僕は昔から納得行かないことがいっぱいあります。
納得いかないものの一つが、「金の斧」という童話。
皆さん、どんな話かは知ってると思いますが、改めて説明します。
大体こういう話でございます。
ある木こりが森の中で作業をしていたら、手が滑って鉄の斧を泉に落としてしまった。
すると、泉の中から女神が現れた。女神は木こりに「あなたが落としたのはこの金の斧か?」と聞く。
木こりが違うと言うと、「ではこの銀の斧か?」と聞く。
再び木こりが違うと言うと、女神は鉄の斧を持ってくる。木こりは「それが自分の斧だ」と伝えた。
木こりの正直さに感心した女神は、木こりに3本の斧全てを渡した。
話を聞きつけた別の木こりが、金の斧を手に入れようとして、わざと自分の斧を泉に落とした。
すると女神が現れて、「あなたが落としたのはこの金の斧か?」と聞いた。
木こりが「そうだ!」と嘘をつくと、女神は嘘にあきれて何も渡さずに去り、木こりは斧を失った。
この話、納得いかないんですよねえ。
子供に与えたい教訓としては、「嘘をつくと罰せられるよ!」だと思うんですけど、上手くいってないんですよ。
今日はそのことについて。
「リンチの推奨」になりかねない
この話の問題は、女神が独断で(感情的に)斧を没収している点にあります。
これは、リンチ(私刑)です。
リンチ、すなわち「法にのっとらず、個人的に人を罰する行為」です。
確かに、木こりは悪いことをしたでしょう。「自分のものではない斧をもらうために嘘をつく」のは褒められたことではないでしょう。
ですが、だからと言って斧を没収していいのでしょうか?
これは、例えば、
みたいなことです。
この判断は許されるのでしょうか?
許されるべきではないはずです。
悪いことをした人は、しかるべき法にのっとってしかるべき場所で裁かれるべきです。
にも関わらず、女神はその場の判断で、個人的に「こいつ悪い奴だなあ。斧没収だなこりゃ」と決めています。
そして、それを教訓(正義)として見せるという物語の作りになっています。
これは、リンチの推奨に近いのではないか。
正義は女神の中にあるのか?斧の没収は女神のエゴではないか?
そんなことを昔からぼんやり思っていました。
以上、金の斧がダメな理由について書いたので、ここからは「どう直せばいいか」について書いていくよ〜!
まず、この物語の何が問題なのか、書いてみましょう。
問題(1) 女神が感情を持ったものとして描かれている
今回の問題となっている、”女神”は作中で、人間と会話したり、嘘をつく人間に呆れたりといった、非常に人間的なものとして描かれています。
これがダメなんですよね。”一人の感情を持った人間が、誰かを裁いている”という構図を作ってしまっている。
すなわち、リンチになってしまう訳です。これは良くない。
もっとこう…神の裁きみたいな感じだったらいいんですよ。
感情や人間味は持たず、姿も見えないような、”超越的な存在”からの裁きなら問題ないはずです。
「嘘つきは罰を受ける」という教訓を伝えたいなら、女神は登場させず、超越的なものからの裁きだけを登場させるべきです。
以上を踏まえて、物語を修正すると、こうなります。
木こりAは、森で木を切る作業をしていた。
木こりAは、金の斧を持って作業していた。非常に貴重な自慢の斧だった。
木こりAはしばらく木を切ったあと、休憩のために、切り株に金の斧を置いて、泉に水浴びに行った。
そこに、木こりBが通りかかった。木こりBは金の斧の美しさに感動した。そして、自分のものにしたいと思った。
木こりBは、取り違えたことにしようと決めて、自分の持っていた斧と金の斧を入れ替えて立ち去ろうとした。
すると、突然雷が落ちてきて、木こりBは黒焦げになってしまった。
以上です。物語としての魅力が一切なくなってしまいましたが、これでリンチを取り除けました。
やったね!
また、別の角度からも考えてみましょう。
問題(2) そもそも女神が真相を知ってるのなら、茶番である
この話、木こりが嘘をついたことを女神はすぐに見抜きます。
ということは、女神は、木こりが本当は鉄の斧を落としたことを知っています。
にも関わらず、
と、わざと聞いてくるのです。(聞く必要もないのに!)
で、木こりが「そうです!」と答えようものなら
ですからね。とんだトラップだよ。
小悪魔ですやん。全然女神じゃない。女神から一番遠いわ。
というやり取りにも通ずるものがあります。この小悪魔が!!
「犯罪機会論」を考えよう
ところで、犯罪心理学において「犯罪機会論」という言葉があります。
これは、犯罪者が悪いっていうよりも、犯罪する機会を与えてしまう環境に問題があるよね。
という考え方です。
例えば、もし銀行が今のようなちゃんとした建物ではなく、路地裏の屋台でやっていたらどうなるでしょう。
おっちゃんが一人で、何億円もの現金がつまった屋台を引いていたら、銀行強盗の数は何百倍にもなるのではないでしょうか。
適切なセキュリティが無い(=犯罪の機会を与えてしまう)ことが犯罪機会論的には既に問題なのです。
そういう意味で、この女神は最悪ですよね!必要もないのに、嘘をつく機会を木こりに与えています。
しかも、自己申告すれば、金の斧がもらえる!という非常に美味しい形です。そりゃ嘘もついちゃいますよ。
これは本質的には、銀行を屋台にするのと同じことです。そりゃ強盗しちゃうでしょ。
そんな機会をわざわざ生み出しておいて、わざわざ裁く。
女神の行動には問題があると言わざるを得ません。性悪です。この小悪魔が!
物語の修正
ということで、これを踏まえて物語を直すと、こうなります。
ある木こりが森で木を切っていた。
その時、誤って、使っていた鉄の斧を泉に落としてしまった。
すると、女神が泉から現れて、言った。
女神あなたが落としたのはこの鉄の斧ですよね?一部始終理解しているので間違いないはずなんですが、一応確認です。これですよね?木こりえっ…!あっ…!はい…!こうして、木こりは無事に鉄の斧を取り戻しました。
村に戻って木こりがこの話をすると、周りの者は「良かったじゃん。斧もどってきて」と言い、それ以上興味を持つ人はいませんでした。
以上、物語の魅力がなくなったとかじゃなくて、そもそもストーリーがなくなったのですが、これで無事問題が解決できました。よかったよかった。
まとめ
- 童話「金の斧」はリンチの推奨になりかねない
- 教訓を残したまま、リンチの危険を取り除くと、魅力のない話になる
- 犯罪機会論的に正しい女神は、ストーリーを生まない
ということで、PTAのクレームを聞いているとドラマがどんどんつまらなくなるよねという結論で、この記事を締めくくりたいと思います。