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「我々は皆どこかおかしい」という慣用句の数理的証明~凡人のジレンマ

エッセイ

こんにちは。株式会社つくってあそぶ、代表取締役村長の堀元です。ホントに名刺にそう書いてあります。

 

さて、本日は僕の大好きなイタリアの慣用句を紹介します。

Siamo tutti un po’ pazzi.

と、カッコつけてイタリア語で書きましたが、意味が分からないのはもちろんのこと、発音もできません。シアーモ、ツチ ウン ポ パッツィ!みたいな感じでしょうか。

そういえば大学の時の第二外国語はドイツ語でしたが、ドイツ語ももう何にも覚えてないですね。「イッヒ リーベ ディッヒ(アイラブユーの意味)」しか覚えてないです。

一応アイラブユーは言えますが、ドイツ人女性を口説く機会は一生なさそうだし、仮にあったとしても第一声がいきなりアイラブユーになります。すごい積極性だ。日本人のイメージをぶち壊しにかかってる。

 

と、そんな余談はどうでもよくてですね。話を元に戻しますと、冒頭のイタリア語の慣用句はこういう意味になります。

我々は皆、どこかおかしい

すごく良いですよね。自分の異常性に気づいた時に、安心できる。

そして、僕はこれ、めっちゃ真理だと思います。人間って皆ちょっとおかしいですよね。

 

 

で、今日はこの「人類は皆、どこかおかしい」という主張を、数字を持ち出して、数理的に証明できないか、みたいな話をします。お付き合いください。

 

平凡の定義

中肉中背ってあるじゃないですか。普通の体型。成人男性の一番平凡な身長って170cmとかだと思うんですけど、それって平均値だからなんですよ。

身長においては、平均値が一番普通なのです。

これを統計用語では正規分布なんて言ったりします。真ん中が一番多いので、平均値が一番平凡。

 

さて、身長だと話は簡単なんですが、これを「おかしさ」に当てはめるのは結構難しい。

 

 

STEP1 おかしさの分布は非正規分布なのではないか。

身長は非常に分かりやすく、正規分布にしたがっています。

皆さんの周りで身長170cmの人はたくさんいると思いますけど、2mの人はめったにいないと思うんですよ。平均に近いほど多くなる。

しかし、おかしさはそうじゃないかもしれない。

平凡な人がいて、めちゃくちゃおかしい人がそこそこいて、その中間の人はあんまりいないのかもしれない。

こんな感じの分布かもしれない

 

身の周りの現象はほとんど、正規分布じゃないところから起こっているんだよ、みたいな主張をしたこのビジネス書が何年か前にめちゃくちゃ売れましたね。

 

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今回の件もそうかもしれません。平均的なおかしさの人より、圧倒的におかしい人がいそう。

 

が、まあそれを言い出すと話が進まないので、今は便宜上、「おかしさは正規分布に従う」ということにしておきます

おかしさは平均値を中心に均等に分布していることにします。

 

STEP2 おかしさの平均値はいくつなのか

人間の「おかしさ」を数値化することを考えましょう。あなたのおかしさが10なら、あなたよりおかしいあいつは20とかになります。

さて、この時、「人間のおかしさの平均値」はいくつにするべきなのでしょうか。

パッと思いつくのは、ゼロです。平均はいうなれば一番つまらない、「おかしくない」数値なので。

 

しかし、よく考えてみて下さい。あなた自身の「おかしさ」はいくつだと思いますか?

多分、ゼロってことはないでしょう。

どんなに平々凡々な人だって、休日の過ごし方、箸の持ち方、性癖、口癖、過去のトラウマ…など、何か普通じゃないことがあるはずです。

まして、めちゃくちゃおかしい人もいますからね。平均値はそれなりの数字になりそう。

さて、ということで、人類のおかしさの平均値は10ということに決めます。数字にはあんまり意味がありません。ゼロじゃない数字だということだけ意識して、適当に決めました。

 

STEP3 平凡な人間は平凡なおかしさを持っていなければならない

STEP1, 2を考慮して、「もっとも平凡な人間のおかしさは10である」ということが言えます。平凡な人は平均的なおかしさを持っているはずですから。

とすると、不思議なことになります。

最も平凡な人は、ある程度のおかしさを持っているということになります。

最も平凡な人間を想定したのに、彼は最も平凡であるがゆえに平凡でない部分を持っていなければならないのです。

 

STEP4 おかしさゼロの人間は、平凡ではない

逆に考えましょう。おかしさがゼロの人間がいたと仮定します。

彼は現在過去未来のどこをとっても、実に平凡な経歴です。

物の食べ方や異性の好みや、本を読む速さやコーヒーを飲む頻度まで、あらゆることが平凡で意外性がありません。

だとしたら、「おかしさが全くない」という点で個性になります。

余談ですが、学生時代、後輩の女の子の彼氏があまりにも普通であるという話で盛り上がり、小一時間その話をし続けたことがあります。

堀元
好きな食べ物は?
ハンバーグですね
堀元
普通だね〜!!何か趣味とかある?
サッカーですね。見るのもやるのも
堀元
普通!インターハイに出たりは…?
してないですね。県大会の一回戦まではいったそうです
堀元
普通〜!!!

このように、仮におかしさをゼロにしたとしたら、「おかしくない」という意味でおかしくなってしまうのです。

これを、凡人のジレンマと呼ぶことにします。

 

まとめ

以上、長々とお話してきましたが、要するに

  • 人類には「おかしさの平均値(ゼロでない値)」がある
  • 全てにおいて平凡な人間は、どこかおかしくなければならない
  • 仮に一切おかしくないとしたら、「おかしくなさ」がおかしさになる

ということでした。

以上、上記3点から、「我々は皆、どこかおかしい」というイタリアの慣用句が真であることが示されました。

皆、自分のおかしさに胸を張って下さい。

 

ちなみに、今回の論証はモデル化に問題があるのではないかというツッコミは大いに歓迎ですので、堀元のTwitterまでご連絡下さい。僕もいっぱい問題がある気がします。

 

 

 

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author
Ken Horimoto
堀元 見

インターネットおもしろ雑文オジサンとして生計を立ててます。(性格が)悪そうなヤツはだいたい友達。

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