子どもの頃は美味しいと思わなかったけど、大人になると美味しくなった。
そんな経験がきっと誰にでもある。僕の場合は、ナスを美味しく感じるようになったのは10代の後半からだった。
そして、このマンガを面白く感じるようになったのは、成人した後のことだ。
「総務部総務課山口六平太」。とても地味なマンガだ。
「課長島耕作」や「サラリーマン金太郎」といったサラリーマン漫画に比べて知名度が低いため、読んだことのない人が多いと思う。
けれど、僕は声を大にして言いたい。この漫画こそ、もっともリアルなサラリーマン漫画であると。
課長島耕作はサラリーマンの基幹業務はセックスという間違った認識のもとに書かれているし、サラリーマン金太郎に至っては「サラリーマン」と「チンピラ」を間違えている感がある。
だが、山口六平太はリアルだ。この上なくリアル。劇的なドラマはなく、発生した問題をただ粛々と解消していく。
「怒って帰ってしまった取引先のところに行って、上手に謝ってくる」というだけの回が度々ある。
それゆえに、この漫画は子どもが読んでも全然面白くない。
だけど、大人になってから読むと、「ああ。勉強になるな」「ああ、これが人生だな」と感じる。心に優しく染み入るのである。
今日は、そんなこの漫画の魅力を紹介したい。
舞台は地味部署「総務」
そもそも舞台設定からして地味だ。「総務」である。
営業や企画や開発はいくらでもドラマが起こりそうだが、「総務」は起こらなさそう。
そんな大方の予想通り、本作は非常に地味なできごとの連続で進んでいく。
例えば、第一話の題材は「部長が部屋割りについて文句を言っている」というもの。
連載第一話でこの驚異的に地味な題材を持ってくる作者の胆力に、僕は拍手を送りたい。
そう、これこそがリアルなサラリーマンなのではないか。
現実のサラリーマンは、ライバル会社から乗っ取り攻撃を受けるだの、産業スパイを見つけ出すだの、華やかなタスクが発生することはめったにないだろう。
部長が部屋割りを嫌がっている(同期より眺めが悪い部屋であることを気にしている)というような、どうしようもなく小規模な、「セコい」話の方が、よほどリアルだろう。
本作には【リアル】がある。題材だけではない。問題の解決方法まで含めて、徹頭徹尾リアルなのだ。
例えば、上述の「部長が部屋割りを嫌がる」の解決法はこれだ。
「若い女性が多く通うエアロビクス教室が近くにあることをそれとなく伝える」である。
地味だし、何のドラマもない。だけど、誰も傷つかせずに事態を収束させる、最善手だ。
「嫌な部長をぎゃふんと言わせる」というようなドラマチックな解決ではない。
それゆえに、子どもが読んでも面白くも何ともない。なんだかパッとしない話だなという印象だけが残る。
現に、僕は中学生の頃に初めてこの漫画を読んだ時、「全然スカッとしない話だ」と思った。
「スカッとするコピペ」は好きだった
話は変わるが、僕は中学生の頃、「スカッとするコピペ」が好きだった。
「スカッとするコピペ」とは、昔の2ちゃんで貼られていたこういうヤツだ。
386 おさかなくわえた名無しさん 2006/10/31(火) 09:45:41 ID:bnJFLSDx
ちょっと武勇伝とは違うかもしれないけど。
俺の元担任は他の学校でも有名なダメ差別教師。見た目で評価を変える最低野郎だった。
今話題のいじめ助長教師なんてもんじゃない、嫌いな奴は集中的に罵倒してた。
おまけにそのせいで学校来なくなった奴を『根性なし』呼ばわり。身内がひどい目にあったこともあり俺も嫌いだった。三年になってそいつが担任になった時
俺は皆の前で初日にいきなり『あの〇〇の弟か。おまえもあんな馬鹿じゃないと良いな。
おまえみたいのは卒業することだけ考えろ』とか言われた。まだ話してもいないのに。そばにいるだけで何かとちょっかい出されてたのでそいつの宿題と授業すべて放棄してた。
それ以外はの授業はしっかり出てたけど。
で、ある日『おまえは宿題全く出してないから30点はテストの素点から引かなきゃなぁw
赤点になったら絶対助けんぞ。明日までに全部出したら助けてやらんでもない』とか言われた。『50点くらい引いてもいいっすよ』って言って100点取ってやったよ。
で『先生の授業受けてる人の方が頭悪くなるんですね』って言ってやったあれ?俺がDQNって言われるパターンか?
上記のコピペは「【痛快】スーっとする厳選200以上コピペまとめ【2ちゃんねる】」より転載した。
こちらのまとめには、こういうものがいっぱい載っている。
さて、これらのコピペを、大人になった今読むとどうだろうか。
そう、全然面白くない。自己陶酔にあふれていて、気持ち悪さすら感じる。
基本的に、この手の「痛快な話」は全部、子どもの対応なのだ。
「相手の顔を立てる」ということは何ら考えていない。「気に入らないヤツをボコボコにしてやったww」という自己陶酔に溢れた文章で、今後の人間関係について考えるなどという要素は全くない。これを痛快だと思うのは、子どもだ。
一方、「山口六平太」は違う。劇的なドラマが全くない。
憎たらしい上司に鉄槌を下すことはない。むしろ、憎たらしい上司の意見を丁寧に丁寧に引き出す。
そして、上司の顔を立てながら、良い着地点を探す。
だから、「山口六平太」を読んでいると
と安心する。
中学生の頃は「スカッとするコピペ」を好んでいた僕だが、成人する頃には「スカッとするコピペ」と「山口六平太」の評価はそっくり逆転していた。
サラリーマンの最強の武器は「相手の顔を立てる」
そもそも、憎たらしい人に攻撃したり報復したりしていて、仕事が上手くいくはずがない。
サラリーマンの、いや、全ての人間の最強の武器は「相手の顔を立てる」ということだ。
気に入らない上司・先生・取引先・同僚……人間である以上、我々は大量の嫌な人間関係から逃れることはできない。
だが、その全てと戦争を始めていたらとても生きていけない。
だからこそ、我々は「相手の顔を立てる」という技術を持っておくべきだし、常に忘れてはならない。
そういう意味で、冒頭で紹介した「エアロビクス教室」の事例は100点の対応と言えるだろう。もう一度画像を貼ろう。
この対応の妙味は二つある。「①相手を尊重する態度」と「②相手にメリットを与える」である。
この2点は、それほど特別なことではない。親しい友人や恋人に対してなら、誰だって行うことだろう。
だが彼は、嫌な上司に行っている。素晴らしい。これこそが大人の対応だ。
以下、2点について詳述する。
まず、「①相手を尊重する態度」について。
主人公の六平太は、憎たらしく文句を言う部長に対して終始下手に出ている。あくまで「ご意見を尊重していますよ」という態度を崩さない。
なんなら、「早速、緑の多い部屋と変更するように致します」と、自分の本意でないことを言ってすらいる。
このときの六平太のタスクは部屋割りを納得させることであり、部屋は変更したくなかったはずだ。
だが、相手を尊重しているという態度の表明のために部屋の変更を視野に入れる発言をしている。素晴らしい。
こういった態度の表明があればこそ、部長も決して六平太に悪印象を抱かない。
だから「部屋を変更しろ」という要求も素直に取り下げることができる。
これがもし、「部屋の変更はできません」という態度で最初から接していて、部長を怒らせてしまっていたら、彼も引けなくなってしまっただろう。意地でも部屋を変更させようとしただろう。
「怒って拳を振り上げてしまったから、もう引けなくなった」という事例は枚挙にいとまがない。
そうさせないために、この「①相手を尊重する態度」は、何よりも大切なのだ。
続いて、「②相手にメリットを与える」について。
六平太は「エアロビクス教室があるんですよ」というメリットを提示することによって、相手が積極的に引くようにしている。これが素晴らしいのだ。
「スカッとするコピペ」のような子どもの対応では「嫌なヤツはボコボコにしてぐうの音も出ないようにする」というアプローチが基本になっているが、六平太の対応は真逆だ。
彼の対応は、嫌な相手にもメリットを提示して、丸く収めるというものだ。
子どもは、これを負けだと捉えるだろう。嫌な相手には滅びを、子どもならそう考えるだろう。
だが、大人の社会はそうなっていない。嫌な相手ともそこそこに付き合い続けていかなければならない。
社会では、やっつけた相手が爆発して二度と登場しないという便利なシステムが採用されていないのだ。
だからこそ、相手をボコボコにして勝つことを考えてはいけない。ボコボコにしてしまったら、次に彼とスムーズに仕事をすることはできなくなる。
我々は常に、勝った後のことを考えなければならない。一番恐ろしいのは負けることよりも圧勝してしまうことだとすら言えるだろう。
圧勝してしまうくらいならばむしろ、微差で負けることを選ぶ。それが大人と言えよう。
まとめ-「スカッとするコピペ」から卒業しよう
どうも驚くべきことに、大人なのに「スカッとするコピペ」を読んで爽快感を覚える人間がこの世にはたくさんいるらしい。
また、スカッとするコピペのような体験談を投稿して喜ぶ人間もたくさんいるらしい。
それ、恥ずかしいから即刻やめたほうがいい。「私は仕事ができません」と喧伝して回っているようなものだ。
人間関係の奥義とは、気に入らない相手と折り合いをつけることだと言っていい。
そのために、「相手の顔を立てる」という何よりも大切な技術を理解しよう。身につけよう。
大人の対応が分からない人間に、大人は仕事を絶対に依頼しないのだから。
以下、分かりにくい点補足
補足①-大人の社会に「悪役」はめったにいない
「スカッとするコピペ」の対応がマズいもう一つの理由として、実際の社会に「悪役」はほとんどいないということが挙げられる。
「嫌な相手」が嫌な理由はたいていの場合
- 自分と利害が衝突している
- 状況認識が誤っている(例えば、こちらのことを詐欺師だと思いこんでいる)
- (前任者がダメだったなどの理由で)こちらの会社に悪印象を持っている
- 単に相手の機嫌が悪い
などであり、「その人間が恒常的に悪役である」ということはめったにない。
だから、「悪役」は上手に関係を推移させれば「仲間」に変わるのである。その関係を壊滅させてしまうべきではない。
補足②-戦争が必要なときは、戦争をすべきだ
「大人の世界では、相手が爆発して二度と登場しないワケではない」という表現を使った。
だが、「この相手は爆発させなければならない」というときがある。(例えば、「大いなる問題を起こした人間を辞職に追い込まねばならない」や「自分の売上を大いに脅かす商売敵を排除せねばならない」等)
こういった場合には、戦争をすべきだろう。降伏し続けていては生存できなくなるということも当然ある。
もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力を選ぶだろう
これはマハトマ・ガンジーの言葉だ。本記事で言いたかったのもこういうことだ。僕は戦争を無条件に否定したかったワケではない。
ただ、人間関係の99%の問題は戦争ではなく「顔を立てる」解決を選ぶべきである、ということだ。1%は戦争も必要だろう。
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