現実を伝えたい」という気持ちを表明している。
だけど本当にすごいのは、ただ残酷な現実を伝えるだけではなく、それ以上に子どもに希望を与えたいという教育者の姿勢だ。
ただ残酷な現実を歌った曲は腐るほどあるが、この曲はそうではない。「どうか腐らずに、でかい夢見て歩いて行くんだよ」と、我が子に希望を与えようとしている。
しかもさらに特筆すべきなのは、論理展開が完全にメチャクチャであることだ。
- 努力は報われない
- 願いは叶わない
- でもまあ、頑張れ!
という、理屈もへったくれもない内容だ。「そんなんで希望持てるかぁ!」と子どもは怒るかもしれない。
マイナスなことを2つ並べた後に、特にフォローがないという驚異の教え。並の作詞者なら普通はフォローをくっつけるだろう。「でも、ちょっとしたことが嬉しいんだよ」とか「でも、恋をすると人生は輝くよ」とか。
関取花は並の作詞者ではないので、フォローはしない。「でもまあ、頑張れ!」という完全な力技で片付ける。
だけど考えてみると、これこそが我々の人生を支える教えではないだろうか。
歌詞で示されている通り、僕たちの人生は「努力は大抵報われない」し「願いは大体叶わない」という、あんまり嬉しくない設定になっている。
こんな悲しすぎる環境を打開できるほど強い「生きる理由」を提示できる人がどれだけいるだろうか?僕はできないし、あなたもできないだろう。「日常のちょっとしたこと」や「恋をすること」などは、マイナス要因に比べて弱すぎる。「これがオレの生きる理由だ!」と自信を持って提示できるようなものでは到底ない。
だけど、僕らは生きている。
それは、「でもまあ、頑張るか!」という一種の開き直りがあるからではないか。この得体のしれない開き直りのお陰で僕らは今日を生きていくことができるのではないか。
「○○があるから人生は素晴らしいんだよ」なんて教えは欺瞞であり、不十分である。親が子どもに授けるべき生きるエネルギーみたいなものは、そんな小手先の教えではなくむしろ「でもまあ、頑張れ!」という力技の方なのではないだろうか。
関取花の歌詞は、そんなことを提示している。この歌詞の教えは徹底的に現実的で、生きる力を与えてくれる、一見絶望的に見えて希望に溢れている教えだ。素晴らしい歌詞。
ちなみに、2番も徹底して現実的で、その現実的っぷりに「おいおい大丈夫か」とツッコミたくなる。
もしも僕に子どもができたら、どんな恋をするのだろう
(中略)
一度や二度の過ちもいつかはきっとするのだろう
立つ鳥跡を濁さずで上手くやれよ
こいつ、子どもになんちゅうこと教えるんだ。
ちなみに、この曲はCメロとラストのサビでもう一展開するしそこも素晴らしいのだけれど、それについては言及しない。ぜひ実際に曲を聞きながら歌詞を鑑賞して欲しい。
長渕剛「巡恋歌」
言わずとしれたカリスマ長渕剛の曲だが、20代はちゃんと聞いたことがない人が多いのではないだろうか。
「じゅんれんか」と言われた時にほとんどの人が頭に浮かべるのは湘南乃風の方で、美味しいパスタを作る曲ね、と軽く扱われてしまっている気がする。風評被害である。湘南乃風評被害である。
確かに湘南乃風の「純恋歌」の方は美味しいパスタを作る曲だが、長渕剛の「純恋歌」の方は比類なき名曲だ。この曲が出たのは1979年、すなわち40年前だが、全く古くなっていない。
好きです 好きです 心から愛していますよ と、
甘い言葉の裏には 一人暮らしの寂しさがあった
この歌い出しは、今の大学生でも完全に理解できるはずだ。
「ああ~、甘い言葉の裏には一人暮らしの寂しさがあったのか~」ってなる時、あるよね。今も昔も恋模様の人間心理というのは全然変わっていないものだ。
で、その後もすごい。
寂しさゆえに愛が芽生え、お互いを知って愛が終わる
別れは涙で飾るもの。笑えばなおさら惨めになるでしょう
これも完全なあるあるだろう。「お互いを知って愛が終わる」なんて、全ての恋の終わりを一言で表現していると言っても過言ではないんじゃないか。
このあるあるも全く古くなってない。今の女子高生に『巡恋歌』のURL送りつけて聴かせても「分かる!」ってなると思う。(もしくは、「誰この人?服と髪型ダサっ!」ってなると思う)
こんなに好きにさせといて 勝手に好きになったはないでしょう
逆恨みするわけじゃないけど、本当にあなたはひどい人だわ
この曲の何がすごいってね、ムダな言葉が一切ないの。すごい。バシバシ心に突き刺さってくる。情報密度がめっちゃ高い歌詞。
普通J-POPの歌詞は、抽象的にしすぎるとエモくなくなる傾向にある。抽象的な言葉は抽象ゆえに人の心を掴む力が弱い。「君が出ていった部屋は寂しい」という言葉の力は弱いが、「2本並んだ歯ブラシも1本捨ててしまおう」という言葉の力は強い。情景を想起させ、「オレもそういう経験ある!」と心をグッと掴まれるからだ。具体性こそが”エモさ”を担保する。
ところが、「巡恋歌」はほぼずっと抽象。抽象なのにバッシバシ「ああ~、こういうことあるわ!」と心を掴まれる。小手先の具体性に頼らなくても、圧倒的にパワフルな歌詞だからそこにエモさが宿っているのだ。
長渕剛ホントやばい。改めて皆「純恋歌」聴いて欲しい。
ちなみに、聴く時は原曲を聴くのがコツだ。最近のライブとかを聴いてしまうとゴリゴリムキムキの長渕剛がクセだらけで歌っていて、全然歌詞が入ってこない。
ゴリゴリすぎて、お前が女心を歌うな、みたいな気持ちになる。
サビに入るときに「ああ゛~い゛!!」とか言ってるし。そういう曲じゃねえだろこれは。
千鳥ノブの「クセがすごい!!」というツッコミ、多分長渕剛のライブを見てるときに思いついたんだと思う。そのくらいクセがすごい。キング・オブ・クセ。
ZOC「family name」
ワケアリ異色アイドルグループ「ZOC」。ゴリゴリの横須賀ヤンキーとか、児童虐待経験者などの迫力があるメンバーによって構成されており、デビュー時にはそのキャッチーさで話題になった。
……のだけれど、食わず嫌いしている人が多そう。そういう人はぜひこちらの「family name」を聴いて圧倒されて欲しい。聴いて頂ければ、ZOCは単なるキワモノアイドルではないことが一撃で理解できるはずだ。
「family name」の歌詞は、冒頭からすごい。
わけ分かんないことでママが怒ってる。
安定の不安定に鍵を締める。
こんなのおかしいね。なんで産んだの?
手に届くもの全部投げ飛ばした。
そんなアイドルソングある???Aメロから「なんで産んだの?」って聞くアイドルいる???
察して。その名前は二度ともう聞かずに生きていきたい。
かわいそう抜きでもかわいいし、私をぎゅってしないなんておかしい
「察してぇ~♪」というアイドルっぽい明るいコーラスの後に、「その名前は二度と聞きたくない」という地獄のようなメッセージが来る落差で頭がクラクラする。スカイダイビングみたいなアイドルソングだ。
「その名前」は何を指しているのか。単に「母親の名前」とも取れるが、もっと自然な解釈がサビで提示される。
family name 同じ呪いで
だからって光を諦めないよ
family name お構いなしだ
治安悪いまま、バグらせてこ
クッソ生きてやる
family name、すなわち名字は、呪いなのだ。
無限の憎悪はもはや母親の名前だけではなく、母親と共有している名字にも向いている。共有した名字は呪いですらあるのだ。
そして、この呪いへの向き合い方は「治安悪いままバグらせ」ることなのも象徴的だ。前向きに過去を克服していくというよりも、バグらせて気にならなくするという場当たり的な解決である。これは、一生つきまとう”呪い”には解決法がないというある種の諦念を感じられる。
だが、諦念が全てを飲み込んでいるかといえばそんなことはなく、「光を諦めない」、「クッソ生きてやる」と言い切っている。
一生つきまとう呪いは消せないが、それを抱えたままどうにか生きていこうという、雑草的なタフな生命力を感じる歌である。育ちが悪ければ悪いほどこの歌詞は染みるだろう。
余談だが、僕の母校である慶應義塾大学の学生は「とても」という副詞の代わりに「クソ」を多用する。
「クソダルい」「クソ暑い」くらいのネガティブな表現ならともかく、「クソ美味い」「クソかっこいい」のようにポジティブな表現にも使う。
僕はこれを実に下品で無教養な言葉遣いだと思い、苦々しい気持ちで見ていた。こういう無教養な輩とは距離を置くと決めていた。(そのせいで、友だちはほとんどいなかった)
今でもたまに「クソ〇〇」という言葉を多用する人を見て嫌な気分になるのだが、ZOCの「クッソ生きてやる」は全然嫌な気分にならない。
恐らく、ZOCのメンバーはマジで育ちが悪い感じがするからなのだろう。作り物ではなく、ありのままの言葉で決意を語ったら「クッソ生きてやる」になったように思えるからなのだ。
慶應に入ってくるような良家の人間が無思慮無分別に「クソ○○」と言うのとは違う、天然モノの力強さがあるから全然不愉快じゃないのだと思う。
ZOCのメンバーが一人ずつソロで叫ぶ「クッソ生きてやる!!」は圧巻の迫力なので、皆さんもぜひじっくり聴いて味わって頂きたい。
あいみょん「満月の夜なら」
「この歌はなんの歌?」と聞かれて明確に答えられる人は少ない。
1曲丸ごとセックスの歌なんだけど、そのことに気づいてる人はあんまりいないしPTAの目の敵にもならない。J-POPはすごい。
Aメロからド下ネタ。しかも、官能小説よりの表現。
君のアイスクリームが溶けた。口の中でほんのりほどけた。
甘い甘い甘い ぬるくなったバニラ
オジサンが書いた歌詞みたいだ。20代女性が書いた歌詞とはとても思えない。
あいみょんは官能小説から作詞の着想を得ているらしいけれど、それがメチャクチャ出ている。歌詞の一行目に「君のアイスクリームが溶けた」って書ける人は絶対官能小説ヘビーユーザー。
あいみょんの曲には部分的にセックスの話をしているものは数多くあれど、「満月の夜なら」は最初から最後までず~~っっとセックスの話しかしていない唯一の曲である。
歌詞の続きを見ていこう。
横たわる君の頬には、あどけないピンクと更には
白い、深い、ヤバい、神秘の香り
もしも、今僕が君に触れたなら、きっと止められない、最後まで。
溶かして、燃やして、潤してあげたい。次のステップは優しく教えるよ。
君とダンス。2人のチャンス。
夜は長いから、繋いでいて。離れないでいて。
以上、1番終わり。セックスの話しかなかった。もちろん2番も3番もセックスの話しかない。
あいみょんの曲なんてどこ行っても流れてるし、小学生とかもバリバリ口ずさんでるけど全く問題になってないのがすごい。
「クレヨンしんちゃん」よりも「満月の夜なら」の方がよっぽどヤバいんだけど、PTAに目をつけられてない。世の親御さんも歌詞を聞いてないんだなと思うし、婉曲表現って大事なんだなと思う事例である。
日食なつこ「エピゴウネ」
ここ3年くらいずーっっと言ってるけど、現代における作詞力ナンバーワン歌手は日食なつこ。超絶実力派。令和の中島みゆき。中島みゆきが今若手だったら日食なつこと同じ歌を歌う気がする。
そして、「関取花」「あいみょん」に続き、「日食なつこ」も変な名前だ。何???そういう誓いとか交わしたの??「実力派女性シンガー変な名前の誓い」みたいなのがあんの???「我ら3人、生まれた日、時は違えども、変な名前になることを誓う」みたいなヤツ???
ともかく、名前は変だが日食なつこはすごい。非の打ち所がない。作詞作曲力も歌唱力もとんでもない。
彼女の作詞の特徴は、人を殴る作詞である。僕は日食なつこを聴く度に「音楽って人を殴れるんだ!」と感心せずにいられない。
僕にとって、人を殴るもの第一位は「バールのようなもの」、第二位は「日食なつこの音楽」。そういう世界観。
そんな人を殴る曲のうちの一つ、「エピゴウネ」の歌詞のAメロを見てみよう。
あの日夢を乗せて打ち上げたロケットの軌道を今日も把握してるか?
離陸に歓喜の声をあげて それっきり終わってはいないかな
「今から、夢語り企画倒れ野郎を殴ります」というAメロ。あっ、これヤバい。いろんな人に刺さるヤツ。
「せめてお手柔らかに…!」と祈りながら聴くのだけど、人を殴る音楽性の日食なつこの拳は、当然柔らかくなどならない。
Aメロの続きはこちら。
半端な夢を乗せてひしめきあって、どれが誰の何かも分かったもんじゃないね
何となく空でも飛んでいれば、いつか奇跡に出会うのかい
あ、ヤバいヤバい。まだAメロでこの攻撃力はヤバい。学生時代に『多動力』とかを読んで変に意識高い動きをしてしまい、「半端な夢を乗せてひしめきあ」っていた時期がある人とかはここで相当ヤバい。
ひしめきあってたわ~。僕も大学生の頃、半端な夢を乗せてひしめきあってたわ~。
そしてBメロ。
Just you blab, お前の描いた夢物語を聞くのは飽きたんだ
Just you blab, キャンバスはもういっぱいだろ いい加減形にしてくれ
「もうやめて!とっくに夢語り野郎のライフはもうゼロよ!」と言いたくなる。
ちなみに、「blab」はあまり知名度のない英単語だが、「べらべら喋る」とか「くだらない話をする」みたいな意味だ。まあ、そんなこと知らなくても食らうダメージ一緒なんだけど。知らない単語でディスられてもダメージが入るのが日食なつこの迫力だ。
そして、とうとうサビ。もうBメロでライフがゼロなんだけど、死体蹴りとも言うべきサビである。
情熱だけで生き残れたら、どいつもこいつもヒーローだよ
守りたいのならそれなりに飛べ
背伸び程度で届くような空ではない
もうすっかりボコボコである。人間はうっかり「情熱だけで生き残」ろうとしがちだよね……。してたわ~。僕も情熱だけで生き残ろうとしてたわ~……。
そのくせ大した努力もせず、背伸び程度だったわ……。ホントに愚かだったな……。ああ、過去の自分をぶん殴りたい……。
……と、1番のサビまで聞いた段階で、日食なつこの音楽に殴られすぎて過去の自分を殴りたくなるという「殴りスパイラル」に突入する。旦那にDVを受けた奥さんが子どもに暴力振るうみたいな感じだ。日食なつこの曲のエネルギーは本当にすごい。
で、2番に入ってやっと一息つけるかなと思うのだけれど、実は日食なつこの曲は基本全部クレッシェンドである。曲が進めば進むほど強くなるのだ。音圧がというより、攻撃力が。
2番のAメロは1番のAメロとは比べ物にならない攻撃力を持っている。
あの日夢を乗せて打ち上げたロケットの行方は今や軌道圏外
立派な理想像を描けた自分が、夢そのものよりも愛おしいかい?
日食なつこの曲、「えっ、ここから更に攻撃力アップすんの!?」というヤバさが常にある。
1番よりも2番、2番よりもラストのサビの方が高い攻撃力でいつも驚かされる。戸愚呂弟みたいなシステムなのだ。100%より上があるのかよ……。
日食なつこの曲は本当にどれもメチャクチャ良い。なんとなく聴き流すのではなく集中して「鑑賞」するのにピッタリな音楽だ。
他にもオススメのMVと、人を殴るしびれる歌詞を一言ずつ貼っておく。是非みんな聴くといい。MVもカッコいいヤツが多いので、見応えがあると思う。
もしも否定がしたいなら、玉座を降りてさあ戻ってこい
(日食なつこ『四十路』)
味見のような人生を繰り返すお前の残骸だよ
(日食なつこ『レーテンシー』)
泣くぐらいなら、「どうぞ」と言うんじゃない
(日食なつこ『黒い天球儀』)
まとめ
以上、「せっかくJ-POP聴くなら歌詞を鑑賞しないと損してる」という話をしつつ、鑑賞しがいのある曲をオススメした。
最後にもう一度、エズラ・パウンドの言葉を確認しよう。
詩の言葉はあまりに密集し、様々な意味を持つため、集中的な意識を払うことが求められる。
そして、再読をする者にだけ最大の報酬を提供するのである。
(エズラ・パウンド)
エズラ・パウンドは「集中的な意識を払うこと」が必要だと言っているだけでなく、「再読をする」ことも推奨している。
歌詞を鑑賞する喜びを感じたら、ぜひそれを習慣にして欲しい。聴き慣れた曲も、何度でも歌詞を味わい直してみると、その都度違う解釈が浮かぶものだ。
僕は人生を楽しむコツは「解像度を上げること」だと思っている。大抵のものは、注意を払ってじっくり観察すると面白さが3倍くらいになるのだ。
在宅ワークで音楽を聴く人も多いと思うが、ぜひこの機会に邦楽の歌詞をじっくり聴いてみるといいだろう。
何となく聴き流していた音楽に注意を払ってみるだけでも、人生は楽しくなる。
音楽に夢中になって仕事が進まなくなることもあるだろうけど、それもまあ、人生が少し楽しくなった証拠ということにしておこうじゃないか。
おまけに宣伝
今、5/11まで限定で、Amazonの音楽サービス「Amazon music Unlimited」が3ヶ月無料キャンペーンをやっている。
プライム会員向けの「amazon music」と違って対象曲がたいへん多くていい感じである。この記事で紹介した曲も全部入っている。
在宅ワークで音楽を聴く機会が増えた人も多いだろうし、音楽サブスクリプションサービスに入ってない人はこの機会に入ってみると良いと思う。
Amazon music Unlimitedキャンペーンページ
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