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むだそくんについて

受験に失敗した教え子が泣き続けた5分間、僕は教育者としての真価を問われた

教育

一人で夜中に車を運転するとき、誰かの人生に思いを馳せる。

つくづく人間というものは、誰かの人生を思っている時間がとても長いものだと思う。

きっと、人生というものの8割ぐらいの時間は、誰かの人生を思うために使われるんだと思う。

 

千葉の山奥に引っ越してから、夜中に一人で車を運転する機会が増えた。

音楽をかけながら、他の車が1台もいない道を運転している間、僕は大抵、誰かの人生に思いを馳せている。

しかもほとんどの場合、現在進行形で付き合いのある人々ではなく、もう二度と会わないであろう人たちだ。

とんでもない喧嘩別れをしてしまった人。それほど親しくはなかったけど一時期遊んでいた人。 ほんの一瞬、会話をしただけの人。

そんな中で、一番思いを馳せるのは、昔の教え子のことだ。

 

僕はかつて教育者を志していた。大学時代には、教育関係のボランティアをし、教育関係のベンチャーの立ち上げを手伝い、塾の先生を四年間やった。

大学生のうちに、数百人という子供と関わって、僕なりのメッセージを伝えてきた。

その中にはさまざまのドラマがあったし、ものすごくたくさんの人の人生について考えさせられてきた。

教育とは本質的に、教え子の人生に思いを馳せることだ。

 

最近、教え子の人生に思いを馳せるとき、一番よく思い出すのは、ある5分間のことだ。

それは、受験に失敗した教え子が僕の前で泣き続けた5分間だ。

塾の先生をしていた四年間で群を抜いて印象的な時間だった。僕はあの5分間で、教育者としての真価を問われたように思う。

 

彼女は、ものすごく合格の可能性が高い、とても優秀な生徒だった。

彼女は当時小学6年生で、合格のハードルが極めて高い、公立中高一貫の学校を狙っていた。

当時、その学校の倍率は10倍近くなることが当たり前で、並々ならぬ能力を持っていないと合格は厳しい、そんな情勢だったことをよく覚えている。

実際、そのクラスにはその学校を志望している子たちが5人ほどいたが、他の四人は厳しいだろうなと思っていた。合格の可能性が最も高いのは彼女だった。

彼女は驚くほど頭脳明晰で、小学生とは思えないほど多くの知識を蓄え、卓越した視点を身につけていた。

僕は4年目、塾講師生活最後の一年で、彼女を指導できたことを心から嬉しく思った。しかも、公立中高一貫校のクラスで、であったから、その喜びはひとしおだ。

 

公立中校一貫校の受験問題というのは、非常に特徴的である。

お仕着せの教科書の内容をしっかり把握することを問われるのではなく、

  • ニュースをしっかり見て自分なりの意見を持っているだろうか?
  • 全く新しい情報が与えられたときにそれをすぐに自分のものとして、自分なりの仮説を作ることができるだろうか?

そういった、いわゆる21世紀的な能力が問われる。

教科書から離れなければならないので、指導は当然難しい。しかし、優秀な子を教えるのならこれほどやりがいのある仕事は少ない。

彼女は公立中高一貫の問題を解くことにかなり適性があったと思う。知的好奇心が旺盛で、非常に多くの本を読んでいた。

僕がかつて、モンティホール問題という、確率について知見がある大人ですら間違ってしまう問題を、彼女に出したことがあった(言うまでもなく、小学生の彼女は確率を学んでいない)。

それから彼女は何時間も机にかじりつきながら、確率という概念をその場で理解し、モンティホール問題についての自分なりの考察を、ノート3枚にまとめてきた。

その時、僕は彼女の知性の光に触れて、教育者である喜びを感じたし、彼女の人生のこの先をもっともっと明るい知性の光で照らしてあげたいと思った。

 

そんな彼女は、受験当日、全科目を終えて僕の勤務していた塾に帰ってきた。泣きそうな顔をしていた。得意の作文でイージーミスをしたということだった。

今にも泣きそうな彼女をなだめながら、一緒にそれぞれの科目の答え合わせや、自己採点代わりの回答の確認をした。

再現させた答案はそれほど壊滅的ということもなかったが、いつもの彼女としては珍しいミスがいくつかあった。

合否について、この段階で曖昧なことを口にするのは良くない。僕はプロとして、きっと大丈夫だとも、落ちているだろうとも、どちらとも伝えずに彼女を帰した。

これは同時に本心でもあった。 その年のその学校の入試は、明らかに前年度よりも難化していて、合格者平均が全く読めなかったからだ。

そんなこともあり、落ち着かない気持ちで合格発表を待った。

 

合格発表の日、 僕の勤務していた塾からは、代表で一人、掲示板に合格者の番号を見に行った人がいた。その人からの報告を聞く。

報告は短かった。

「うちの教室からは全滅です」

それだけだった。

 

この報告を聞くために朝から待機していた僕は、午後がとても憂鬱になった。

教室のルールとして、合格発表の結果は、生徒から直接聞くことになっていた。勝手にこちらで番号をチェックして勝手に合否をチェックした、というのはプライバシーの観点からあまり褒められた行動ではないからだ。

だから、結果は知らないふりをして、生徒に「どうだった?」と聞かなければならない。

これは結構ツラいタスクだ。聞いた時点で泣いてしまう子や、聞く前から泣いている子すらいる。

 

午後から一人ずつ、結果を報告に来る生徒の対応をしていった。

彼女がやってきたのは3人目だった。前の二人の対応もあって僕は少し気疲れしていた。

彼女はお母さんと一緒にやってきて、教室のドアを押した時点でもうすでに泣きそうだった。彼女とお母さんを空いている教室に通した。僕の第一声は、「どうだった?」だ。

これを聞いた彼女は、応えることなく、大粒の涙を流し始めた。号泣だった。目の前の誰かが泣いていた経験は何度かあるが、泣きっぷりで言えばダントツで彼女が優勝だ。

彼女が泣き止むまでには5分程度の時間を要した。僕はその5分たっぷり使って、泣き止んだ彼女にかける最初の言葉を考えた。

教育者を志し、教育とは何かについて考え、教え子の人生に対してどう接することができるか悩み続けた四年間の集大成が、この5分間にあったように思う。

 

泣き止んだ彼女に、僕が最初に言ったことは、自信を失わないでほしいということだった。

 

***

僕は教育者として何百人と言う小学生に触れてきたし、その小学生の中で、間違えなく上位5人に入るのが君だ。

君は圧倒的に、素晴らしい知的好奇心を持っている。そしてその知的好奇心で収集した知識を、世の中のために活かしていく思考力も持っている。

誇りに思っていい。 君は上位1%に入るだけ素晴らしい知性を持っている。

 

ではなぜ、今回は不合格に終わったのだろうか。

そこにはいくつかの原因がある。例えば一つは受験が一発勝負であるということだ。

少し前に、確率という言葉を君に教えたのは覚えているかな。その時に言ったよね。サイコロの1の目が出る確率は1/6だけど、6回振って必ず1が出るとは限らない。 12回振ったって24回振ったって一回も出ないかもしれない。

けれどもしも100万回振ったとしたら、一回も出ないなんてことはまずありえない。それどころか、出る回数は、きっとほぼ、100万の1/6だろう。

それが確率の基本の考え方。この名前については教えてなかったよね。「大数の法則」って言うんだ。何度も何度も繰り返してやれば、まあ勝負は実力通りになるだろう、という法則だ。

でも一発勝負だったらそうとは限らない。弱いものが強いものに勝つこともある。「まぐれ」っていう言葉もあるね。

今回の受験でも、そういう部分がある。君は何回かに一回、君らしくないミスをする。その一回が今回に当たってしまった、そう考えることができる。

 

もうひとつ、原因を上げてみよう。精神力の問題が挙げられる。

さっき言ったね。まぐれというものは存在する。運が悪くて負けたということももちろんある。それが人生だ。

でも、そんな不幸な敗北を、なるべく少なくすることもできる。そのためのポイントになるのが精神力だ。この精神力の重要性については今まで何度も言ったね。

あ、いやいや、悲しそうな顔しないで。君が精神力のコントロールに失敗したことを責めてるんじゃない

これは大人だってめちゃくちゃ難しい。できていない人もたくさんいるんだ。ましてや、小学生の君たちが今完璧にできている必要なんてない。

 

でもこの悔しさを、よく覚えておきなさい。 完璧な準備をしても、精神が整っていなかったせいで負けるのは本当に悔しい。

今回の受験なんて最初の一回にすぎない。君の人生にはこれから何度も何度も本気で戦う場面がやってくる。

そしてこの精神を整えるという作業は、そのどの場面でも非常に重要になってくる。

今回失敗したと君が自分で思っているのなら、次にやってくる戦いの時に、どうすれば失敗せずにできるのか、よく考えておきなさい。この悔しさを二度と味わわないように、考えておきなさい。

 

さあ、不合格の原因について話すのは一旦やめにしよう。

こまかい理由は他にもたくさんあって、受験生の動向や、問題の傾向、そんな色々な要因が関係あるんだけど、細かいことは今話してもしょうがないね。どうしても気になるんだったら落ち着いた頃にまた話すから、聞きに来てください。

 

それより僕が話しておきたいのは、君の今後の人生のことです。

僕は、君たちに幸せになってほしいと思っている。

恥ずかしくてダサいことを言う奴だと思うかい?でも本音なんだ。これまでずっと僕の授業に本気で向き合ってくれて、僕の言葉を本気で聞いてくれて、僕に本音を聞かせてくれた君たちの人生が幸せであることを祈っている。

さて、君が幸せになるためには、何が必要だと思う?

そうだね、恵まれた友人、素敵な家族、やりがいのある仕事、最低限のお金、休日が楽しみになる趣味、たくさんあるね。

そのどれもが正解だけど、たぶん君にない視点が僕にはあるから、それを伝えておくね。

君が幸せであるためには、社会が幸せである必要がある。いや、ちょっと正確じゃないな。社会の幸せの量は、君の幸せの量に影響を与える。こう言った方が正確だね。

社会全体が幸せの方が、君も幸せになりやすいんだ。

だってそうだろう、君のクラスメイト全員がイライラしていたら、その教室にいる君は楽しいと思うかい?

逆に、クラスメイト全員がニコニコ楽しそうにしていたら、君もなんだか楽しくなるんじゃないかな?

 

なんで僕がこの話をしているかって?君は、自分だけじゃなく、社会も幸せにできるほどの能力を持っているから言っているんだよ。

さっきも言ったけど、君の能力は、君の知性は、100人に1人のものだ。1000人に1人ぐらいかもしれない。

それだけの知性を持った君は、その知性に自信を持って、その知性をいかんなく発揮しなければいけない。

覚えておいてほしい言葉がある。ノブレス・オブリージュという言葉だ。日本語にすると【貴族の義務】という意味になる。

 

昔のヨーロッパでは、ちゃんとした教育を受けられるのは貴族だけだった。貴族だけがしっかりとした教育を受け色々な能力を身につけていた。

じゃあ、周りを見下して好き勝手やっていいのか?と言うと、むしろその逆だった。

しっかり高い教育を受けてしっかりした能力を持っている、そのことに誇りを持って、遺憾なく能力を発揮し世の中を良くしなければいけない。貴族達はそう考えていたんだ。これがノブレス・オブリージュ-貴族の義務、だ。

 

わかってると思うけど日本には貴族という考え方はない。僕も君も貴族じゃないし、その他の偉い人もみんな貴族じゃない。

でも圧倒的な知性や能力を持っている人って一部しかいないよ。そして、そういう人たちはこの貴族と同じように考えなければいけないと僕は思う。

賢いからって威張ったりしないで、その能力をしっかり発揮して世の中を良くしていけるようにする。 これが知性ある人に与えられた義務だ。

何度でも言おう。君はめちゃくちゃ素晴らしい知性を持っている。だからその姿勢に自信を持って、世の中がよくなっていくように、もちろん君自身も幸せになれるように、その知性を磨き続けて発揮し続けて欲しい。

 

今回の受験結果は残念だったけど、それ自体は全く問題ないと僕は思っている。

君はどこででも自分の知性を磨けるし、君なら高校受験でどんな所にでも行ける。 今回の受験結果は全く悲しむことじゃない。

でももし君が、今回の結果で自信を失ってしまったり、知性を磨くことをやめてしまったり、自分の知性を発揮することを嫌になってしまったりしたら、それは本当に本当に悲しむべきことだ。それだけはやめてほしい。

 

君はこれから近くの公立中学に通うことになるね。どうしても志望校に比べたら、その中学は面白くなく感じてしまったり、行くのが嫌だなと思ったりするかもしれない。

でもそこにも面白い人はいるし、そこでも十分に知性を磨くことはできる。ふてくされたり、自信を喪失したりしないで、君の輝く知性を磨き続けてくれ。

 

僕は保証する。君の知性は本当に素晴らしい非凡な輝きを放つ宝物であると。だから君も約束してくれ。その宝物がくすんでしまわないように、磨き続ける、と。

君の人生が、知性の光に溢れた、幸せなものであることを祈っている。

 

***

あれから、2年が経った。この長い語りかけが、正解だったのかどうか、未だに分からない。

教育の難しいところは、答え合わせができないところだ。彼女の人生がどうなるのか一生見続けなければ、教育の効果測定はできない。いや、ひょっとしたら一生見続けても、効果測定はできないかもしれない。

僕の語りかけが正解だったかどうかはわからないけれど、自信を持って言える事が一つだけある。僕は彼女に、本心からの言葉を、本気で伝えたということだ

正しいかどうかはともかく、本気の言葉には、熱量がこもる。その熱量は、人の心に宿る。そして心の奥底で、燃料になってくれる。

 

彼女はこの4月で中学3年生になる。丸2年の時を経て、彼女は再び受験生になるのだ。

たぶん彼女のことだから、志望校は地域のトップ高だろう。きっと、模試では余裕の判定が出ているだろう。それでも、彼女はあの苦い思い出から、必死で勉強するだろう。

その必死の勉強の燃料として、僕のあの時の言葉が、少しでも彼女を動かしてくれていたら、こんなに嬉しいことはない。

一人で夜中に車を運転するとき、彼女の人生に思いを馳せる。

 

 

author
Ken Horimoto
堀元 見

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