「シグルイ」というマンガがある。
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たいへんに面白いマンガなので、僕はかれこれ10年ほど「一番好きなマンガは?」と聞かれたときに「シグルイ」と答えている。
今日はこの「シグルイ」の魅力について語りたい。このマンガ、一言で言うとビビりすぎて笑ってしまうマンガなのだ。
これは本来正しくない。このマンガはギャグ漫画とかではなくシリアスものなので、読者は手に汗握りながら登場人物の戦いを見守るのが正しい。そこに笑いの介在する余地はない。
だけど、僕は笑ってしまう。それも、ビビりすぎて笑ってしまう。
うん、何言ってるか分からないと思う。ここから詳述するので安心してついてきて欲しい。
「命のやり取り」が主題、超シリアス。
冒頭の1ページを見てもらえばすぐに分かるように、とてもシリアスなマンガである。
舞台は江戸時代。剣の道に生き、剣の道に死ぬ男たちの物語。
タイトルの「シグルイ」は「死狂い」と字を当てる。主君のため、勝利のため、誇りのため、命を投げ出すことなど歯牙にもかけない。そういう男たちの物語である。
1巻の巻末に出てくるフレーズが、このマンガの本質をよく表しているので引用しよう。
失うことから全ては始まる。
正気にては大業ならず。
武士道はシグルイなり。
死に狂う男たちの物語。シリアスオブシリアス。これよりシリアスなマンガは存在しないくらいシリアス。
命を投げうってまで強さを追い求める「狂気」を余すところなく描いている傑作だ。読者はこの狂気に凄まじさに、震えるしかない。
ところが、「狂気」の描写がすごすぎて、ビビりすぎて笑っちゃうことがしばしばあるのだ。あらゆる創作物は、受け手に思わぬ作用を作り出すことがある。
今日はそんなビビりすぎて笑ってしまうシーンを軸に、シグルイを紹介しよう。
ビビリ笑い①最初からついていけない
シグルイのキーとなる登場人物は、「主人公とライバル」の2人である。この2人が何度も何度も戦うことになる。
そして、第一巻はいきなり時系列がめちゃくちゃである。一番最後にあたる戦いを、一番最初に見せるのだ。
当然、そこまでの2人の因縁が全く分からない読者は、ものすごい勢いで置いてけぼりを食らう。
「出来る。出来るのだ」と言われても、読者としては「???出来るの???というか、なぜこの人たちはこんなにボロボロなの????腕がない人と目が見えない人が戦ってるの???なんで????パラリンピック的なこと????」となる。
腕がない理由や目が見えない理由、戦う理由も全く分からないが、そんなことはお構いなしに他のギャラリーの反応さえもバシバシ出てくる。脳が処理落ちするわ。
実に65ページもの間、この何も分からない異様な描写が続く。
「斬ってくださいまし」と言われても…。読者としては「状況を説明してくださいまし」としか言いようがない。
すごい。これほどまでに読者を置き去りにできる胆力がすごい。丸ごと1話以上もこの謎のやり取りに使っている。
並の描き手なら、こんな長々と謎のやり取りをしたら読者が離脱してしまう。
しかしそこは漫画家・山口貴由の圧倒的な表現力で、「なんか分からんけどすごそう」と思いながらページをめくってしまう。山口貴由にはこの演出が出来る。出来るのだ。
漫画家・山口貴由は間違いなく怪物である。
「なんか分からんけどすごそう」な鬼気迫る描写にビビりながらページをめくり、「こんなにすごそうなものを読んでるのに、さっぱり意味が分からん」と笑ってしまう。この相反する感情こそがシグルイの醍醐味なのだ。
「怪物め」というセリフは、読者をワケの分からない感情に叩き込んでしまうこのマンガ、そしてそれを作り出せる漫画家に対してこそ言いたいものだ。
ビビリ笑い②師匠がヤバすぎる
このマンガ、登場人物がほぼ全員ヤバいのだけれど、輪をかけてヤバいのは主人公たちの師匠である「岩本虎眼」である。
なんと、彼は心の平衡を失っており、一年のうちのほとんどの時間をまともに会話できない「曖昧な状態」で過ごしている。
初登場時から「こんな人が師匠で大丈夫か?」と不安になるが、案の定全然大丈夫ではないことが後々分かる。
師匠がヤバいシーンは挙げ始めたらきりがないのだが、駆け足で紹介しよう。
素手で愛人の乳首をむしり取る。
魚を丸かじりする。
痩せちゃった娘を心配して、獣の肝臓をいきなり食べさせる。
刀を盗んだ犯人を、舐めて特定する(すごい)
このように、案の定めちゃくちゃヤバいヤツだった。シグルイの序盤はほぼ師匠のインパクトに面食らうマンガだと言っても過言ではない。
というか、最後の「舐めて犯人を特定する」ヤツめちゃくちゃすごい。名探偵だ。剣客としてだけでなく、探偵としても活躍できそうだ。
あのブチャラティでさえも特定できるのは「嘘をついているかどうか」だけなのに、師匠は現場のものを舐めただけで犯人を判別できる。完全な上位互換だ。
それにしても師匠、行動がヤバすぎて1ページだけ抜き出してくるとほぼギャグ漫画みたいな感じになってしまう。魚を丸かじりしてるのなんて完全にギャグ漫画だ。
しかし、どのシーンも、実際にはめちゃくちゃシリアスな文脈である。圧倒的な画力が醸し出す恐怖とあいまって、どちらかと言うと「ビビリ」が先に来る。
行動がギャグで笑ってしまうというより、ビビりすぎて笑ってしまうという感じである。この笑い、他ではなかなか体験できない。
ちなみに、この師匠の行動はずっと異常すぎて、読者の感覚が麻痺してくる。
突如さかずきを食べるくらいは日常茶飯事なので、慣れた読者は特になんとも思わない。
そして、この師匠のヤバさは、次なるビビリポイントを生み出す。
ビビリ笑い③原作と違いすぎる
実は本作「シグルイ」には、原作小説がある。
直木賞作家であり、時代小説の名手である南條範夫の「駿河城御前試合」という小説が原作だ。
ところが、原作とこのマンガは全然違う。
何が違うのかといえば、そもそも分量が全然違う。
原作の「駿河城御前試合」は、11試合の様子を描いた短編集である。
「シグルイ」の原作部分は、11試合のうちの1試合に過ぎない。文庫本のページにしてわずか50ページほどである。
そのわずか50ページほどの物語を、漫画家である山口貴由が膨らませまくったのがシグルイであり、このマンガは脚色のオンパレードである。
いや、ここまでくると、脚色というよりも創作と言った方が良いかもしれない。
そのことが最もよく表れているのが、先ほど扱った師匠こと「岩本虎眼」である。
分かりやすいシーンを、シグルイと原作で比較してみよう。
師匠である虎眼が、自分の流派の跡継ぎに迷うシーンだ。
「跡継ぎはどちらがよいか?」と尋ねる師匠。「藤木がいいですよ。三重どの(師匠の娘)を好いているので、結婚させたらうまくいきます」と答える弟子。普通のやり取りである。
しかし、ページをめくった瞬間に驚愕の展開が待っている。
口を切られるのである。
「あれ、僕1ページ飛ばしたかな?」と思って慌てて戻るが、飛ばしていない。
さっきのやり取りが気に入らなかったから師匠は弟子の口を切ったのである。
怒りポイントは「娘の話なんてどうでもいい!!!どちらが強いかの話してるんだろうが!!」ということらしい。気難しい。
……っていうか、気難しいどころの騒ぎじゃない。ちょっと回答を外しただけで口を真っ二つに切られるのヤバい。海原雄山がものすごくかわいく見えてくるレベル。口を切られるのに比べたら、厨房に怒鳴り込まれるのがめちゃくちゃ平和に思えてくる。
あと、自分で口を切っておいて「申せ」と言うのもすごい。あんたが口封じ(物理)をしてるからしゃべれないんだけど……。
しかも「互角か。互角と申すのだな」って勝手に自己解決してる。気難しくて勝手な人だ。困った人だ。
……と、まあこのシーンも非常に典型的な”ヤバい人”としての師匠・虎眼が描かれているワケだが、これが原作ではこうなる。
「藤木の方が剣はまともだが、三重はどうやら伊良子に夢中らしいから、やはり伊良子の方に決めるかな」
虎眼は、盃を乾しながら、妾のいくに云った。
(Kindle版「駿河城御前試合」位置92より引用)
なんと、師匠が率先して「剣の腕とかじゃなくて、娘が好きな男と結婚させよう」と、夫婦仲を気にしている。
口を切るほど怒っていた発言を、原作では自分がしている。
そう、なんと原作では師匠・虎眼は普通の人なのである。
もちろん、愛人の乳首を素手でちぎったりしないし、現場のものを舐めて犯人を特定したりしない。
なんと、さかずきを食べることすらしないのである。
僕はマンガを読んでから原作を読んだので、これは大いに面食らった。「どうしちゃったの師匠????せめてさかずきを食べるくらいはしてくれよ…!!」とめちゃくちゃビックリした。
「シグルイ」を読んだ後は「駿河城御前試合」を読むと良い。さかずきを食べない人に驚く自分自身に対してビビり笑いが出てしまうから。
ビビリ④言葉遣いがえげつない
シグルイのすごいところ、登場人物の個性や圧倒的な画力だけではない。凄まじい言葉遣いも魅力の一つである。例えば、こちらの場面。
清玄の背肉(にく)は爆ぜ、真珠のように白い胸椎をのぞかせている
この文章すごくない???「背肉(にく)」という謎の単語もすごいし、「背肉(にく)が爆ぜる」という表現もすごい。だって普通、背肉(にく)が爆ぜたことはないからだ。作者はいつ、この表現をいつ思いついたんだろう。ひょっとして作者の背肉(にく)は爆ぜたことがあるのだろうか。
ちなみに皆さんは、背肉(にく)が爆ぜたことがあるだろうか?僕は背肉(にく)が爆ぜたことは一回もない。できれば今後も背肉(にく)が爆ぜないような人生を送っていきたい。
あと、「真珠のように」という比喩が「白い胸椎」にかかるのもすごい。普通は美しいものの喩えで使うだろうから。
「真珠のように」の後にくる言葉を選びなさい、という国語のセンター試験で、「胸椎」が正解だったら多分ネットで叩かれる。Twitterで「意外!それは胸椎ッ!!」みたいなコラ画像が出回ると思う。
ちなみに、この背肉(にく)が爆ぜた後のシーンもすごい。
野心である。野心がモルヒネのように激痛を麻痺させているのだ。
比喩の爆発。「真珠のように」の後は「モルヒネのように」と来たか!美しい言葉の比喩の後に、アウトローな言葉の比喩。この語彙の炸裂にしびれてしまう。
僕がシグルイの中で一番好きなページを挙げろと言われたら、この「野心である」のページを挙げる。最下層から這い上がってきた男の剣の凄まじさを感じる、抜群にカッコいいページだ。
気に入りすぎて、一時期の僕はことあるごとに「○○である。○○がモルヒネのように□□を麻痺させているのだ」と言っていた。
ライターとして請け負った仕事の原稿に「アルフォートである。アルフォートがモルヒネのように疲労を麻痺させているのだ」と書いたこともある。(編集者の手によってボツになった)
しかし僕はこのシーンが大好きだし、今後もことあるごとにこのフレーズを放り込んでいきたい。編集者に気づかれずに原稿にシグルイを放り込むことは出来るのか?出来る。出来るのだ。
あと、言葉遣いがすごいシーンといえばこれ。
顔面の経穴を肉撃されて、源之助の鍔迫りが緩む!
「肉撃(にくげき)」という謎の単語はもちろん辞書に載ってない。だがそんなことはどうでもいいのだ。彼は肉撃されたのだ。肉撃されたから「肉撃された」と書いたのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
先ほどの「背肉(にく)が爆ぜる」に続いて、この表現も作者がなぜ思いついたのか気になる。普通に生活していて「顔面の経穴を肉撃される」という表現を思いつく理由が分からない。作者は日常的に顔面の経穴を肉撃される環境で育ったのだろうか。顔面の経穴を肉撃する授業がある小学校とかに通っていたのだろうか。
というか、この文章の持つ力はすごい。のっけから「顔面」「経穴」「肉撃」という普段あまり使わない二字熟語を3つ連発してくるのもすごいし、後半で一気に「源之助」「鍔迫まり」という長くてゴツい単語で〆るのもすごい。
次の「声に出して読みたい日本語」に収録して欲しい。
あなたもぜひ音読してみてくれ。「顔面の経穴を肉撃されて、源之助の鍔迫りが緩む!」の語感の良さに、もう虜になってしまうだろう。
次の飲み会でぜひ口に出してみよう。恥ずかしいって?大丈夫大丈夫。語感がモルヒネのように羞恥心を麻痺させてくれるから。
ビビリ⑤モブキャラの個性がすごい
バトルマンガには古今東西、モブキャラがつきものだ。モブキャラは噛ませ犬として死んでくれたり、戦いの解説をしてくれたり、非常に大事な役割を果たす。
ところが、シグルイはモブキャラの個性が妙に際立ちすぎている。
試しに、「主人公VSライバルの決闘を見守るモブキャラ」を見てみよう。ドラゴンボールで言うならヤムチャやクリリンの役割だ。いかに読者の気を散らせずに、自然に解説を入れるかが大事になる。
普通のモブキャラはこうだ。自然なやり取りで戦闘を解説し、読者の理解を助ける。
一方、シグルイだとこうなる。
解説役の老人が気になりすぎて解説が全然頭に入ってこない。「虎眼流が太刀をかついだら用心せい」というのが解説の内容なんだけど、そんなことより顔のインパクトがすごい。よだれとか飛び散ってるし。頓狂な声を上げたらしいし。
挙句の果てに「ひゅううう」とか言われたらもう終わりだ。こんな「老境著しい」ヤツに解説をさせるな。頓狂な声じゃなく普通の声で解説できるヤツを呼べ。
また、決闘している男が構えを変えた際にもこの老人が解説役として注目されるのだが、この時は完全に解説者としての役割を果たさない。
「ひゅう ひゅう ひゅうう」という情報しか与えてくれないのだ。
解説役なのに四足獣のごとくいななくの、やめて欲しい。職務放棄も甚だしい。せめて何か喋って欲しい。さっきは悪かったよ。普通の声とは言わんから、頓狂な声でもいいから喋ってくれ。
……っていうか「頓狂な声をあげる」とか「四足獣のごとくいななく」とか、解説役の行動に解説がついてしまっている。何なんだこの多段構造。もう直接ナレーションで解説した方がいいんじゃないか。
だが、このページをよく見て欲しい。「四足獣のごとくいなないたのは舟木一伝斎。さらに、仇討ち場を見渡せる小高い丘の上には…」と続いている。つまり、実は他にも解説役がいるのだ。
ああよかった。こんな老境著しいヤツだけじゃなくて、もっとちゃんとしたヤツもこの決闘を見守ってるんだ。普通の人がちゃんと解説してくれるぞ、と、ある種の安堵と共に我々はページをめくる。
次のページが、これだ。
いや普通の人を呼んでくれや!!!!!
まさかの糞をひりつつ眺める人が登場してしまった。登場の2コマ前で「ぶりぶりっ」とか言ってる。クレヨンしんちゃんでさえも登場してからぶりぶりするのに、こいつは登場の2コマ前からぶりぶりしている。圧倒的な速さ。ぶりぶり界の重鎮であるしんちゃんさえも凌駕する速さ。ぶりぶり界のスピードスター。
もうダメだ。糞をひりつつ眺める人が出てきちゃったらもう終わりだ。老境著しい舟木一伝斎が懐かしい。頓狂な声で解説してくれ。四足獣のごとくいなないてくれ。今となってはそっちのほうがよっぽどマシだった。
舟木一伝斎は「決闘から気が散ってしまう」ぐらいだったが、糞をひりつつ見る人はもう「決闘とかどうでもいいから糞を出している理由が知りたい」となってしまう。まさかの、解説役が主役を食ってしまう形だ。プロ野球の解説者が場外ホームランを打ってしまった。
なんでモブキャラにまでこんなに個性をつけるのか?この漫画家は普通の人を登場させることができないのか?我々はあと何人、異常なキャラクターを見なければならないのか?
そんな疑問が次々に湧いてきて、震えると共になんだか楽しくなってくる。「キャラ渋滞」、いやもはや「キャラ玉突き事故」みたいな状態になっている異様さに、ビビリ笑いせざるを得ない。
あと、モブキャラに関して言及すべきは、「気の短さ」である。
師匠・虎眼の気が短いのはここまでに見てきた通りだが、モブキャラも大体気が短い。
例えば、このシーン。
飲食店で、虎眼流の悪口を言っていると……
偶然後ろにいた虎眼流の門弟に、アゴを砕かれてしまう。門弟、気が短すぎる。明らかに罪と罰のバランスが合ってない感じがする。
アゴ砕かれた衝撃で歯とかほとんど抜けてるし、彼は今後ほとんどご飯食べられないんじゃないか。ちょっと悪口言っただけで人生から食の楽しみを喪失してしまった。
普通だったら悪口を言ってる人に対して「聞き捨てならないな!表出ろ!」とかそういうのがありそうなものだが、このマンガの登場人物はそんな悠長さを持ち合わせてはいない。警告なし即アゴ砕きが基本である。
そして、アゴを砕いたヤツが立ち去り際に言うセリフがすごい。
「口は災いの元」である。他人事みたいな言い方。
お前が今まさにマグニチュード10の災害を引き起こしたのに、なんで「気をつけないとね☆」と言わんばかりに格言を紹介してるんだ。
「口は災いの元」というより「盗っ人猛々しい」という格言を与えたいシーンである。
気が短すぎるモブキャラに対しても我々は、ただビビリ笑いするしかない。
ちなみに余談だが、この気が短いモブキャラ「山崎九郎右衛門」はこの直後に「セルフフェラ」をするシーンが出てくるので、「へえ~。気は短いけどモノは長いんだね」というクソみたいにどうでもいい感想を抱かせられてしまう。なんとなく腹立たしい。
まとめ-シグルイはビビるほど面白い
以上、シグルイの魅力をやや茶化す形で紹介した。
実は、この記事は一度書き直している。最初はもう少し真面目に面白さを語ろうとしたのだが、僕の力量では満足行く形にまとめきれなかった。マンガが持つ魅力が大きすぎて、何を語ろうともその1割ほども表現できなかったのだ。
そこで、これはもう茶化し気味に愛情を表現するしかないなと思い、「ビビリ笑い」というコンセプトの元で衝撃的な場面を紹介することにした。「ビビリ笑い」という単語自体は、元の真面目なレビュー執筆時に思いついたものである。
読者諸賢には、インターネットコンテンツ的文脈で「なんだこれ笑える」と思いながら、シグルイというマンガの持つ異常な狂気性と魅力を感じて頂けたのではないだろうか。
シナリオの解説は徹底的に排したので、皆さんはこのマンガについて「糞をひりつつ決闘を眺めるモブキャラが出てくる」とか「師匠は愛人の乳首を素手でちぎる」とかそういう断片的な印象しか持っていないだろう。
だが、シナリオの全貌は分からなくても、このマンガの異常な魅力はぼんやりと感じられたと思う。
あなたがなんとなく感じたその魅力は、偽物ではない。「シグルイ」は、間違いなく極上のマンガだ。1万冊以上のマンガを読んできた僕が自信をもって「最高の1作」として挙げることができる。
ぜひ、あなたにもこの傑作を手にとって欲しい。
シグルイ、超面白い
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好き嫌いが分かれるマンガであることは間違いないが、「血がダメ」「残酷なものがダメ」という人以外は試しに読んでみるといいと思う。1~3巻で最初の山場が終わるので、試しに3巻まで読んでみるのもいい。
もし3巻まで読んでみてハマらなければ一生ハマらないのでそこでやめよう。
2020年4月25日追記:まとめ買いセール実施中
2020年のゴールデンウィークに伴って、シグルイのKindle版が「まとめ買いセール」で30%オフになっている。
まとめ買いするとオトクなので、この機会に是非まとめ買いしておくといいだろう。
ただし、前述の通り「全然合わなかった」ということもありうる。「クセが強いマンガはニガテだな~」という人はとりあえず1~3巻をバラで買って読んでみて、面白かったら残りをまとめ買いするといいだろう。(Kindleまとめ買いセールは全巻でなくても、複数冊買えばちゃんと30%オフになる)
おまけ:「駿河城御前試合」もオススメ
シグルイファンの人も意外にチェックしていないのがこの原作小説。
僕はシグルイが好きすぎて読んだが、別物として大変おもしろかった。「師匠・虎眼が普通の人である」「全体的にあっさりしすぎている」などの「シグルイとの違いが面白い」という楽しみ方もできるし、小説としても大変に面白い。
直木賞作家・南條範夫が、最も才気あふれる時期に書いた作品だ。学者でもある南條範夫の知性が爆発している。南條は生前、小説家として「残酷」の中に宿る人間の本性を描くことに注力した。
南條が生涯をかけて取り組んだ「残酷」という対象に、圧倒的な筆の力が載っている。
左腕を失った直後の藤木源之助の、三重に対する思いの描写を引用しよう。
憎いと、三重が云うとき、それは、父の仇、そして、己れを裏切った男、──に対する真底からの憎悪と云うだけでは了解しきれぬ、きびしく、深く、のたうちまわる憤りと悲しみとが籠もっているように思われる。それはむしろ、生身にくい込んだ愛慕の思いを、殊更にかき立てた憎しみの念で絞殺しようとして発する、苦悩の叫びとも聞こえるのである。
(Kindle版「駿河城御前試合」位置362より引用)
江戸時代、斬り斬られた人々の中に渦巻く感情を、南條範夫の筆が鮮やかにとらえた小説は、漫画家・山口貴由をして「どうしてもマンガにしたい」と言わせるだけの力がある。
「シグルイ」を読み終わったあとは、ぜひこちらもチェックして欲しい。
以上、久しぶりに丸一日かけて茶化す記事を書いてしまったが、大好きなシグルイについて語れて僕は満足だ。
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