以前、ケンドーコバヤシだったかブラマヨ吉田だったかが、テレビで言っていた。
元カノのちょっと良い話ってよく聞くじゃないですか。ちょっと心温まるようなエピソード、飲み会で話す人いますよね。
でも、元カレの話って悪口だけですよね。心温まる話なんてありゃしない。
女は別れた途端、もう悪口だけになるんですよ!!悪魔ですやん!!
これはちょっと言い過ぎにしても、たしかに一理あるような気がする。元カレについてのちょっと素敵なエピソードって聞いたことない。
なんでなのかなあ。
元カレの素敵エピソードを探す
ぼんやり不思議に思った僕は、それから意識的に”元カレの素敵なエピソード”を探すようになった。
といっても、別に自分から積極的に探しにいくようになった訳ではない。
などという突撃取材をするわけではないけれど、飲みの席で、ありふれたエピソードトークの中で、元カレの素敵な話が落ちてないかを探した。
結局、お酒の席でもカフェの穏やかな時間の中でも、僕が認める「あ、素敵だね!」というエピソードを見つけることはできなかった。なぜ無いんだろう?
女性の、元カレ ─ かつて好き合っていて少なくない時間をともに過ごした男 ─ に対する好意や思い出は、関係が壊れた瞬間に砕け散ってしまうのだろうか。
冒頭の芸人の指摘の通り、女性とはそういう生き物なのだろうか。
そんなことを考えているうちに、僕はとうとう”元カレの素敵なエピソード”にぶつかることになる。
江國香織のエッセイの中にあった
今日、初めて元カレの素敵なエピソードを見つけた。江國香織さんのエッセイ「とるにたらないものもの」の中に、だ。
「食前酒と食後酒」という一編である。一部抜粋しよう。
(前略)
食後酒の幸福を教えてくれたのは男性だった。
腕のかたちの美しいひとで、食事がすむころにはたいてくつろいで袖をすこし折り返していたので、腕と、その手の揺らす大ぶりのグラスと、グラスの中でまるく動く琥珀色の液体のひとつながりに、私はそのつど目をうばわれた。
そのひとののむ食後酒はたいていコニャックで、とろりと甘い匂いがした。もっとも、私が教わったのは食後酒の味や習慣ではない。私は横で果物など食べながら、そのひとの手の中でわずかに温められていく食後酒の匂いと、得もいわれずみちたりた気分を味わっていただけだ。ずっとそのままそこにいられたらと願いながら。
あのとき私が教わったのは、余韻を愉しむという好意だったのだと思う。あれから随分時間がたった。もしもいま一緒に食事ができるなら、食後酒を一人でのませたりしないのに。
名文だ。文句なしに素敵だ。僕が求めていたのはこういう元カレのエピソードである。
江國さんとこの男性の関係については文章の中で振れられていないけれど、今の旦那さんでないのは明らかだ。
そして、ただの知り合いの大人の男性という感じでないのも明らかだ。だから元カレのエピソードなのだと思う。
僕は感動した。期待を全く裏切らない元カレエピソードだ。
- 食後酒という象徴的な大人の男性アイテム
- 腕のかたちの美しい人、という回想
- 小さな後悔(もしもいま一緒に食事ができるなら…)
この3点が絶妙である。過ぎ去った美しい日々への憧れと、当時の自分の未熟さと、終わった恋へのわずかな後悔が絶妙にブレンドされている。
と、思いつつ、なぜ今までこういうエピソードに出会わなかったのかを考えてみた。
できごとではなく、感覚で覚えている
江國さんのエッセイを読んで感じたことは、元カレの記憶は”できごとではなく、感覚で覚えている”のかもしれないということだ。
先程引用した食後酒の文章も、何かまとまったできごとの話ではなく、食後酒の幸せというぼんやりした感覚にまつわる文章だ。
突き詰めれば、「元カレが食後酒を飲んでいて、その時に幸せを感じた」という文章でしかない。
それだけのことだけど、江國さんの筆力と豊かな感性によって、一つの文章としてしっかり成立している。
一方、普通の人はこんなボンヤリした幸せのエピソードについて語る場を持っていない。
江國さんほどの筆力も無ければ、ぼんやりした幸せについての話をする機会もない。
居酒屋で、「元カレが食後酒を飲んでいる時、幸せだったんだよね…」みたいなぼんやりした話はしづらい。それよりも「4股かけられてたんだよ!信じられる!?」というパワフルな話をしてしまうのは仕方ないことだ。
結果として、元カレについてのいいエピソードは出てこないのかもしれない。
男は、できごとを覚えている
一方で、男は多分、できごとを覚えている。
ものすごく落ち込んで帰ってきた時、元カノは何も言わずにホットミルクを出してくれて、大丈夫だよと微笑んでくれた。
そんなできごとを覚えている。まとまったできごとを喋ることもあるだろう。だから、元カノの素敵なエピソードは聞くことができる。
女性はむしろ、ホットミルクから立ち上る湯気の白さや、暖かい気持ちの方を覚えているんだろう。これを喋ることは少ない。
だから、元カレの素敵なエピソードはあまり聞けない。
これが、冒頭の”元カレの話は悪口だけ”現象の答えなのではないだろうか。
ナイフ、どきどき
さて、江國さんのエッセイには良い元カレの話が他にも出てくる。同じく「とるにたらないものもの」の一編から。
(前略)
ある男に恋をしたとき、その男が小型の折りたたみナイフを持ち歩いていた。私たちはいつも戸外で過ごしていたので、それはすごく役に立った。
彼はそれでももを剥いてくれたし、ライムを切ってジン・トニックをつくってくれた。
私はナイフを扱う男を見てどきどきした。
私には、彼は魔法のように「何でもできる」と思えた。すばらしいと思った。
これもそうだ。何かまとまったストーリーとしてのできごとではなく、ナイフという象徴的な道具と、それを扱う男へのどきどきが文章になっている。
”どきどきした”という感覚を中心に覚えていて、できごとを中心に覚えてはいないから、しゃべりにくいエピソードだ。
でもすごく素敵だ。きっと江國さんがまだかなり若い頃の話なんだと思う。文章からはそんなニュアンスを感じる。
まとめ
以上、”元カレの話は悪口だけ現象”について考えてみました。
男はできごとで覚えて、女は感覚で覚える
という結論を出して終わりとさせて頂きます。
そして、今回全面的にお世話になった江國香織さんのエッセイ「とるにたらないものもの」は、とても素敵なエッセイなので、是非読んで下さい。
特に、「食前酒と食後酒」はすごく暖かくてほっとする一編です。
食後酒の幸福を教えてくれたのは男性ですが、食前酒の愉しみを教えてくれたのはある女性です。
この素敵な文章を、是非味わって下さいね。